いらちの愛宕詣り『いらちの愛宕詣り』(いらちのあたごまいり)は上方落語の演目。『いらちの愛宕参り』とも表記される[1]。江戸落語では『堀の内』の題で演じられる[1]。「いらち」とは大阪弁で「あわて者」「せっかちな者」の意味。 『愛宕山』とならぶ、愛宕山を主題とした演目である。あわて者が愛宕神社に参詣に行って起きる騒動を描く。原話として、宇井無愁の『落語の根多 笑辞典』は以下の3つを挙げる[2]。
宇井は、「現行話は(二)に(一)を加味したもの」とする[2]。前田勇の『上方落語の歴史 改訂増補版』は2のみを原話としている[1]。 あらすじあわて者の喜六、自分の「いらち」を治すには「伊勢にゃ七たび、熊野に三度、愛宕さんへは月詣り」という歌で有名な愛宕山に参詣しようと、女房に弁当と百つなぎという一文銭をつないだものをもらい「三文お賽銭やで。あとはあんさんの小づかいやで。」と念を押され、早速愛宕山へ向かう。 歩くうちに神社が見えてきた。通りがかりの人に「ここが愛宕山ですかいな。」と訊くと、「ここは北野の天神さんじゃ。愛宕山やったら反対どすがな。」 道を変えて進むうち「何や。どっかで見たような町内やなあ。…あれ、あっこで喋ってンのうちのかかそっくりやで。」といぶかると、「ちょっと、おさきはん、あこでうろうろしてんの、あんたとこの喜イさんちゃうか。」「そんなあほな。うちの人朝の早うから愛宕さんへお詣りにいってるがな。…まア、うちの人やわ。ちょっと、もう行ってきたンか!?」「…え。こらわしの家やがな。」と、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。喜六はようようのことで愛宕山に着く。 「もうし、愛宕さん。わいのいらち治してや。」と勢いよく賽銭を投げたのはいいが、手元に三文残しあとすべて神社に挙げてしまう。「あ、盗人や。」と叫んで、神主が駆け付ける騒ぎに。「えらいすいまへん。賽銭まちごたんで返しておくんなはれ。」「そんなことでけへんがな。」「ええっ!何じゃ小づかいとられてしもたがな。」と喜六はおおむくれするが金は返ってこない。 仕方なく参道の茶店に入り弁当を食べようとするが、包みを開けてみると、何と女房の腰巻に枕。 「何やこれは。あのかか、俺に恥かかしやがった。」と怒り心頭に発した喜六、家に飛んで帰って「こら! おのれは! 弁当やと思たら、お前の腰巻に枕やないかい。こうしてくれる!」と殴りかかる。「ああ…何するのン。」「何ぬかしとるネン。ようも恥かかしやがって…」「ちょ、ちょっと待ちなはれ。あんた、隣の喜イさんやないか。」「えっ! あっ! 隣やがな。」 喜六、我が家に飛び込んで女房に「えらい、ただ今は不調法。」 バリエーション落ち(サゲ)の言い方には「只今は、えらい失礼を」というものもある[1]。 江戸落語『堀の内』→詳細は「堀の内 (落語)」を参照
東京の『堀の内』は、参詣する場所が「堀の内のお祖師様」となっている[3]。そのほかにも、帰宅した主人公が子どもを銭湯に連れて行く(そこが落ちになっている)、『いらちの愛宕詣り』にはない下りがある[3]。 脚注参考文献
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