おはよう朝日・甲子園です
『おはよう朝日・甲子園です』(おはようあさひ・こうしえんです)は、朝日放送(ABCテレビ)で2003年から2007年まで放送された「全国高校野球選手権大会中継」の直前情報番組。「おはよう朝日です」に、2002年まで放送された「グッドモーニング甲子園」を合わせた内容である。 概要番組は夏の大会期間中、4試合行われる日の8:00 - 8:24に放送されていた。なお、この番組はBS朝日や全国のANN系列局(第1試合を中継する場合のみ。ただし編成の都合上放送されないこともある)にもネットしていた。また、日曜日の場合は8:00 - 8:30(当時)の「仮面ライダーシリーズ」を楽しみにしている子供の視聴者に配慮するため、当番組をネットしない局が多かった。 また2006年度のみ、朝日放送以外の地方局(一部除く)での『スーパーモーニング』の開始時間が7:30からであったが、この番組をネットする場合、7:30 - 8:00の30分間は単発番組で埋めて対応していた。 番組では主に、高校野球の見どころや、大会の舞台裏を伝えている。2003・2004年度は阪神甲子園球場の外に大会期間中設けられる、朝日放送中継本部内の「甲子園スタジオ」から伝えていたが、2005年度以降は月曜から土曜までは大阪朝日放送本社(北区大淀南にあった旧ABCセンター、現在は福島区ほたるまちに移転)『おはよう朝日です』のスタジオからの放送で、同番組のない日曜日のみが甲子園スタジオからの放送となっていた。なお2007年度は日曜日が4試合日に当たらない日程となっており、その日程通り進んだため放送がなかった。また2007年度の開会式当日8:00 - 8:50に、朝日放送およびBS朝日にて放送の「プレーボール!甲子園」前半部も、実質同内容で放送された。 『おはよう朝日です』本編の特徴でもあるCM明けのエレクトーン生演奏のジングルと時刻告知は同番組でも実施されているが、演奏されるジングルは本編と異なり、同番組オリジナルのジングル(2007年度の場合、同年度の朝日放送高校野球統一テーマ曲であるウルフルズの「両方 For You」をアレンジしたジングル)が演奏されていた。 朝日放送やBS朝日以外でネットされる日でも、『おは朝』本編同様CM明けのエレクトーンの部分で、画面に近畿地方の天気予報が映し出されていた。 ちなみにキャスターの宮根誠司は、番組タイトルを「おはよう朝日です甲子園です」「おはよう朝日です甲子園」「おはよう甲子園です」と間違えて言う事が頻繁にあった。 2008・2009年は放送無し(朝日放送では、8:00 - 8:15にパンチ佐藤の『食爛漫!味づくし 感動の旅』(外部制作会社配給番組)、8:15から中継開始。BS朝日は、『News Access』、通販番組後の8:24から中継。2009年度は、8:00 - 8:15にパンチ佐藤の『食爛漫!味づくし 感動の旅』(外部制作会社配給番組)、8:15から『紗綾さーやるぞ』、8:20から中継開始。BS朝日は、『News Access』、通販番組後の8:24から中継)。 第1試合を中継するANN系列局については局によって対応が異なる(8:00から単発番組を放送し、8:20頃から中継を開始することが多いが、8月8日の東日本放送は8:00から中継スタート(8:15 - 8:24は朝日放送の放送を同時ネット)となった)。 2010年は「おはよう甲子園」のタイトルで3年ぶりに番組が復活。甲子園の特設スタジオ(ロイヤルスイート)から前日のハイライトとその日の見どころ、それに過去の名勝負を伝えた(3年前まであったバラエティ要素が強い内容から一転している)。キャスターは横山太一。毎回オープニングには高校・大学時代野球部だった横山からの一言メッセージが送られた(BS朝日の放送は無し)。 2011年は、東日本大震災に伴う電力需要から、第1日と決勝以外が8:00試合開始となることより、同系統番組は放送されなかったが、『おはよう朝日です』を7:55に終了した[1]。 2012年からも第2日目から3回戦までが8:00試合開始となるため、同系統番組は放送されない。 2019年から開幕日が平日の場合と準決勝開催日に「おはようKOSHIEN(大会回数の数字)」のタイトルで8:00 - 8:50(2021年の準決勝開催日は8:20 - 8:50)に放送。 コーナー
出演者
ネットした地方局
8月7日~8月16日に放送。なお、朝日放送の地上デジタル放送とBS朝日のみハイビジョン画質で放送したが、以下ネット局にはABCからアナログ放送用の回線でのみ番組を送出したため、既に地上デジタル放送を実施している所であっても画角4:3の標準画質で放送。
8月9日 - 8月18日に放送。この年は第一試合に関東・東海・近畿の代表校が集中して登場したため、例年よりネット局が少なかった。
脚注関連項目外部リンク
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