さねとうあきらさねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2016年3月7日)は日本の児童文学作家・劇作家。 東京出身。1972年に『地べたっこさま』で日本児童文学者協会新人賞・野間児童文芸推奨作品賞、1979年に『ジャンボコッコの伝記』で小学館文学賞、1986年に『東京石器人戦争』で産経児童出版文化賞をそれぞれ受賞。『なまけんぼの神さま』、『おこんじょうるり』、『かっぱのめだま』、『神がくしの八月』、『ゆきこんこん物語』などの創作・評論多数。 来歴・人物
劇作の分野では、1973年、大阪の劇団2月で『ゆきと鬼んべ』を上演したのを皮切りに、泰西名作が幅をきかす関東圏と違い、創作劇の上演が比較的自由だった関西圏を活躍の場に選んだ。優れた児童文学の脚色に長け、安藤美紀夫・原作の『でんでんむしの競馬』を三部作にして劇団2月で上演した。とくに第二部の『ウメコがふたり』(1976年)は、戦時中の子供の視点で「天皇」を見つめた傑作として注目され、後に東京芸術座により1980年、1986年、2003年と、足かけ20年にも及ぶ長期公演となる。またオペラ台本『べっかんこ鬼』(林光作曲・1979年 こんにゃく座)や、人形劇台本『愚直なる兵士シュベイク』(ヤロスラフ・ハシェク原作・1996年 人形劇団プーク)など、執筆ジャンルは幅広い。2004年に初演した『のんのんばあとオレ』(水木しげる原作・劇団コーロ)で斎田喬戯曲賞を受賞。 『わらいおおかみ』撤収要求事件絵本『わらいおおかみ』(さねとうあきら文・井上洋介画)は、1973年、ポプラ社より刊行された。佐々木喜善の『聴耳草紙』に収められた「あさみずの里」と「狼石」を典拠に、作者が自由に発想した創作民話だった。
1974年11月、この絵本に対し福岡県の部落解放同盟田川地協子供会対策部より、作者、画家、出版社の三者に対し、即時撤収要求の書状が送られてきた。その理由は
およそ以上であった。 それに対し三者を代表して作者が「回答書」を作成、
と、制作者側の立場を明らかにした上で、「即時撤収要求」については、著作者としていささか疑義があり、次の「逆質問状」を送付した。
と、部落解放同盟福岡県連に回答を求めたのである。 その後、およそ10ヶ月にわたって、文書による著作者と部落解放同盟との論争は続いた。部落解放同盟福岡県連は調査団を岩手県に派遣して、伝承にある「あさみずの里」が被差別部落ではなかったか、それを突き止めるべく仔細に調べ、また著作者側も刊行物が安易に「発禁」とされるのを免れるため、部落解放同盟による撤収要求の正当性(「不当」と訴えたことは皆無だった)を確認するために、数次の督促状を送付した。 1975年9月30日、解放教育研究所の事務局長中村拡三の斡旋で、『わらいおおかみ』の作者と部落解放同盟福岡県連をはじめ関係三団体との直接討論が実現し、6時間に及ぶ真摯な話し合いによって、双方納得の行く合意が成立した。部落解放同盟側は
著作者側は、『わらいおおかみ』の「あとがき」などを工夫して、作意が曲解されぬよう十分配慮すると約束して、全面的に和解するところとなった。(「合意文書」は「解放教育」誌、1975年12月号に掲載されている) その後、「被差別部落の現状を、肌身で理解してほしい」との要望に応え、さねとうあきらは福岡・熊本・長崎などの部落解放同盟支部を歴訪、その成果を「創作民話」の形にして、部落解放同盟機関紙「解放新聞」に連載、『猪の宮参り』(1988年 明石書店)『おおかみがわらうとき』(1997年 明石書店)『福餅天狗餅』(2005年 解放出版社)などに収めて上梓。また解放教育研究所編集の人権読本『にんげん』に「ばんざいじっさま」「ふたりのデェデラ坊」「つるの便り」等のさねとう作品が採用され、解放教育を推進する有力な教材として、広く活用された。なお、絵本『わらいおおかみ』は、論争終結後も増刷されることなく、現在は絶版になっている。 主な作品リスト単行本
絵本
戯曲
評論集
受賞歴
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