しらさぎ (列車)
しらさぎは、西日本旅客鉄道(JR西日本)および東海旅客鉄道(JR東海)が名古屋駅・米原駅 - 敦賀駅間を東海道本線・北陸本線経由で運行する特別急行列車である。 本項では、中京圏と北陸地方を北陸本線経由で結んでいた優等列車(米原駅発着を含む)の沿革についても記述する。 概要1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線の開業に合わせて、名古屋駅 - 富山駅間の特急列車として運転を開始すべく準備が進められていた。しかし481系電車の落成が間に合わず、運転開始は12月25日にずれ込むことになった。運転開始当初は一等車と食堂車を含む11両編成で運行される。かつて特急「加越」として運転されていた東海道新幹線との接続駅である米原駅を発着する便と、中京圏の中心駅である名古屋駅を発着する便がある。名古屋駅を発着する列車は、米原駅で進行方向が変わる。 京阪神(関西)地区と北陸地方を結ぶ特急「サンダーバード」と同様に681系および683系が使用されているが、車体側面の青色ラインの下部にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色の細いラインが入っている点が異なる(青いラインより若干細い)[1]。 北陸新幹線の開業に伴う2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で、新幹線と重複する金沢駅 - 富山駅間は廃止され、金沢駅 - 富山駅間はシャトルタイプの新幹線「つるぎ」で代替された。また、金沢駅 - 和倉温泉駅間についても廃止され、金沢駅発着の特急「能登かがり火」を新設して代替された[2][3]。 列車名は山中温泉の開湯伝説に登場する白鷺が由来となっている。
北陸新幹線開業に伴う運転区間の変更2011年(平成23年)7月に行われたJR西日本の記者会見で、北陸新幹線の開業後、金沢駅以東への特急の運行を取りやめることが発表された[4]。富山県内から関西・中京圏へ向かう際に金沢駅で乗り換えが必要になり利便性が低下することから、富山県はJR西日本に対して特急の存続を求めていた[5]。しかし、普通列車の運行の制約になることや運行経費が第三セクター負担になった際に大赤字となることから特急の富山駅乗り入れの存続は難しいのではないかという見方もあった[6]。結果、「しらさぎ」の金沢駅 - 富山駅間の運転を取りやめることが2014年(平成26年)8月に公式発表され[7]、北陸新幹線金沢開業と同日の2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正をもって取りやめられた[2]。この代替として北陸新幹線金沢駅 - 富山駅間を各駅停車で往復する「つるぎ」を設定し、金沢駅で特急と乗り継ぎやすくすることで、利便性の維持を図った[3]。また、乗継割引を金沢駅においても導入することで、料金面でも利便性を確保したとしている[2]。北陸新幹線金沢開業以前は名古屋駅 - 和倉温泉駅間を運転する列車が1往復設定されていた。 金沢駅 - 和倉温泉駅間についてJR西日本は、同じく和倉温泉駅まで運行する「サンダーバード」の和倉温泉駅への運転を継続することに前向きな姿勢を示していた[8]。「サンダーバード」[注 1]の1往復を除いて特急の和倉温泉駅への直通運転を取りやめ、新たに金沢駅 - 和倉温泉駅間で5往復運転する特急を設定すると2014年(平成26年)8月に発表された[7]。2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で「しらさぎ」の金沢駅 - 和倉温泉駅間の運転を取りやめ、金沢駅 - 和倉温泉間に特急「能登かがり火」を5往復設定し、北陸新幹線や特急と金沢駅で乗り継ぎやすいダイヤを設定することで、三大都市圏からの利便性を維持・向上した[3]。 北陸新幹線の金沢駅 - 敦賀駅間が延伸した際についてJR西日本社長の来島達夫は、並行在来線区間を第三セクターに移管することを念頭において、敦賀駅より北への特急の乗り入れは行わず、敦賀駅で特急から新幹線へ乗り換える形を想定していると明らかにしている[9]。福井県側は、福井駅までの特急を存続させることや、敦賀駅までの特急について乗換に不便しないよう便数を確保することを国土交通省に要請していた[10]。しかし、「しらさぎ」については元々福井から中京圏への鉄道利用者が少ないことに加え、東京方面への移動が「しらさぎ」・東海道新幹線経由から北陸新幹線経由へ移り変わることから、北陸新幹線敦賀延伸後の「しらさぎ」福井駅乗り入れは難しいのではないかとの指摘があった[11]。 北陸新幹線の敦賀以西ルートにおいてのちに決定される「小浜・京都ルート」が優位になった時期に、北陸経済連合会は中京圏との利便性に配慮すべきとの観点から「しらさぎ」の存続を要望している[12]。 2022年(令和4年)2月、JR西日本は「優等列車の機能が北陸新幹線に移ることから、(第三セクター路線を)並行して走る理由がない」として「しらさぎ」を第三セクター路線に乗り入れさせないことを決定。これにより「しらさぎ」の運行区間は名古屋駅 - 敦賀駅間となることが確実視されることとなった[13]。 2024年(令和6年)3月16日の北陸新幹線敦賀延伸後は、名古屋駅・米原駅 - 敦賀駅間の運転となった。同時に普通車の自由席が廃止され、全車指定席となった[4]。名古屋発着の列車では、米原駅での座席方向の転換も継続している。 運行概況2024年(令和6年)3月16日現在、定期列車は名古屋駅 - 敦賀駅間で8往復(号数が1~16号)、加えて米原駅 - 敦賀駅間で7往復(51~64号)が設定され、後者の区間では計15往復、ほぼ毎時1本の等間隔ダイヤが組まれている。米原駅での東海道新幹線[注 2]、および敦賀駅での北陸新幹線への接続が考慮されており、いずれも10分程度で接続する。かつては石川県の金沢市以北・富山県から首都圏への重要なアクセスも担っていたが、まず1982年(昭和57年)の上越新幹線開業後はこの列車を利用して富山県から首都圏に向かう利用客が減少し、さらに1997年(平成11年)の北越急行ほくほく線開業でこの列車を利用して金沢市以北から首都圏に向かう利用客も減少し、2015年(平成27年)の北陸新幹線開業後は金沢市以北と首都圏とのアクセスは完全に北陸新幹線に移行した。 そして、2024年(令和6年)の北陸新幹線敦賀延伸後は福井駅以北と首都圏とのアクセスもほぼ完全に北陸新幹線に移行した。それに伴い「しらさぎ」の利用者は大幅に減少した[14]。 2008年(平成20年)3月14日まで、通勤・通学輸送の関係で平日のみ泊始発の「しらさぎ」が運転されていたが、翌15日のダイヤ改正で金沢行き「おはようエクスプレス」として分離された。 列車番号は名古屋駅発着の列車が号数+M、米原駅発着の列車は号数+5000Mである。 交通系ICカードについては、名古屋駅 - 米原駅間はTOICAエリア、米原駅 - 敦賀駅間はICOCAエリアであり、SFによる両エリアに跨る利用はできない。ただし、両エリアに跨るIC定期乗車券を定期券の区間内で乗り降りする場合はICカードを利用できる。 名古屋駅側では折り返し設備の余裕がないため、「ホームライナー大垣」2号からそのまま折り返しとなる1号を除いて熱田駅の留置線まで引き上げてから折り返しとなる。 前述のとおり、名古屋駅 - 敦賀駅間を直通する列車は米原駅でスイッチバックを行う。 停車駅名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 大垣駅 - 米原駅 -(長浜駅)- 敦賀駅
停車駅の詳細は以下の表を参照。
使用車両・編成
現在の車両
基本的に6両編成で運行する。米原~敦賀間では土休日や多客期等は付属3両編成を増結し、9両編成で運転する[注 3][3]。 間合い運用で本列車の他に、夜間滞泊先の大垣車両区との入出庫を兼ねた「ホームライナー大垣[注 4]」でも使用される。
過去の車両
担当車掌区所JR東海とJR西日本がそれぞれ自社線内を担当し、名古屋駅発着の列車は米原駅で交代する。なお、2004年(平成16年)3月ダイヤ改正までは運転士のみ交代し、車掌は両社ともに終着駅まで乗務していた。[要出典]
北陸新幹線延伸による運行区間縮小以前の概況以前の停車駅金沢駅 - 富山駅間および金沢駅 - 和倉温泉駅間は、2015年(平成27年)3月改正の北陸新幹線金沢延伸まで、敦賀駅 - 金沢駅間は、2024年(令和6年)3月改正の北陸新幹線敦賀延伸まで運行されていた。
臨時列車
中京圏対北陸本線優等列車概略兼六1966年(昭和41年)10月から1975年(昭和50年)3月まで名古屋駅 - 金沢駅間で運転されていた急行列車である。この区間では1964年(昭和39年)に特急「しらさぎ」が先に運転を開始していたため、定期列車の運転本数は1往復から増発されることはなかった。一等車またはグリーン車とビュッフェが連結された471・473系の12両編成で運転されていたが、1975年(昭和50年)3月10日に「しらさぎ」に統合されて廃止された。 列車名は、石川県金沢市にある日本庭園・兼六園が由来となっている。 くずりゅう![]() (1982年 福井駅) →敦賀駅 - 金沢駅間で運転されていた準急「くずりゅう」については「サンダーバード (列車)」を参照
米原駅で東海道新幹線と接続する急行列車として、1966年(昭和41年)12月から1985年(昭和60年)3月13日まで運転されていた急行列車である。471系による6両編成で、米原駅 - 金沢駅間で2往復(1往復は臨時列車)が運転され、新幹線との接続もよく、米原駅始発であることから着席が保障されるため利用客からの人気が高く、1968年10月には5往復(2往復は不定期列車)に倍増された。1969年(昭和44年)には米原駅 - 福井駅間の列車も設定されて6往復になり、1978年(昭和53年)10月2日には全列車が定期列車になった。 しかし、1982年(昭和57年)11月15日に「加越」の増発により1往復にまで減少し、1985年3月14日に廃止された。 列車名は、福井県内を流れる九頭竜川が由来となっている。 加越![]() (2002年11月20日 新疋田駅付近) →名古屋駅 - 金沢駅間に高山本線経由で運転されていた急行「加越」については「ひだ (列車)」を参照
湖西線の開業により米原駅経由で運転されていた「雷鳥」などの列車が湖西線経由に変更されることから、新たに米原駅で東海道新幹線に接続する特急列車として1975年(昭和50年)3月10日から2003年(平成15年)9月30日まで米原駅 - 金沢駅・富山駅間で運転されていた列車である。運転開始当初から、エル特急に指定され、6往復が運転されていた。485系7両編成で食堂車は運転開始当初から連結されていなかった。 夕焼けの東尋坊をイラストにしたヘッドマークが掲げられ、1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正では、在来線の列車として表定速度が当時最速の86.1 km/hに達する列車もあった[注 6]。1982年(昭和57年)の上越新幹線開業以降、富山駅発着列車は徐々に運転本数が削減され、1991年(平成3年)には米原駅 - 金沢駅間の運転に統一された。末期には臨時「しらさぎ」が運転される際、米原から先のダイヤに組み込まれることもあった。2003年(平成15年)7月に683系が投入されて485系の運用が終了すると「しらさぎ」との差違は運転区間の違いによるものだけになり、同年10月1日に「しらさぎ」に統合されて廃止された。 列車名は、福井県・石川県・富山県の旧国名である越前・加賀・越中を組み合わせたものである。 1982年(昭和57年)公開の映画「疑惑」の最後の場面で、桃井かおりが演じた白河(鬼塚)球磨子が、「加越」8号(富山駅 - 米原駅間)に乗車し富山駅を出発するシーンがある。 きらめき1988年(昭和63年)3月13日から1997年(平成9年)3月21日まで米原駅 - 金沢駅間で運転されていた特急列車である。ヘッドマークは「スーパーきらめき」と表示していた。「北越」系統の「かがやき」と共通の、座席間隔の拡大等の各種改装を行った485系が使用され、「加越」の速達列車として運転時間短縮のために停車駅を福井駅のみとした。また、繁忙期には東海道本線経由で京都駅まで延長運転され、途中彦根駅・近江八幡駅・草津駅・大津駅と主要駅にこまめに停車し、北陸地域と湖東地域の利便性を確保していた。運転開始当初は、全車普通車指定席の4両編成であったが、後にグリーン車(指定席)を連結した6両編成となった。1991年(平成3年)から自由席が連結され、その後停車駅も増えたことで「加越」との区別が曖昧になっていき、1997年(平成9年)3月22日の改正で「加越」に統合されて廃止された。 中京圏対北陸本線優等列車沿革運行の始まり
「しらさぎ」登場後
国鉄分割民営化以降
JR型車両への車両更新以降
北陸新幹線金沢延伸以降
北陸新幹線敦賀延伸以降
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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