なべやかん
なべやかん(1970年〈昭和45年〉8月22日[1][2] - )は、日本のお笑いタレント[1]・俳優・演出家・プロレスラー・元パワーリフティング日本代表。所属事務所はゴッデス・エンターテイメント。身長156cm[3]。東京都出身[1]。 来歴・人物本名は渡辺 心(わたなべ しん)。なべおさみ・笹るみ子夫妻のもとに出生。姉がひとりいる。 平子理沙とは成城学園初等学校の同級生(小学4年生まで)。雨宮塔子と鶴田真由、中山泰秀は成城学園高等学校の同級生。なお、高校3年で留年し、大西祥平と同じクラスになった[4]。中学・高校時代はラグビー部に所属していた。 成績不振で1年留年した上に成城大学への内部進学もできず、他大学への受験もことごとく失敗し2年浪人した(通算3浪)。1991年、彼の父親・なべおさみが明治大学の替え玉受験を行い、後に「明治大学替え玉受験」と報道され、当時のワイドショーネタとして大々的に採り上げられた。なお、おさみによれば替え玉受験の願書を提出したのは明大二部の商学部で、相撲部への推薦という形であった。[要出典] この事件によりおさみがバッシングに遭うなど喧騒の中で、おさみは由利徹に息子の庇護・師事を求め、「しばらく付け人として由利のもろもろの世話を…」という形でやかんの芸能界生活がスタートする。しかし、替え玉受験の件もあり、親の七光りで芸能界入りしたことには疑問の声が多かった。[要出典] その後、由利の元を離れたけし軍団に加入する。フジテレビ系深夜番組『北野ファンクラブ』に出演した際に「替え玉受験で大騒ぎになっている時、実は知り合いのマンションに潜伏していたが、そのマンションの目の前が『身代り不動尊』でした」と述懐して師匠のビートたけし・高田文夫両名に「懲りない奴だなコイツは!」と突っ込まれたことがある。たけし軍団入りが大きな話題になったためにそれが芸能活動のスタートという印象が強く、前述の由利徹の付き人経験はあまり知られていない[注釈 1]。[要出典] 芸名のなべは父の芸名から、やかんは明大二部(=夜間学部)商学部の裏口入学に失敗したことを、「なべ」と同じく台所道具である「やかん」に引っ掛けて命名[注釈 2]。本名は、渡辺晋の音を借りたものである。 2007年(平成19年)後半には自身のブログでの発言が様々な話題を巻き起こした。10月11日にWBC世界フライ級タイトルマッチが行われた際には挑戦者であった亀田大毅のボクシングスタイルと数々の反則行為に対して痛烈に批判。反則行為を行った亀田に対する批判に加え、芸能人という立場でありながら、番組制作サイドの姿勢についても厳しく言及するなどの毅然とした内容であり、これに対し賛否を含め大きな反響が巻き起こった。また11月13日に行われた、落語家の春風亭小朝、泰葉夫妻の離婚会見については、かなり過激な表現(「泰葉は放送禁止」「海老名家はおかしい」「泰葉は奈良の騒音おばさんと同じ類の人間」等)を用いて批判したため、一部擁護の意見以外非難が殺到し同ブログが炎上した[要文献特定詳細情報]。 なお、以後もブログの更新は続いており、その過激な発言への反響については当初ノーコメントを貫いた上新しい記事にはブログ読者の書き込みを禁止して、騒動を黙殺するかのような動きも見えたが、後にその件について自身の見解をブログ上で発表し、書き込み欄の復活と共に事態は一応の終息をみせてはいる[要文献特定詳細情報]。 エフエム茶笛のDJ兼ディレクターを務めていた、やかんより約10センチ背の高い8歳年下の荻野真理と婚約、2014年(平成26年)4月に結婚予定であることを発表した[5]。 2015年(平成27年)には特撮テレビドラマ『武蔵忍法伝 忍者烈風』を監督。撮影、出演も務めている。 2015年に赤坂に、父親であるおさみと共に監修を務める「おなべと地酒、鍋ごころ」という鍋料理専門店をオープン[6]。 2017年(平成29年)から2018年(平成30年)にはテレビドラマ『妖ばなし』に監督・脚本・撮影・出演として参加。このドラマの第16話では、自らの監督・脚本回に、父おさみも出演している。 2018年3月31日付で恩人のビートたけしがオフィス北野を退社するのに合わせ、同日付で自身も事務所を退社した[7]。 2018年4月24日、「ベストボディ・ジャパンプロレス」の設立記者会見にて、「本格的にプロレスデビューする」ことを表明[8]。 2018年12月1日より芸能事務所ワイエムエヌに所属[9]。やかんの紹介でなべおさみがワイエムエヌ関係者と繋がりが出来、業務提携。その関係でやかんの加入きっかけとなった[10]。 2021年(令和3年)3月31日、ワイエムエヌを退社[11]。同年4月8日より12月末までゴッデス・エンターテイメントに所属[11][12]。 2022年2月(令和4年)、生島企画室(後のFIRST AGENT)に所属したが[12]、2025年(令和7年)2月末で同社を退社し、ゴッデス・エンターテイメントに復帰した。同年1月の発覚した生島ヒロシのパワハラ問題とは、たまたまタイミングが被っただけで無関係だという[13]。 パワーリフティングパワーリフティングに傾倒し、世界選手権に日本代表として出場。1998年にアジアベンチプレス大会での優勝や1998年および1999年の世界パワーリフティング選手権のベンチプレス種目での準優勝など、国際大会で活躍。また全日本パワーリフティング選手権でも1998年,1999年,2000年が準優勝、2001年、2002年には優勝と、安定した成績を収めた。「たまたま僕の階級は競技人口が少なく、大会で参加者5人中1番になっただけだ」等、本人がしばしばトークのネタにしている。 主な記録・成績1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2004年
※2001年ワールドゲームズは軽量級、2004年は56kg級、それ以外はすべて52kg級 プロレス2018年8月5日、ベストボディ・ジャパン協会設立の「ベストボディ・ジャパンプロレス」品川プリンスホテル・ステラボール大会で、プロデビュー[14]。デビュー戦の相手は飯野雄貴&大鷲透、伊橋剛太組(パートナーは大和ヒロシ、澤木一貴)。10月18日にプロ第2戦となる大石真翔&旭志織組と対戦(パートナーは政宗)[15]。 タイトル歴ベストボディ・ジャパンプロレス
コレクター芸能界でも指折りのキャラクターグッズコレクターであり[1]、スター・ウォーズやゴジラをはじめとする特撮映画で用いたコスチュームなど、マニア垂涎のグッズを集めている。そのグッズの一部を『開運!なんでも鑑定団』に出品し、高評価を得た。 初めてのコレクションは小学5年生の頃母親に買ってもらった初代ゴジラで、小六の頃祖母に買ってもらったブルマァク・ゲゾラのソフビ人形と共にムックで紹介されている[16]。 エピソード
担当番組
出演映画
テレビ
テレビドラマ
ビデオ
DVD
舞台
著書
その他
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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