よいとまけ
よいとまけ(英: Yoitomake)は、北海道苫小牧市の銘菓。製造元は三星(みつぼし)。 特徴苫小牧市に所在する王子製紙工場に運び込まれる製紙原料の丸太をモチーフとしたロールケーキ(ロールカステラ)である。カステラの内側に、苫小牧を象徴する果物であるハスカップのジャムを塗って巻き上げ、最後に外側もハスカップジャムを塗り、グラニュー糖をまぶしてオブラートを巻いている[1]。商品名は丸太の積み下ろしでの労働者の掛け声「よいとぉ、まいたぁ(よいっと巻け)」から名付けられた[1]。 「よいとまけ」は派生商品も含めると2024年(令和6年)時点で年間約80万本を製造し[1]、このうち一般的なハスカップ味の1本物(ロールケーキ1本を7等分に切れ目を入れた状態で箱に入れたもの)は年間約50万本を出荷している[1]。 歴史苫小牧市の菓子製造会社、小林三星堂(現在の三星の前身)の創業家3代目であった小林正俊は、「苫小牧への気持ちを作品にしたい」との思いから1953年(昭和28年)に「よいとまけ」を考案した[1]。 見た目は戦前の苫小牧でみられた、同市に所在する王子製紙の製紙工場で使用される丸太をモチーフにし、当時は苫小牧郊外に広がる勇払原野に多く自生していたハスカップを原料としたジャムを塗ることで樹皮を表現した[1]。 ハスカップは後述するように当初は野生のものを用いており、初夏の限られた季節にしか採取できないことや、当初は手作業でロールケーキを巻いていたこともあり、販売初期は季節商品であったが、1969年(昭和44年)頃には採取したハスカップを冷凍して保存することで、通年販売を開始している[2]。 以降苫小牧銘菓として定着し、現在までに消費者の嗜好に合わせてグラニュー糖をかける量を控えるなどのマイナーチェンジは行われているものの[3]、基本的な構造は変わっていない[4][1]。ただし、当初は丸々1本のまま売られていたものは切る際にオブラートを巻き込んで切り分けが難しいという声が長年あったため、2009年(平成21年)11月に、工場に超音波カッターを導入したことにより、あらかじめ7等分に切られた形での販売がスタートした[3][5]。翌年には切られていない1本丸々の形は定期的な販売を終了して、リバイバル販売のみとなっている[6]。2018年(平成30年)11月には7等分した1切れのみを個包装とした「よいとまけ ひと切れ」も登場している[5]。 原材料のハスカップは発売初期の昭和30年代ごろは野生のハスカップを使用しており、地域住民が小遣い稼ぎに原野で摘んだ野生ハスカップを買い取るなどして調達していたが[7][8]、昭和40年代後半以降は苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画に伴う自生域の開発・縮小に伴い調達困難となったことから、1975年(昭和50年)ごろから美唄市の北海道立林業試験場(現:北海道立総合研究機構〔道総研〕森林研究本部林業試験場 以下、道林試)の協力を得て、勇払原野の野生種から苗木を作り、1977年(昭和52年)に美唄市内で栽培を始め[8]、現在は美唄市農業協同組合などから栽培物のハスカップを調達している。しかしハスカップの健康効果に注目が集まったことでハスカップの原料供給が追いつかないことがあり、ハスカップが不作となった2015年(平成27年)8月には初の姉妹商品としてジャムをいちごジャムとした「よいとまけ いちご」が登場(のちに定番商品化)[5][3]、その後2022年(令和2年)にりんご味、2023年(令和3年)にレモン味も登場している[1][3]。2025年(令和7年)3月にもハスカップの不作を受けて、伊達市大滝区産のアロニアを使用した「よいとまけ アロニア」を投入している[9]。 販売全道各地の三星の売店のほか、道内おみやげ店やインターネット通販でも購入できる。 逸話「日本一食べづらいお菓子」「よいとまけ」はジャムを表面に塗ったその構造から、発売当初より「食べるときに手がベタつく」などの注文が多くつき[4]、加えてかつては前述のように1本丸々の形で販売されていたため、切り分ける際に包丁がオブラートを巻き込み、ジャムが刃に付着するため、切り分けることも難しいお菓子であった。 2006年(平成18年)にはテレビ番組で「日本一食べづらいお菓子」と紹介されたことが契機となり[3]、現在ではこれを逆手に取って三星自身が「日本一食べづらいお菓子・・・でも、食べると美味しい」をキャッチコピーとしている[10]。 なお、「よいとまけ」が食べにくいことについて正俊は、「そんなことおっしゃらずに、よぉくこの形と色を見てください。力強さがあって、しかも美しいでしょう。多少指が汚れたって舐めてしまえばいいんです。この町を思いながら、もう一度食べてください。お願いします。」「このロールケーキは丸太ん棒、みんなが汗水たらして持ち上げていた丸太です。そう、この苫小牧の象徴なんです。そしてこのお菓子の名前はよいとまけ。つらい労働をしながらこの町を支えてくれている彼らを応援するお菓子なのです。」と語り、現在まで表面にジャムを塗った形が踏襲されている[4][1]。 ハスカップにおける伝承→「ハスカップ § 伝承とその真偽」も参照
正俊は「よいとまけ」を東京の三越日本橋本店で販売する際に、ハスカップに馴染みのない人々にハスカップを説明・宣伝するためとして、「ハスカップはアイヌの不老長寿の妙薬」という趣旨の話を捏造しており[11]、後年誤った伝承が定着する一因となっている。 受賞歴
コラボレーション
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |
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