アダム・ウィンガード
アダム・ウィンガード(Adam Wingard, 1982年12月3日[1] - )は、アメリカ合衆国の映画監督。 経歴1982年12月3日、テネシー州オーク・リッジに生まれる[2]。子供のころから映画に親しんでおり、『ターミネーター』や『エイリアン』シリーズを観て漠然と映画監督になりたいという思いを抱くものの、"この夢は現実的じゃない"と考えを改め漫画家を目指していたという。その後、父親からカムコーダを買ってもらい実際に作品を撮り始め、次第に"やはり自分は映画監督になれる"と確信を抱き、その道を歩み始める。 高校で友人たちと何本もの短編を作った後、フロリダ州にある映画学校「フル・セイル大学」に入学し、本格的に映画制作を学び始める。しかし、実際には授業のほとんどで寝ており、ナンパばかりの日々を送っていたらしい。本格的に映画を学んだ場所は大学の近くにあったStardustというビデオ店だったという。そこで彼はジャン=リュック・ゴダール監督作品や石井隆に三池崇史などの日本のカルト映画群に触れ、多大なる影響を受けることとなる。またこの時期、彼は今後の製作上のパートナーとなるE・L・カッツと運命的な出会いを果たす。ジョン・ウー監督の『ワイルド・ブリット』や何十本ものホラー映画を観て意気投合した2人は、一緒に映画を作ろうと決める。 19歳で卒業した後、ウィンガードは離婚した父親や3人の兄弟と共にアラバマ州へと移住することになるのだが、その地で長編監督作『Home Sick』を作る経緯についてウィンガードはこのように語っている。 "全てはカッツがアラバマ州に来た時に始まりました。家から一番近い、1時間くらいで着く本屋に行った時、彼は雑誌の束とコーヒーを持ってどうしてスラッシャー映画にハマったかを聞いてきました。そしたらスラッシャー映画集中特訓として『暗闇にベルが鳴る』から始まるオールタイム・スラッシャー映画ベストを渡してきた、そこから少しずつこの作品が築かれていったんです。プロットが思い浮かんだのは、カッツが『悪魔のいけにえ2』を見せてくれた時のことで、"ビル・モーズリーみたいなジャンル俳優のために脚本を書けたらクールじゃないか?"となり、実際にやってみて全てがあるべき場所に収まっていったわけです。" そしてカッツがモーズリーに脚本を送り出演を承諾されたのを皮切りに、ウィンガードは父に予算や住む場所を提供してもらいながら、2002年に19歳で初の長編監督作『Home Sick』を完成させる[3]。2007年、『Pop Skull』がAFI映画祭にてプレミア上映される[4]。2010年、『ビューティフル・ダイ』を手掛ける[5]。2011年、『サプライズ』がトロント国際映画祭に出品される[6]。2014年、ダン・スティーヴンス主演の『ザ・ゲスト』がサンダンス映画祭で上映される[7]。 フィルモグラフィー長編映画
短篇映画
テレビ
脚注
外部リンク |
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