イマン・シャンパート
イマン・アサンテ・シャンパート(Iman Asante Shumpert、1990年6月26日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州オークパーク出身のバスケットボール選手。ポジションは主にシューティングガード。 経歴学生時代イリノイ州の地元の高校では、エバン・ターナーの後輩だった。大学はクリス・ボッシュなどを輩出したジョージア工科大学に進学。3年生時に平均17.7点を記録し、ACCのオールディフェンシブチームの2ndチームに選出された[2]。 ニューヨーク・ニックスシャンパートは2011年のNBAドラフトにエントリーし、全体17位でニューヨーク・ニックスから指名された。しかし、膝の怪我や慣れないポイントカードでのプレーなど、本領を発揮したとは言えず、2012年4月28日のプレーオフ1回戦のマイアミ・ヒート戦では、左膝の前十字靭帯を断裂する重傷を負ってしまった[3]。 2012-13シーズンは、左膝の手術の影響で45試合の出場に止まり、出場時間も成績の前シーズンよりダウン。2013-14シーズンも平均6.7点に止まった。 クリーブランド・キャバリアーズ2015年1月6日、オクラホマシティ・サンダーも加わった三角トレードで、J・R・スミスと共にクリーブランド・キャバリアーズに移籍し[4]、NBAファイナル進出に貢献。7月9日に4年4000万ドルで再契約[5]。2015-16シーズンは開幕前に右手首を手術した為に開幕から欠場していたが、12月11日のオーランド・マジック戦でシーズン初出場を果たした[6]。その後はシックスマンの役割をこなし、自身初のNBAチャンピオンを経験した。 サクラメント・キングス2018年2月8日、トレードでサクラメント・キングスに移籍した[7]。 ヒューストン・ロケッツ2019年2月7日、トレードでヒューストン・ロケッツに移籍した。オフにFAとなった。 ブルックリン・ネッツ2019年11月13日、ドーピングで25試合の出場停止処分となったウィルソン・チャンドラーの代役としてブルックリン・ネッツと契約した。チャンドラーの出場停止処分が解けた12月12日、ネッツから解雇された。2021年1月31日、再びブルックリンネッツと契約した。 NBA個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
プレースタイルルーキーシーズンはニックスにポイントガードが事実上不在だったこともあり、ジェレミー・リンが大ブレイクするまでボール運びを任されることもあったが、ゲームメイクが出来るだけの能力を兼ね備えているわけではない。ガードの選手に必要な3ポイントシュートを兼ね備えているものの、どちらかと言えばディフェンスで効力を発揮するタイプで、左膝の重傷を負ってからは、オフェンスの方は「積極性に欠けている」と評されることが多い。 ディフェンス面は高く評価されており、現在はニックスの球団社長を務めるフィル・ジャクソンからも絶賛され、クリーブランド・キャバリアーズ元HCのティロン・ルーも評価している。 その他脚注
外部リンク
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