ティモフェイ・モズコフ
ティモフェイ・パブロビッチ・モズコフ(英語: Timofey Pavlovich Mozgov,ロシア語: Тимофей Павлович Мозгов、1986年7月16日 - )はロシアクラスノダール出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター。 来歴ヨーロッパ時代2004年、ロシアの2部リーグに所属するLenVo St. Petersburgでプロ生活を始めた。2006年にCSK VVS-2 Samaraに移籍、2006-2007シーズン開幕前にヒムキBCに移籍して2009-2010シーズンまで所属した。 NBAニューヨーク・ニックス2010年にNBAのニューヨーク・ニックスとの3年総額970万ドルの契約に合意した[1]。11月23日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でブレイク・グリフィンにダンクショットを許したが[2]、自身の頭上から決められたシーンのポスターで知られている[3]。2011年1月30日のデトロイト・ピストンズ戦でシーズンハイとなる23得点、14リバウンドを記録し、チームは124-106で勝利した[4]。 デンバー・ナゲッツ2月22日にカーメロ・アンソニーが絡む大型トレードでデンバー・ナゲッツへ移籍した[5]。同年夏、NBAのロックアウト中にBCヒムキに復帰した[6][7]。 2013年7月27日にナゲッツとの延長契約に合意した[8]。 2014年4月10日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦でキャリアハイとなる23得点、29リバウンドを含む3アシスト、1スティールを記録し、チームは100-99で勝利した[9]。 クリーブランド・キャバリアーズ2015年1月7日に2つの2015年のプロテクト付き1巡目指名権とのトレードで、2015年のドラフト2巡目指名権と共にクリーブランド・キャバリアーズへ移籍した[10]。キャバリアーズに移籍するまでは背番号25番を着用することが多かったが、マーク・プライスの永久欠番となっていることから、ソビエト連邦のハンドボール選手だった父親の背番号20番を着けていた[11]。2016年に自身初かつフランチャイズ史上初となるNBAチャンピオンを獲得し、チームメイトのサーシャ・カーンと共にNBAチャンピオンを獲得した史上初のロシア人選手となった。 ロサンゼルス・レイカーズ7日8日にロサンゼルス・レイカーズとの4年総額6,400万ドルの契約に合意した[12]。 ブルックリン・ネッツ2017年6月20日にブルック・ロペス、カイル・クーズマのドラフト権とのトレードで、ディアンジェロ・ラッセルと共にブルックリン・ネッツへ移籍した[13]。 2018年7月6日にドワイト・ハワードとのトレードで、ハミドゥ・ディアロのドラフト権、2021年のドラフト2巡目指名権、金銭と共にシャーロット・ホーネッツへ放出されたが[14]、翌日に3チームが絡むトレードでオーランド・マジックへ放出された[15]。 2019年7月6日に、膝の怪我で1試合も出場しなかったがためにマジックから解雇された[16]。 ロシアリーグ復帰BCヒムキ復帰7月31日にロシア・スーパーリーグのBCヒムキとの1年契約に合意したが[17]、2019-20シーズンは膝の怪我により全休した。 ルナ・バスケット・モスクワ2021年12月23日にルナ・バスケット・モスクワとの契約に合意した[18]。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレイオフ
代表歴ロシア代表として2009年バスケットボール男子欧州選手権と2010年バスケットボール世界選手権に出場している。2010年世界選手権では平均13得点、4.4リバウンドをあげた[19]。 また、2012年のロンドン五輪では3位入賞に貢献した[8]。因みに当時のヘッドコーチは、一時、クリーブランド・キャバリアーズヘッドコーチでもあったデビッド・ブラットである[20]。 脚注
関連項目外部リンク
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