ウーゴ・ヴィエイラ
ウーゴ・ヴィエイラ(ポルトガル語: Hugo Vieira)ことウーゴ・フィリペ・ダ・コスタ・オリヴェイラ(ポルトガル語: Hugo Filipe da Costa Oliveira、1988年7月25日 - )は、ポルトガルのサッカー選手。ポジションはフォワード。 来歴幼少期はGKを務めていたが、俊敏性を評価され後にFWに転向[1]。2006年にポルトガルのサンタ・マリアでプロとしてのキャリアをスタートさせ、国内外のクラブを渡り歩いた。2015年にセルビアのレッドスター・ベオグラードに加入し、得点ランク2位となる20ゴールを挙げ、チームのリーグ優勝に貢献。セルビア・スーペルリーガMVPも受賞した[2]。 2017年1月7日、横浜F・マリノスへの移籍加入が発表された[3][2]。中国のクラブからもオファーがあったが、それを断りマリノスを選択した[4]。2月25日、2017シーズン開幕となった浦和レッズ戦にて後半にコーナーキックをニアで合わせ、Jリーグ初ゴールを記録した[5]。この試合後のインタビューでは既に日本の文化や食生活に順応し、満足していると語っている[6]。一方で夏場には富樫敬真の台頭もあり出番が減少。移籍を示唆するなどフラストレーションを溜めていた時期もあった[7]。9月20日、天皇杯4回戦の広島戦にて来日初のハットトリックを記録。クロスを上げるとフェイクをかけてサイドネットに突き刺した3ゴール目は話題となり、母国ポルトガルでもその活躍が報じられた[8][9][10]。 2018年3月31日、第5節の清水戦では3試合連続得点を決めた[11]。4月21日、第9節の湘南戦ではハットトリックを決めた[12]。10月14日、ルヴァンカップ準決勝の鹿島戦では第1戦と第2戦の両試合で得点を決めて決勝進出に貢献した[13]。12月1日、Jリーグ最終節のC大阪戦後、ロッカールームに戻った後に続いたサポーターのコールに応え再びゴール裏に姿を見せた。鳴り響くコールに対して、涙を流しながら手を振りサポーターへの感謝を示した[14]。この一連の出来事に対して「感動的でした。F・マリノスは、ここにいて気持ちがいい、居心地のいいチームです。F・マリノスに来てからの2年間はポジティブなことしか思い浮かばないですし、私にとって宝物です。」とマリノスとサポーターに対する想いを述べた[15]。12月10日、マリノスとの契約満了が発表された。マリノス退団に際し、「長くプレーしたいと思えたチームを離れるのは辛いことですが、たくさんの素晴らしい思い出を持ち帰ります。 ファン・サポーターの皆さん、チームメイト、クラブスタッフの皆さん、今まで本当にありがとうございました。 これからは、いちサポーターとしてマリノスを応援します。一度トリコロールの仲間になった私は永遠にトリコロールの一員です!」というコメントを寄せた[16]。 2019年1月、トルコのスィヴァススポルへ移籍したが[17]、加入後間もなく左膝を負傷し出場機会はなかった。2019-2020シーズンもリーグ戦での出場機会はなく、カップ戦3試合1ゴールにとどまり、2020年1月24日、双方合意の下で契約を解除し、退団した[18]。 2020年1月28日、6季ぶりの復帰となるジル・ヴィセンテへの加入が発表された[19]。加入当初は機会を得ていたが、シーズン終了後に監督が代わると構想外となり、10月6日、双方合意の上でジル・ヴィセンテとの契約を解除し退団[20]。29日、北海道コンサドーレ札幌への加入が発表された[20][21]。 札幌ではリーグ終盤3試合に出場するも、12月21日にシーズン終了をもって契約満了となり退団することが発表された[22]。 2021年7月7日、ルーマニアのウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ加入が発表されたが[23][24]、2022年1月7日、クラブ側の不手際により退団した[25]。 2022年1月31日、マルタのヒバーニアンズへの加入が発表された[26]。 2023年7月26日、ポルトガルのサンタ・マリアに復帰した[27]。 人物マリノスでGKコーチを務める松永成立は、GK目線でヴィエイラを「ゴールへの意識が強く、緊迫した場面でも冷静でいられる。GKのタイミングをずらす術に長けたイヤな選手」と評し、そのような選手の例としてラモン・ディアスを挙げている[28]。 ゴール後、左腕にキスをするのは、病死した前妻に捧げるパフォーマンスである[28]。 2017年3月29日、第一子となる女児が誕生[29]。2020年9月には男児が誕生している。 個人成績
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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