エジミウソン・ドス・サントス・シルバ
エジミウソン・ドス・サントス・シルバ(Edmílson dos Santos Silva, 1982年9月15日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 来歴5歳の時にサッカーを始める[4]。 15歳からSEパルメイラスの下部組織で育ち、19歳でトップデビュー[4]。2003年ブラジル全国選手権2部にて12試合で7得点を挙げ、名門チームの1部復帰に貢献した。 2004年、Jリーグのアルビレックス新潟へ期限付き移籍し[5] 得点を量産すると、2005年に約3億円の移籍金で完全移籍。新潟には2007年まで在籍[6]。公式戦138試合出場・76得点を記録しエースとしてチームのJ1定着に貢献した。 2008年に浦和レッドダイヤモンズに完全移籍[7]。加入当初は、チームへの適応に時間を要したことから、サポーターからブーイングや応援ボイコットを受けた時期もあったが、高原直泰らとのポジション争いを制し、コンスタントに得点を重ねチームの得点源として活躍した。また、前線での積極的なチェイシングにより守備面でも大きく貢献。2009年6月13日、ナビスコカップ第7節、対大宮戦で日本での通算100得点を達成[8]。J1において新記録となる6シーズン連続10得点以上も達成した。2010年もエースストライカーとして君臨。J1通算200試合出場の節目の試合でもあった8月21日の対湘南ベルマーレ戦で2得点を挙げ、史上最年少でのJ1通算100得点を達成[9]、初の20代で達成した選手となった。また自身が持つJ1連続10得点以上の記録を7シーズンに更新、チームの調子が上がらない中でもリーグ3位となる16得点を記録、自身初のリーグ戦全試合出場を果たした。 2011年、これまでの実績を買われ永井雄一郎が退団して以来欠番になっていた9番に背番号を変更してシーズンを迎えたが、カタールのアル・ガラファから正式オファーが届きクラブ間で合意[10]。自身が望まない形で[11] 離日し、アル・ガラファへ完全移籍することとなった[12]。 2012年7月、アル・ガラファからFC東京に半年間の期限付き移籍[13]。約1年ぶりのJリーグ復帰となった。ボールを引き出す動きには秀でたものを見せたが、試合勘の無さから[14] 目立った活躍は出来ず、同年12月、契約期間満了により退団した[15]。 2013年4月、母国ブラジルのCRヴァスコ・ダ・ガマへ移籍[2]。翌2014年の州選手権では得点王に輝いた。2015年1月、レッドブル・ブラジルへ移籍し[16] 州選手権でチーム得点王となった。同年4月、シャペコエンセへ移籍[17]。 2015年7月、1年でのJ1復帰を目指す[18]J2・セレッソ大阪へ移籍[19][3]。切り札としての期待には[18]応えられずチームは昇格を逃し、同年限りで契約を満了し退団[20]。 2016年1月、古巣レッドブル・ブラジルへ移籍[21]。同年5月、スポルチ・レシフェへ移籍[22]。 人物・エピソード
所属クラブ![]()
個人成績
その他の公式戦
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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