氏名
出身国
所属
撃墜機数
備考
エーリヒ・ハルトマン
ドイツ
ドイツ空軍
352
史上最多撃墜者。「黒い悪魔」「ブロンドの騎士」「ブービ(坊や)」などの通称がある。
ゲルハルト・バルクホルン
ドイツ
ドイツ空軍
301
エーリヒ・ハルトマンに次ぐ撃墜数の保持者。撃墜数300機越えは史上でもこの2人だけである。
ギュンター・ラル
ドイツ
ドイツ空軍
275
3位ではあるが、ハルトマン、バルクホルンの約半分の出撃数で達成した記録である。見越射撃を得意とした。
オットー・キッテル
ドイツ
ドイツ空軍
267
通称「シトゥルモヴィーク の壊し屋」。
ヴァルター・ノヴォトニー
オーストリア
ドイツ空軍
258
航空戦史上初の250機撃墜達成者。 世界初のジェット戦闘機 部隊指揮官。
ヴィルヘルム・バッツ
ドイツ
ドイツ空軍
237
通称「ヴィリー」。 僅か1年で224機撃墜を記録。
エーリッヒ・ルドルファー
ドイツ
ドイツ空軍
222
2016年 時点において100機以上の撃墜記録を持つエースで最後の存命者だった。
オスカー=ハインリヒ・ベール
ドイツ
ドイツ空軍
220
通称「プリッツル」。この通称は彼の好物であるキャンディの銘柄からつけられたものといわれる。
ヘルマン・グラーフ
ドイツ
ドイツ空軍
212
航空戦史上初の200機撃墜達成者。
ハインリヒ・エールラー
ドイツ
ドイツ空軍
208
通称「極北のエース」。
テオドール・ワイセンベルガー
ドイツ
ドイツ空軍
208
愛称「テオ」。3度の搭乗機種転換を経て200機以上の撃墜を記録した猛者。
ハンス・フィリップ
ドイツ
ドイツ空軍
206
通称「フィップス」。
ヴァルター・シュック
ドイツ
ドイツ空軍
206
通称「ゾーンデル」。
アントーン・ハフナー
ドイツ
ドイツ空軍
204
通称「トーニ」。
ヘルムート・リップフェルト
ドイツ
ドイツ空軍
203
15回撃墜されたが全て無傷だった。
ヴァルター・クルピンスキー
ドイツ
ドイツ空軍
197
通称「グラーフ・プンスキ(プンスキ伯爵)」。
アントーン・ハックル
ドイツ
ドイツ空軍
192
JG77→JG11→JG76→JG26→JG300と、所属戦闘航空団(JG)を5度も転属した。通称「トニ」。
ヨアヒム・ブレンデル
ドイツ
ドイツ空軍
189
独ソ戦に参戦したJG51内のトップエース。
マックス・シュトッツ
ドイツ
ドイツ空軍
189
第二次大戦前はオーストリア軍に所属。
ヨアヒム・キルシュナー
ドイツ
ドイツ空軍
188
パラシュート脱出後、クロアチアのパルチザンに虐殺された。
クルト・ブレントル
ドイツ
ドイツ空軍
180
ギュンター・ヨステン
ドイツ
ドイツ空軍
178
大戦中一度も撃墜されなかった。戦後、ハルトマンの跡を継ぎドイツ連邦軍 JG71の司令に就任。
ヨハネス・シュタインホフ
ドイツ
ドイツ空軍
176
通称「マッキ」。
エルンスト=ヴィルヘルム・ライネルト
ドイツ
ドイツ空軍
174
ギュンター・シャック
ドイツ
ドイツ空軍
174
エミール・ラング
ドイツ
ドイツ空軍
173
一日での最高撃墜数(18機)を記録。
ハインツ・シュミット
ドイツ
ドイツ空軍
173
僅か3週間で約50機を撃墜。
ホルスト・アデマイト
ドイツ
ドイツ空軍
166
ゼーノートディーンスト に救助された経験あり。
ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ
ドイツ
ドイツ空軍
162
通称「フュルスト(侯爵)」。
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ
ドイツ
ドイツ空軍
158
対英戦線でのトップ・エース。 通称「アフリカの星」、「黄色の14」、「砂漠の王子」等。ルフトヴァッフェでの最年少大尉。
撃墜した158機は全て西側連合軍機である。
ハインリヒ・シュトルム
ドイツ
ドイツ空軍
158
JG52第II飛行隊第4中隊トップエース。
ゲルハルト・ティベン
ドイツ
ドイツ空軍
157
フォッケウルフ Fw190 による大戦最後の戦果を上げたパイロット。通称「ゲルト」。
ハンス・バイスヴェンガー
ドイツ
ドイツ空軍
152
ペーター・デュットマン
ドイツ
ドイツ空軍
150
やたら胴体着陸を行って難を逃れたエース。通称「ボニファティウス」。
ゴードン・ゴロプ
ドイツ
ドイツ空軍
150
フリッツ・テクトマイヤー
ドイツ
ドイツ空軍
146
アルビン・ヴォルフ
ドイツ
ドイツ空軍
144
クルト・タンツァー
ドイツ
ドイツ空軍
143
フリードリヒ=カール・ミュラー
ドイツ
ドイツ空軍
140
フリードリヒ・ヴァコウィアク
ドイツ
ドイツ空軍
140
カール・グラッツ
ドイツ
ドイツ空軍
138
ハインリヒ・ゼッツ
ドイツ
ドイツ空軍
138
ルドルフ・トレンケル
ドイツ
ドイツ空軍
138
10日間で5回も緊急脱出をしている。
フランツ・シャル
ドイツ
ドイツ空軍
137
ヴァルター・ヴォルフルム
ドイツ
ドイツ空軍
137
ドイツ空軍には約2年ほどしかいなかったにもかかわらず100機以上を撃墜。
アドルフ・ディックフェルト
ドイツ
ドイツ空軍
136
青年時代はハンナ・ライチュ から直々にグライダー操縦を学んでいる。
ホルスト=ギュンター・フォン・ファッソング
ドイツ
ドイツ空軍
136
オットー・フェネコルト
ドイツ
ドイツ空軍
136
カール=ハインツ・ヴェーバー
ドイツ
ドイツ空軍
136
ヨアヒム・ミュンヒェベルク
ドイツ
ドイツ空軍
135
ハンス・ヴァルトマン
ドイツ
ドイツ空軍
134
アルフレート・グリスラフスキ
ドイツ
ドイツ空軍
133
ヨハネス・ヴィーゼ
ドイツ
ドイツ空軍
133
Il-2 ばかり撃墜していたため、ソ連側から「クバーニのライオン」とあだ名された。
アドルフ・ボルヒャース
ドイツ
ドイツ空軍
132
エルヴィン・クラウゼン
ドイツ
ドイツ空軍
132
ヴィルヘルム・レムケ
ドイツ
ドイツ空軍
131
ハインリヒ・シュテール
ドイツ
ドイツ空軍
130
フランツ・アイゼナハ
ドイツ
ドイツ空軍
129
ヴァルター・ダール
ドイツ
ドイツ空軍
128
通称「ラムダール(Rammdahl:突撃ダール)」。記録はダールの自伝によるもの。実際の撃墜戦果は100機以下といわれる。
フランツ・デール
ドイツ
ドイツ空軍
128
ルドルフ・ラデマッヒャー
ドイツ
ドイツ空軍
126
ヨーゼフ・ツヴェルネマン
ドイツ
ドイツ空軍
126
エーリヒ・ハルトマンが僚機を務めたことがある。
ディートリヒ・フラバク
ドイツ
ドイツ空軍
125
通称「ディーター」。
ゲルハルト・ホフマン
ドイツ
ドイツ空軍
125
ヴォルフ・エッテル
ドイツ
ドイツ空軍
124
ヘルベルト・イーレフェルト
ドイツ
ドイツ空軍
123
生涯通算撃墜数は132機(スペイン内戦で9機撃墜)。
ヴォルフガング・トネ
ドイツ
ドイツ空軍
122
ハインツ・マルカルト
ドイツ
ドイツ空軍
121
ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー
ドイツ
ドイツ空軍
121
通称「サン・トロンの幽霊」。夜戦撃墜数では史上最多。
ローベルト・ヴァイス
ドイツ
ドイツ空軍
121
フリードリヒ・オプレーザー
ドイツ
ドイツ空軍
120
エーリヒ・ライエ
ドイツ
ドイツ空軍
118
フランツ=ヨーゼフ・ベーレンブロク
ドイツ
ドイツ空軍
117
ハンス=ヨアヒム・ビルクナー
ドイツ
ドイツ空軍
117
ヤコプ・ノルツ
ドイツ
ドイツ空軍
117
ヴァルター・エーザウ
ドイツ
ドイツ空軍
117
ハインツ・ヴェルニッケ
ドイツ
ドイツ空軍
117
アウグスト・ランベルト
ドイツ
ドイツ空軍
116
ヴィルヘルム・クリニウス
ドイツ
ドイツ空軍
114
ヴェルナー・シュレーア
ドイツ
ドイツ空軍
114
ハンス・ダンマース
ドイツ
ドイツ空軍
113
ソ連2位の撃墜数を誇るアレクサンドル・ポクルィシュキン に撃墜されるも生還。
ベルトルト・コルツ
ドイツ
ドイツ空軍
113
クルト・ビューリゲン
ドイツ
ドイツ空軍
112
クルト・ウッベン
ドイツ
ドイツ空軍
111
ヘルムート・レント
ドイツ
ドイツ空軍
110
夜戦撃墜数ではドイツ空軍において第2位。
フランツ・ヴォイディヒ
ドイツ
ドイツ空軍
110
エミール・ビッシュ
ドイツ
ドイツ空軍
108
ハンス・ハーン
ドイツ
ドイツ空軍
108
通称「アッシ」。
ベルンハルト・フェクテル
ドイツ
ドイツ空軍
108
ヴィクトール・バウアー
ドイツ
ドイツ空軍
106
ヴェルナー・ルーカス
ドイツ
ドイツ空軍
106
ギュンター・リュッツオウ
ドイツ
ドイツ空軍
105
アドルフ・ガーランド
ドイツ
ドイツ空軍
104
ドイツ空軍戦闘機隊総監。JV44「騎士鉄十字勲章部隊」の指揮官。
エーベルハルト・フォン・ボレムスキ
ドイツ
ドイツ空軍
90とも104とも
ハインツ・ザクセンベルク
ドイツ
ドイツ空軍
104
ハルトマン・グラッサー
ドイツ
ドイツ空軍
103
ジークフリート・フライターク
ドイツ
ドイツ空軍
102
フリードリヒ・ガイスハルト
ドイツ
ドイツ空軍
102
エゴン・マイヤー
ドイツ
ドイツ空軍
102
マックス=ヘルムート・オステルマン
ドイツ
ドイツ空軍
102
ヨーゼフ・ヴュルムヘラー
ドイツ
ドイツ空軍
102
通称「ゼップ」。
ルドルフ・ミーティク
ドイツ
ドイツ空軍
101
ヴェルナー・メルダース
ドイツ
ドイツ空軍
101
生涯通算撃墜数は115機(スペイン内戦で14機撃墜)。
ヨーゼフ・プリラー
ドイツ
ドイツ空軍
101
ノルマンディー上陸作戦 当日に上陸阻止に出た戦闘機(2機)の隊長機を操縦。
ウルリヒ・ヴェルニッツ
ドイツ
ドイツ空軍
101
ラインハルト・ザイラー
ドイツ
ドイツ空軍
100
スペイン内戦で9機撃墜。
パウル=ハインリヒ・デーネ
ドイツ
ドイツ空軍
100
通称「ザロッティ」。
ハインリヒ・バーテルス
ドイツ
ドイツ空軍
99
レオポルト・シュツィンバッツ
ドイツ
ドイツ空軍
99
ヴォルフガング・シュペーテ
ドイツ
ドイツ空軍
99
世界初にして唯一のロケット戦闘機実戦部隊司令を務めた。
ハンス・シュレーフ
ドイツ
ドイツ空軍
98
ホルスト・ハンニク
ドイツ
ドイツ空軍
98
グスタフ・レーデル
ドイツ
ドイツ空軍
98
ヘルムート・レフラー
ドイツ
ドイツ空軍
98
ヘルムート・メルテンス
ドイツ
ドイツ空軍
97
ヘルマン・シュラインヘーゲ
ドイツ
ドイツ空軍
97
ハインリヒ・ホフェメイアー
ドイツ
ドイツ空軍
96
ジークフリート・レムケ
ドイツ
ドイツ空軍
96
ディートヘルム・フォン・アイフェル=ストライバー
ドイツ
ドイツ空軍
96
レオポルト・ミュンスター
ドイツ
ドイツ空軍
95
アントーン・デーベレ
ドイツ
ドイツ空軍
94
ハインリヒ・クレッペル
ドイツ
ドイツ空軍
94
ルドルフ・ミュラー
ドイツ
ドイツ空軍
94
101機撃墜の可能性あり。
ルドルフ・レッシュ
ドイツ
ドイツ空軍
93
スペイン内戦で1機撃墜。
エドムント・ロスマン
ドイツ
ドイツ空軍
93
エーリヒ・ハルトマンの最初の編隊長機。
ジークフリート・シュネル
ドイツ
ドイツ空軍
93
ヘルムート・ベンネマン
ドイツ
ドイツ空軍
93
オスカー・ロム
ドイツ
ドイツ空軍
92
ゲルハルト・ルース
ドイツ
ドイツ空軍
92
アントーン・レッシュ
ドイツ
ドイツ空軍
91
ゲオルグ・シェントケ
ドイツ
ドイツ空軍
90
87機撃墜とも。
ハインツ・ケメスミュラー
ドイツ
ドイツ空軍
89
ヨーゼフ・イェンネヴァイン
ドイツ
ドイツ空軍
86
1939年アルペンスキー世界選手権 アルペン複合 金メダリスト。
アントーン・マダー
ドイツ
ドイツ空軍
86
ウルリヒ・ヴェーネルト
ドイツ
ドイツ空軍
86
ゲルハルト・ケッペン
ドイツ
ドイツ空軍
85
ヴァルター・ツェロット
ドイツ
ドイツ空軍
85
ヴェルナー・クァスト
ドイツ
ドイツ空軍
84
ハインツ・エヴァルト
ドイツ
ドイツ空軍
84
ペーター・カルデン
ドイツ
ドイツ空軍
84
ハインリヒ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン
ドイツ
ドイツ空軍
83
夜間戦闘における撃墜記録はドイツ空軍で第3位。
オットー・ヴェスリンク
ドイツ
ドイツ空軍
83
フランツ・ベイエル
ドイツ
ドイツ空軍
83
ヴァルター・オーロッゲ
ドイツ
ドイツ空軍
83
ハンス・ゲッツ
ドイツ
ドイツ空軍
82
ハンス・グリューンベルグ
ドイツ
ドイツ空軍
82
ヘルムート・ミスナー
ドイツ
ドイツ空軍
82
エミール・ダーイェス
ドイツ
ドイツ空軍
82
フーゴ・ブロッホ
ドイツ
ドイツ空軍
81
2020年現在存命。
ヴィリー・ネーミッツ
ドイツ
ドイツ空軍
81
ヴィルヘルム・フィリップ
ドイツ
ドイツ空軍
81
ルドルフ・ヴァグナー
ドイツ
ドイツ空軍
81
マックス=ヘルマン・レッケ
ドイツ
ドイツ空軍
81
ヘルベルト・バフニック
ドイツ
ドイツ空軍
80
オットー・ヴェーフェル
ドイツ
ドイツ空軍
79
ゲオルグ=ペーター・エーダー
ドイツ
ドイツ空軍
78
通称「ショルシュ」。
ハインリヒ・クラフト
ドイツ
ドイツ空軍
78
通称「ガウディ」。
カール=ゴットフリート・ノルトマン
ドイツ
ドイツ空軍
78
ヴォルフガング・エヴァルト
ドイツ
ドイツ空軍
78
アレクサンダー・プラインファルク
ドイツ
ドイツ空軍
78
ヨハン=ヘルマン・マイアー
ドイツ
ドイツ空軍
78
フーベルタス・フォン・ボニン
ドイツ
ドイツ空軍
77
内4機がスペイン内戦
ヨーゼフ・ハイベック
ドイツ
ドイツ空軍
77
ハンス=ヨアヒム・クロシンスキ
ドイツ
ドイツ空軍
76
マキシミリアン・マイエール
ドイツ
ドイツ空軍
76
アルフレット・トイメル
ドイツ
ドイツ空軍
76
エドヴィン・ティール
ドイツ
ドイツ空軍
76
ヘルムート・グロールムス
ドイツ
ドイツ空軍
75
ハンス・レーリク
ドイツ
ドイツ空軍
75
ヨアヒム・ヴァンデル
ドイツ
ドイツ空軍
75
ヨハネス・ブンツェク
ドイツ
ドイツ空軍
75
グスタフ・フリーリンガウス
ドイツ
ドイツ空軍
74
フリードリヒ・ハース
ドイツ
ドイツ空軍
74
アントーン・リンドナー
ドイツ
ドイツ空軍
73
オットー・シュルツ
ドイツ
ドイツ空軍
73
ゲルハルト・ミヒャルスキ
ドイツ
ドイツ空軍
73
ヴィルヘルム・ハージェット
ドイツ
ドイツ空軍
72
クラウス・ミーテュシュ
ドイツ
ドイツ空軍
72
ヴィルヘルム・ミンク
ドイツ
ドイツ空軍
72
カール・ハインツ・シュネル
ドイツ
ドイツ空軍
72
アドルフ・グルンツ
ドイツ
ドイツ空軍
71
ハンス・フース
ドイツ
ドイツ空軍
71
アルフレット・ヘックマン
ドイツ
ドイツ空軍
71
ギュンター・シェール
ドイツ
ドイツ空軍
71
ヘルベルト・ロールヴェイジ
ドイツ
ドイツ空軍
71
ヘルマン=フリードリヒ・ヨッピーン
ドイツ
ドイツ空軍
70
通称「ユップ」。
ハインツ・ランゲ
ドイツ
ドイツ空軍
70
ルーディ・リンツ
ドイツ
ドイツ空軍
70
エミール・オーメルト
ドイツ
ドイツ空軍
70
エルンスト・ヴァイズマン
ドイツ
ドイツ空軍
69
オイゲン=ルートヴィヒ・ツヴァイガルト
ドイツ
ドイツ空軍
69
クルト・ドンバファー
ドイツ
ドイツ空軍
68
ヘルベルト・フッペルツ
ドイツ
ドイツ空軍
68
ヴァルター・ヘックナー
ドイツ
ドイツ空軍
68
エルンスト・ズッス
ドイツ
ドイツ空軍
68
ハインリヒ・ユンク
ドイツ
ドイツ空軍
68
ヘルベルト・カイザー
ドイツ
ドイツ空軍
68
リヒャルト・レップラ
ドイツ
ドイツ空軍
68
フリッツ・ロージヒカイト
ドイツ
ドイツ空軍
68
ギュンター・フォン・マルツァーン
ドイツ
ドイツ空軍
68
ハンス・シュトレロヴ
ドイツ
ドイツ空軍
68
ドイツ最年少、19歳にして柏葉付騎士鉄十字章を受章している。
オットー・タンゲ
ドイツ
ドイツ空軍
68
クルト・ダンバッハ
ドイツ
ドイツ空軍
68
カール・ハンメール
ドイツ
ドイツ空軍
68
グスタフ・デンク
ドイツ
ドイツ空軍
67
フリッツ・ディンガー
ドイツ
ドイツ空軍
67
ヘルベルト・フィンダイゼン
ドイツ
ドイツ空軍
67
ラインホルト・ホフマン
ドイツ
ドイツ空軍
67
エルボ・グラーフ・フォン・カーゲネック
ドイツ
ドイツ空軍
67
フランツ・シース
ドイツ
ドイツ空軍
67
フランツ・シュヴァイガー
ドイツ
ドイツ空軍
67
フーベルト・シュトラスル
ドイツ
ドイツ空軍
67
ヴェルナー・シュトライプ
ドイツ
ドイツ空軍
66
ヴァルデマー・ゼメルカ
ドイツ
ドイツ空軍
65
ハインリヒ・フュルグラーベ
ドイツ
ドイツ空軍
65
ギュンター・ラドゥシュ
ドイツ
ドイツ空軍
64
通称「フィップス」。
ハインツ・レッカー
ドイツ
ドイツ空軍
64
カール・フッフス
ドイツ
ドイツ空軍
64
エイノ・コルド
ドイツ
ドイツ空軍
62
ゲルハルト・ベウティン
ドイツ
ドイツ空軍
60
ホルスト・ガルガニコ
ドイツ
ドイツ空軍
60
フランツ・チェク
ドイツ
ドイツ空軍
60
ハンス=エッケハルト・ボプ
ドイツ
ドイツ空軍
60
フランツ・フルドリッカ
ドイツ
ドイツ空軍
60
96機撃墜の可能性あり。
ハンス=アーノルド・スタールシュミット
ドイツ
ドイツ空軍
59
パウル・ツォルナー
ドイツ
ドイツ空軍
59
ハーマン・ブフナー
ドイツ
ドイツ空軍
58
マーチン・ベッカー
ドイツ
ドイツ空軍
58
ヘルベルト・ブロンヌ
ドイツ
ドイツ空軍
58
ルッツ・ヴィルヘルム・ブルクハルト
ドイツ
ドイツ空軍
57機以上?
ハインリヒ=ヴィルヘルム・アーネルト
ドイツ
ドイツ空軍
57
コンラート・バウアー
ドイツ
ドイツ空軍
57
ヘルムート・ヴィック
ドイツ
ドイツ空軍
56
戦死時にはドイツ空軍のトップ・エースで最年少の戦闘航空団司令 。
ヴィルヘルム=フェルディナント・ガーランド
ドイツ
ドイツ空軍
55
アドルフ・ガーランドの弟。
ヘルベルト・バロイテア
ドイツ
ドイツ空軍
55
ハンス・エーラス
ドイツ
ドイツ空軍
55
ヨハン・バダム
ドイツ
ドイツ空軍
54
ジークフリート・ジムシュ
ドイツ
ドイツ空軍
54
ハンネス・トラウトロフト
ドイツ
ドイツ空軍
53
スペイン内戦で5機撃墜。
アルベルト・ブルンナー
ドイツ
ドイツ空軍
53
フランツ・バルテン
ドイツ
ドイツ空軍
52
マルティン・ドレーヴェス
ドイツ
ドイツ空軍
52
ハインツ・エドガー・バーレス
ドイツ
ドイツ空軍
52
エグモント・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト
ドイツ
ドイツ空軍
51
通称「エギ」。
ハンス=ヨアヒム・ヤープス
ドイツ
ドイツ空軍
50
クルト・ヴェルター
ドイツ
ドイツ空軍
50
50機以上撃墜の可能性あり
ヴァルター・ボチャーズ
ドイツ
ドイツ空軍
ハインツ・アーノルド
ドイツ
ドイツ空軍
48
フリードリヒ・ベックー
ドイツ
ドイツ空軍
48
ハンス・ハインツ・アウゲンシュタイン
ドイツ
ドイツ空軍
46
ルートヴィヒ・ベッカー
ドイツ
ドイツ空軍
46
ウォルフガング・ボイング・トレウディング
ドイツ
ドイツ空軍
46
カール・シューネラー
ドイツ
ドイツ空軍
45
ヴァルター・ノヴォトニーの僚機を務めていたことでも知られる。
ヒューゴ・ダーマー
ドイツ
ドイツ空軍
45
ゲルハルト・シュプフェル
ドイツ
ドイツ空軍
45
ヴァルター・ヴェーファー
ドイツ
ドイツ空軍
44
カール・ボリス
ドイツ
ドイツ空軍
43
ルードヴィヒ・フランチスケト
ドイツ
ドイツ空軍
43
ノルベルト・ハンニック
ドイツ
ドイツ空軍
42
ユルゲン・ブロッケ
ドイツ
ドイツ空軍
42
ヴァルター・ブラント
ドイツ
ドイツ空軍
42
ローベルト・オレイニク
ドイツ
ドイツ空軍
42
エムンスト・ベルンゲン
ドイツ
ドイツ空軍
41
ヴェルナー・バアク
ドイツ
ドイツ空軍
41
ヴィルヘルム・バルタザール
ドイツ
ドイツ空軍
40
スペイン内戦で7機撃墜。
エッカート・ヴィルヘルム・フォン・ボニン
ドイツ
ドイツ空軍
39
フーベルタス・フォン・ボニンの弟。
エデュアルト・トラット
ドイツ
ドイツ空軍
38
ペーター・ブレマー
ドイツ
ドイツ空軍
38
ハインツ・ブレタナッツ
ドイツ
ドイツ空軍
37
クラウス・ノイマン
ドイツ
ドイツ空軍
37
ハインツ・クノーケ
ドイツ
ドイツ空軍
33
ギュンター・ヴェグマン
ドイツ
ドイツ空軍
33
フリードリヒ=カール・ミュラー
ドイツ
ドイツ空軍
30
ハンス=カール・マイヤー
ドイツ
ドイツ空軍
31
スペイン内戦で8機撃墜。
エリック・バルツ
ドイツ
ドイツ空軍
30
パウル・ブラント
ドイツ
ドイツ空軍
30
フランツ・ブラジーコ
ドイツ
ドイツ空軍
30
カール=ハインツ・ランガー
ドイツ
ドイツ空軍
30
ギュンター・ベルトラム
ドイツ
ドイツ空軍
29
アントン・ベニング
ドイツ
ドイツ空軍
28
通称「トニ」。
ハンス・ハインリヒ・ケーニヒ
ドイツ
ドイツ空軍
28
エルンスト・アンドレス
ドイツ
ドイツ空軍
28
アルフレート・バルク
ドイツ
ドイツ空軍
28
ホルスト・リッパート
ドイツ
ドイツ空軍
28
『星の王子さま 』作者としても知られる自由フランス空軍少佐アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ を撃墜したと証言、但し戦後引き上げられた偵察機に弾痕はなかった。
マックス・ブッフホルツ
ドイツ
ドイツ空軍
28
ヴィリ・レシュケ
ドイツ
ドイツ空軍
28
2017年7月5日没。
ルドルフ・ブッシュ
ドイツ
ドイツ空軍
ハインツ・バイエル
ドイツ
ドイツ空軍
27
フランツ・スティグラー
ドイツ
ドイツ空軍
26
チャーリー・ブラウンとフランツ・スティグラー事件 のドイツ側当事者。
エミール・クレイド
ドイツ
ドイツ空軍
26
ヴォルフガング・リッパート
ドイツ
ドイツ空軍
25
スペイン内戦で5機撃墜。
エゴン・アルブレヒト
ドイツ
ドイツ空軍
25
ルートヴィヒ・ベロフ
ドイツ
ドイツ空軍
25
ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ
ドイツ
ドイツ空軍
24
第一次大戦にも従軍。生涯撃墜数30機。
ヴァルター・アドルフ
ドイツ
ドイツ空軍
24
スペイン内戦で1機撃墜。4機も未公認。
ロルフ・カルトラック
ドイツ
ドイツ空軍
24
内、スペイン内戦 3機撃墜
フリッツ・ミュラー
ドイツ
ドイツ空軍
23
ロルフ・ピンゲル
ドイツ
ドイツ空軍
22
スペイン内戦で6機撃墜。
アルトュル・ベーゼ
ドイツ
ドイツ空軍
22
フランツ・フォン・ヴェラ
ドイツ
ドイツ空軍
21
カナダの捕虜収容所を脱走してドイツ本国へ無事帰還したことで知られる。
ヘルムート・フェリクス・ボルツ
ドイツ
ドイツ空軍
20
スペイン内戦で3機撃墜。
ハンス・バルシュヴィンガー
ドイツ
ドイツ空軍
20
ハインツ・ヘルムート・バウダッハ
ドイツ
ドイツ空軍
20
パウル・ベッカー
ドイツ
ドイツ空軍
19
テオドール・ロジヴァル
オーストリア
ドイツ空軍
17
スペイン内戦で2機撃墜。
パウル・ガーランド
ドイツ
ドイツ空軍
17
アドルフ・ガーランドの弟。
ヨハン・シャルク
オーストリア
ドイツ空軍
15
最初のドイツ空軍名誉杯 受章者
ソーフス・バーグ
ドイツ
ドイツ空軍
14
ギュンター・ヴェークマン
ドイツ
ドイツ空軍
14
ヴォルフガング・シェルマン
ドイツ
ドイツ空軍
13
スペイン内戦で12機撃墜。
ヴァルター・グラブマン
ドイツ
ドイツ空軍
13
スペイン内戦で7機撃墜。
エーリヒ・グロート
ドイツ
ドイツ空軍
13
ヨーゼフ・カイル
ドイツ
ドイツ空軍
12
フォッケウルフ Ta152 で5機を撃墜。本機種では唯一のエース。
ハインツ・ナッケ
ドイツ
ドイツ空軍
12
ピーター・ホーン
デンマーク
ドイツ空軍
10〜11
ドイツ空軍に所属したデンマーク人 としてはトップエース。
イロ・イルク
ドイツ
ドイツ空軍
10
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
ドイツ
ドイツ空軍
9
騎士鉄十字章 の最高位勲章「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章 」の唯一の受賞者。通称「ソ連人民最大の敵」「スツーカ 大佐」。本来は急降下爆撃機 のパイロットである。撃墜戦果はFw190と、スツーカG型に搭載されていた37mm砲によるもの。また、対空砲による被撃墜も30回記録されている。なお、本人は戦果贈与・過小報告、無断出撃を繰り返していた為、実際には9機以上撃墜している可能性がある。
ヴィクトル・メルダース
ドイツ
ドイツ空軍
9
ヴェルナー・メルダースの3つ違いの弟
エーリヒ・ビュットナー
ドイツ
ドイツ空軍
8
エーリヒ・ミックス
ドイツ
ドイツ空軍
8
戦後、ヴィースバーデン 市長に就任(1954年2月25日 - 1960年2月25日)。
ハンス・ディーター・ヴァイス
ドイツ
ドイツ空軍
8
ローレンツ・アンダーソン
ドイツ
ドイツ空軍
8
ヘルムート・レンナルツ
ドイツ
ドイツ空軍
8
8機以上撃墜の可能性あり
ヴォルフガング・ファルク
ドイツ
ドイツ空軍
7
「夜間戦闘機隊の父」
アルフレート・アンブス
ドイツ
ドイツ空軍
7
カール・ハインツ・ベッカー
ドイツ
ドイツ空軍
7
ヘルムート・エバスペヒャー
ドイツ
ドイツ空軍
7
フランツ・コスター
ドイツ
ドイツ空軍
7
テオドール・オステルカンプ
ドイツ
ドイツ空軍
6
第一次世界大戦で32機撃墜。
ペーター・アンデル
ドイツ
ドイツ空軍
6
ヨーゼフ・ハイム
ドイツ
ドイツ空軍
5
アルフレート・シュライバー
ドイツ
ドイツ空軍
5
ウルリヒ・シュタインヒルパー
ドイツ
ドイツ空軍
5
上坊良太郎
日本
大日本帝国陸軍
76
日本陸軍のトップ・エース。うち12機はB-29 。
篠原弘道
日本
大日本帝国陸軍
58
通称「東洋のリヒトホーフェン」。ノモンハン事変における最多撃墜者
穴吹智
日本
大日本帝国陸軍
51
通称「白色電光戦闘穴吹」「運の穴吹」「ビルマの桃太郎」。飛行第50戦隊 三羽烏の一人。
坂川敏雄
日本
大日本帝国陸軍
49+
仲田義彦
日本
大日本帝国陸軍
45+
尾崎中和
日本
大日本帝国陸軍
40+
通称「B-24撃墜王」。
神戸登
日本
大日本帝国陸軍
40+
島田健二
日本
大日本帝国陸軍
40
通称「紅脚の荒鷲」。
佐々木勇
日本
大日本帝国陸軍
38+
通称「腕の佐々木」。飛行第50戦隊三羽烏の一人。陸軍航空審査部のテスト・パイロットとしても活躍。
垂井光義
日本
大日本帝国陸軍
38
黒木為義
日本
大日本帝国陸軍
33
安間克己
日本
大日本帝国陸軍
32
金井守告
日本
大日本帝国陸軍
32
ノモンハン航空戦 当時は篠原弘道の僚機を多く務めた。
樫出勇
日本
大日本帝国陸軍
32
B-29 最多撃墜者(26機)。愛機は二式複座戦闘機 。所属部隊は「屠龍部隊」の通称で知られる飛行第4戦隊 。
古賀貞
日本
大日本帝国陸軍
31
黒江保彦
日本
大日本帝国陸軍
30+
通称「魔のクロエ」。陸軍航空審査部 のテスト・パイロット としても活躍。
安田義人
日本
大日本帝国陸軍
30+
竹内正吾
日本
大日本帝国陸軍
30+
ニューギニア戦線 トップ・エース。愛機の三式戦闘機「飛燕」 に、パーソナルマーク・撃墜マークとして「赤鷲・赤鷲の片翼(飛行第64戦隊附時代のもの)」を描いていたことでも有名。
小野崎凞
日本
大日本帝国陸軍
28
青柳豊
日本
大日本帝国陸軍
28
隅野五市
日本
大日本帝国陸軍
27
木村孝二
日本
大日本帝国陸軍
26
宮本五郎
日本
大日本帝国陸軍
26
吉良勝秋
日本
大日本帝国陸軍
25
原口吉五郎
日本
大日本帝国陸軍
24
花田富男
日本
大日本帝国陸軍
23
大塚善三郎
日本
大日本帝国陸軍
23
加藤正治
日本
大日本帝国陸軍
23
石塚徳康
日本
大日本帝国陸軍
23
青木根晳
韓国
大日本帝国陸軍
23
本名李根晳。日中戦線で18機、南方戦線で5機撃墜。後の韓国空軍創設メンバーの一人。
梶並進
日本
大日本帝国陸軍
22
木村定光
日本
大日本帝国陸軍
22
樫出勇 と並び称されるB-29 撃墜王。
岩橋譲三
日本
大日本帝国陸軍
21
愛称「ガンちゃん」。開発当初から四式戦闘機「疾風」 のテスト・パイロットを務め、同機を装備し「菊水紋 」を部隊マーク とした飛行第22戦隊長 となった。
東郷三郎
日本
大日本帝国陸軍
21
南郷茂男
日本
大日本帝国陸軍
20+
「ニューギニア は南郷で保つ」と謳われた。日中戦争で戦死した海軍の南郷茂章 を兄にもつ、兄弟エース・パイロット。
斎藤千代治
日本
大日本帝国陸軍
20+
斎藤正吾
日本
大日本帝国陸軍
20+
石川貫之
日本
大日本帝国陸軍
19
飛行第246戦隊長 を務め、戦後は第10代航空幕僚長 。
大房養次郎
日本
大日本帝国陸軍
19
山口文一
日本
大日本帝国陸軍
19
加藤建夫
日本
大日本帝国陸軍
18+
通称「軍神 加藤少将」「隼戦闘隊長」。一式戦闘機「隼」 を装備した飛行第64戦隊「加藤隼戦闘隊 」戦隊長 として、太平洋戦時当時の日本国内において最も有名なエース・パイロット。
若松幸禧
日本
大日本帝国陸軍
18+
通称「赤鼻のエース」「赤ダルマ隊長」「マスタング・キラー」。一兵卒から佐官にまで昇進した。
下川幸雄
日本
大日本帝国陸軍
16
通称「度胸の下川」。飛行第50戦隊三羽烏の一人。
中村三郎
日本
大日本帝国陸軍
15
広畑富男
日本
大日本帝国陸軍
14
愛機の一式戦「隼」の胴体横に、パーソナルマークとして大きく「飛翔する鳥」を描いていたことでも有名。
伊藤藤太郎
日本
大日本帝国陸軍
13+
撃墜スコアの全てが四発爆撃機(B-24およびB-29)。二式複座戦闘機を愛機とした。
白井長雄
日本
大日本帝国陸軍
13
飛行第244戦隊 のトップ・エース。
宮辺英夫
日本
大日本帝国陸軍
12+
飛行第64戦隊最後の戦隊長。
池沢十四三
日本
大日本帝国陸軍
12
小林照彦
日本
大日本帝国陸軍
12[ 84]
小林初優
日本
大日本帝国陸軍
12
撃墜記録の全てがB-29のエース。
檜與平
日本
大日本帝国陸軍
12
通称「鉄脚のエース」「隻脚のエース」「義足のエース」。右足義足のエース。
四至本広之烝
日本
大日本帝国陸軍
11
飛行第1戦隊 最後の戦隊長。
市川忠一
日本
大日本帝国陸軍
10
小川誠
日本
大日本帝国陸軍
9
「翼を広げた鷲」の撃墜マークで有名。
小田喜一
日本
大日本帝国陸軍
9
坂井菴
日本
大日本帝国陸軍
9
15機説あり。
広瀬吉雄
日本
大日本帝国陸軍
9
金丸貞三
日本
大日本帝国陸軍
8
池田赳夫
日本
大日本帝国陸軍
7+
異例の陸海軍航空科。特務試作機パイロット。
吉田好雄
日本
大日本帝国陸軍
6+
「翼を生やしたB29の文字(官姓名と撃墜日付を併記)」の撃墜マークでも有名。
鷲見忠夫
日本
大日本帝国陸軍
6
うち5機はB29
佐伯虎吉
日本
大日本帝国陸軍
5
二式複座戦闘機 搭乗員。後部機銃座の所澤龍之介は個人撃墜2機。
岩本徹三
日本
大日本帝国海軍
202(単独80機以上)
「零戦虎徹」。202機は本人の手記による。この他中国戦線で14機を撃墜。戦果の大半はラバウルで、4発重爆を含む確実141機を報告している。
西沢広義
日本
大日本帝国海軍
143 (単独87機とも36機とも)
数字は公認記録。通称「ラバウル の魔王」。
福本繁夫
日本
大日本帝国海軍
72
杉田庄一
日本
大日本帝国海軍
70
通称「闘魂の塊」。 「海軍甲事件 」における6機の護衛戦闘機搭乗員のひとり。
奥村武雄
日本
大日本帝国海軍
54
大原亮治
日本
大日本帝国海軍
48
藤田怡与蔵
日本
大日本帝国海軍
39
ミッドウェイ海戦 において一日で10機を撃墜した記録を持つ。
太田敏夫
日本
大日本帝国海軍
34
杉野計雄
日本
大日本帝国海軍
32
武藤金義
日本
大日本帝国海軍
30
通称「空の宮本武蔵」。愛称は「ムトキンさん」。
坂井三郎
日本
大日本帝国海軍
28
数字は公認記録。アメリカで出版された「SAMURAI」の共同著者が宮本武蔵 の故事から創作した64の撃墜数も知られている。坂井自身は20機から80機ぐらいと答えている。
笹井醇一
日本
大日本帝国海軍
27
数字は公認記録。共同撃墜は187機。通称「軍鶏」「ラバウルの貴公子」「ラバウルのリヒトホーフェン」。戦死直前に実家に宛てて送った手紙の中では54機撃墜と記す。
赤松貞明
日本
大日本帝国海軍
27
愛称「松ちゃん」。酒に酔った際には「350機墜とした」、素面の時は「260機墜とした」と言い続けた。
荻谷信男
日本
大日本帝国海軍
26
菅野直
日本
大日本帝国海軍
25
通称「ブルドッグ」。協同戦果や撃破を含めた数は72機。
伊藤清
日本
大日本帝国海軍
23
岩井勉
日本
大日本帝国海軍
22
重慶での零戦 初空戦に参加。通称「ゼロファイターゴッド」。
日高義巳
日本
大日本帝国海軍
20
「海軍甲事件 」における6機の護衛戦闘機搭乗員のひとり。
羽藤一志
日本
大日本帝国海軍
19
通称「ポッポ」。
松場秋夫
日本
大日本帝国海軍
18
小町定
日本
大日本帝国海軍
18
32機撃墜説あり。
谷水竹雄
日本
大日本帝国海軍
18
「アメリカ軍機の国籍標識 に矢」という撃墜マークで戦後有名に。実際の撃墜数は32機ともいわれる。
塩川照成
日本
大日本帝国海軍
18
被撃墜2回、生還。
本田稔
日本
大日本帝国海軍
17
2021年没
増山正男
日本
大日本帝国海軍
17
甲木清実
日本
大日本帝国海軍
16
水上機で体当たり1機を含む5機~7機を撃墜。零観、二式水戦など多くの機種を乗りこなした。
宮野善治郎
日本
大日本帝国海軍
16
渡辺秀夫
日本
大日本帝国海軍
16
南義美
日本
大日本帝国海軍
15
遠藤桝秋
日本
大日本帝国海軍
14
羽切松雄
日本
大日本帝国海軍
13
通称「ヒゲの羽切」。
古賀清澄
日本
大日本帝国海軍
13
海軍航空隊最初のエース・パイロット。
樫村寛一
日本
大日本帝国海軍
13
「片翼帰還の樫村」の二つ名で有名。公認記録は10機。
小高登貫
日本
大日本帝国海軍
13
通称「トッカン兵曹」。協同撃墜を含めた総合戦果は105機といわれる。
半田亘理
日本
大日本帝国海軍
13
宮崎勇
日本
大日本帝国海軍
13
近藤政市
日本
大日本帝国海軍
13
磯崎千利
日本
大日本帝国海軍
12
角田和男
日本
大日本帝国海軍
12
他に日中戦争で1機。
佐々木原正夫
日本
大日本帝国海軍
12
日高初男
日本
大日本帝国海軍
11
山下小四郎
日本
大日本帝国海軍
11
重慶における零戦初空戦において一挙5機を撃墜。
山本一郎
日本
大日本帝国海軍
11
相生高秀
日本
大日本帝国海軍
10
笠井智一
日本
大日本帝国海軍
10
杉田庄一の僚機を務めていたことでも知られる。2021年没
望月勇
日本
大日本帝国海軍
10
空中戦における「ひねりこみ戦法」の開発者。
森貢
日本
大日本帝国海軍
9+
白根斐夫
日本
大日本帝国海軍
9
白根竹介 の息子。
小田喜一
日本
大日本帝国海軍
9
原田要
日本
大日本帝国海軍
9
福井義男
日本
大日本帝国海軍
9
日中戦争では2機撃墜。
柳谷謙治
日本
大日本帝国海軍
8
「海軍甲事件 」における6機の護衛戦闘機搭乗員のうち、唯一終戦まで生き残った。
蝶野仁郎
日本
大日本帝国海軍
7
鴛淵孝
日本
大日本帝国海軍
6
黒鳥四朗
日本
大日本帝国海軍
6
撃墜は全てB-29 である。昭和20年5月25日、一夜にしてB-29 を5機撃墜。
柿本円次
日本
大日本帝国海軍
5
開戦後豪州軍の捕虜となり、カウラ事件 指導者の一人となる。
兼子正
日本
大日本帝国海軍
5
日中戦争での撃墜数を含めれば生涯撃墜数14機。
鈴木實
日本
大日本帝国海軍
5
日中戦争でも3機を撃墜。
森岡寛
日本
大日本帝国海軍
5
「義手の撃墜王」 。本土防空戦で左手を失うも義手を装着し戦闘に復帰。1945年8月15日に5機目の撃墜戦果を挙げ、海軍最後の撃墜王となった。
林喜重
日本
大日本帝国海軍
5
イルマリ・ユーティライネン
フィンランド
フィンランド空軍
94
通称「無傷の撃墜王」。
ハンス・ウィンド
フィンランド
フィンランド空軍
75
エイノ・アンテロ・ルーッカネン
フィンランド
フィンランド空軍
56
ウルホ・サカリ・レヘトヴァーラ
フィンランド
フィンランド空軍
44+ 1 ⁄2
記録によっては下記のオイヴァ・トゥオミネンと順位が前後する。
オイヴァ・トゥオミネン
フィンランド
フィンランド空軍
44
オリ・ブハーカ
フィンランド
フィンランド空軍
41
ニルス・カタヤイネン
フィンランド
フィンランド空軍
35+ 1 ⁄2
通称「ついてないカタヤイネン」。
ラウリ・ニッシネン
フィンランド
フィンランド空軍
28+ 1 ⁄2
ラウリ・ペクリ
フィンランド
フィンランド空軍
18+ 1 ⁄2
ヨルマ・サルヴァント
フィンランド
フィンランド空軍
17
4分間で6機の爆撃機を撃墜。
イヴァーン・コジェドゥーブ
ソビエト連邦
赤色空軍
62
アレクサンドル・ポクルィシュキン
ソビエト連邦
赤色空軍
59
ニコライ・グライエフ
ソビエト連邦
赤色空軍
57
射撃の名手。砲術士として乗り組んだ時の撃墜数は14機。
グリゴーリー・レチカロフ
ソビエト連邦
赤色空軍
56
キリル・イェフスティグニェフ
ソビエト連邦
赤色空軍
53
アルセニー・ヴォロジェーイキン
ソビエト連邦
赤色空軍
52
ディミトリー・グリンカ
ソビエト連邦
赤色空軍
50
アレクサンドル・コルドゥノーフ
ソビエト連邦
赤色空軍
46
ニコライ・スコモローホフ
ソビエト連邦
赤色空軍
46
ウラジーミル・ボブロフ
ソビエト連邦
赤色空軍
43
ゲオルギー・コストゥイレフ
ソビエト連邦
赤色空軍
43
ヴィタリー・ポプコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
41
アレクセイ・アレリューヒン
ソビエト連邦
赤色空軍
40
ウラジーミル・セロフ
ソビエト連邦
赤色空軍
39
ワシーリー・ゴルベフ
ソビエト連邦
赤色空軍
39
ピョートル・ポクルィシェフ
ソビエト連邦
赤色空軍
38
イヴァン・ババーク
ソビエト連邦
赤色空軍
37
セルゲイ・ルガンスキー
ソビエト連邦
赤色空軍
37
アナトリー・ドルギフ
ソビエト連邦
赤色空軍
36
イヴァン・フョードロフ
ソビエト連邦
赤色空軍
36
パーヴェル・カモジン
ソビエト連邦
赤色空軍
35
ウラジーミル・ラヴリネンコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
35
アレクセイ・レシェトフ
ソビエト連邦
赤色空軍
35
フョードル・チュブコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
34
ピョートル・グニド
ソビエト連邦
赤色空軍
34
アレクサンドル・コチェトフ
ソビエト連邦
赤色空軍
34
イヴァン・スィトフ
ソビエト連邦
赤色空軍
34
アレクセイ・スミルノフ
ソビエト連邦
赤色空軍
34
ワシーリー・ザイツェフ
ソビエト連邦
赤色空軍
34
ミハイル・コメルコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
33
イヴァン・ステパネンコ
ソビエト連邦
赤色空軍
33
アンドレイ・ボロヴィフ
ソビエト連邦
赤色空軍
32
ニコライ・クラスノフ
ソビエト連邦
赤色空軍
32
アンドレイ・クラーギン
ソビエト連邦
赤色空軍
32
アレクセイ・リャザーノフ
ソビエト連邦
赤色空軍
32
ミハイル・バラノフ
ソビエト連邦
赤色空軍
31
パーヴェル・ゴロヴァチョフ
ソビエト連邦
赤色空軍
31
アレクサンドル・クルボフ
ソビエト連邦
赤色空軍
31
ワシーリー・マルコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
31
アレクサンドル・シトコフスキー
ソビエト連邦
赤色空軍
31
アレクサンドル・クマニチキン
ソビエト連邦
赤色空軍
31
アメト=ハン・スルタン
ソビエト連邦
赤色空軍
30
フョードル・アルキペンコ
ソビエト連邦
赤色空軍
30
アレクセイ・チュリーリン
ソビエト連邦
赤色空軍
30
ウラジーミル・デニセンコ
ソビエト連邦
赤色空軍
30
ニコライ・ドゥナエフ
ソビエト連邦
赤色空軍
30
パーヴェル・タラソフ
ソビエト連邦
赤色空軍
30
ボリス・サフォーノフ
ソビエト連邦
赤色空軍
25
セルゲイ・グリツェヴェーツ
ソビエト連邦
赤色空軍
24
スペイン内戦での戦果も合わせると単独・共同合わせ42機。
レフ・シェスタコフ
ソビエト連邦
赤色空軍
23
ルーデルが撃墜したとされるパイロット。第二次大戦では単独撃墜15機、共同撃墜11機の戦果を挙げ、スペイン内戦での戦果を合わせると単独撃墜23機、共同撃墜42機となる。
アレクセイ・リャザンツェフ
ソビエト連邦
赤色空軍
15
単独撃墜15機・共同撃墜1機。
コンスタンティン・コキナキ
ソビエト連邦
赤色空軍
14
日中戦争で個人3・共同4機、第二次大戦で個人4、共同3機。テストパイロットとしても著名。
リディア・リトヴァク
ソビエト連邦
赤色空軍
12
女性のエース。通称「リーリャ(白ユリ)」「スターリングラード の白薔薇」。
エカテリーナ・ブダノワ
ソビエト連邦
赤色空軍
11
女性のエース。
ニコライ・ヴラソフ
ソビエト連邦
赤色空軍
10
ドイツ軍の捕虜になり、マウトハウゼン強制収容所 にて死亡
フランコ・ルッキーニ
イタリア
イタリア空軍
26
アドリアーノ・ヴィスコンティ
イタリア
イタリア空軍
26
テレシオ・マルティノーリ
イタリア
イタリア空軍
23
レオナルド・フェルリ
イタリア
イタリア空軍
20
フランコ・ボルドーリ=ビスレッリ
イタリア
イタリア空軍
19
フェルナンド・マルヴェッツィ
イタリア
イタリア空軍
10
コンスタンティン・カンタクジノ
ルーマニア
ルーマニア空軍
53+1
ルーマニア空軍のトップ・エース。
アレクサンドル・シェルバネスク
ルーマニア
ルーマニア空軍
52
連合軍機に対するトップ・エース。
イオアン・ミル
ルーマニア
ルーマニア空軍
37+1
マト・デュコヴァク
クロアチア
クロアチア独立国空軍
44
クロアチア人のトップ・エース。
シヴィタン・ガリク
クロアチア
クロアチア独立国空軍
38
フランジョ・ディザル
クロアチア
クロアチア独立国空軍
16
アルビン・スターク
クロアチア
クロアチア独立国空軍
11
リチャード・ボング
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
40
第二次世界大戦におけるアメリカ軍のトップ・エース。
トーマス・マクガイア
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
38
フランシス・スタンリー・ガブレスキー
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
28
ポーランド系アメリカ人。ヨーロッパ戦線でのアメリカ軍トップエース。朝鮮戦争ではさらにジェット戦闘機6.5機の撃墜公認がある。
ロバート・サミュエル・ジョンソン
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
27
近年まで28機撃墜とされていたが、算定方式の違いで27機となった。わずか91回の出撃での記録であり、出撃回数に対する撃墜数はハルトマンよりも上で、世界でもトップクラスである。
ニール・カービィ
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
22
ジェラルド・R・ジョンソン
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
22
日本の降伏 の翌月、公務移動中の事故により殉職。入間基地 の旧称「ジョンソン基地」に名を残す。
デビッド・リー・ヒル
アメリカ
アメリカ合衆国義勇軍 /アメリカ陸軍航空軍
18
アメリカ合衆国義勇軍からアメリカ陸軍航空軍へ移籍。撃墜数のうち6機は陸軍時代のもの
バド・アンダーソン
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
16+ 1 ⁄2
ジョージ・S・ウェルチ
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
16
真珠湾攻撃 時に日本軍機を迎撃。後にF-86 のテスト・パイロットを務めた。
ロバート・ニール
アメリカ
アメリカ合衆国義勇軍
13
アメリカ合衆国義勇軍トップエース
チャック・イェーガー
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
11+ 1 ⁄2
水平飛行で音速を超えた世界初の人間。ジェット戦闘機初撃墜者。
フレッド・オ
アメリカ
アメリカ陸軍航空軍
6
韓国系アメリカ人。アジア系アメリカ人エースパイロット。
アーサー・チン
アメリカ
中華民国空軍
8+ 1 ⁄2
中国系アメリカ人。第二次世界大戦初のアメリカ人エースパイロット。
デヴィッド・マッキャンベル
アメリカ
アメリカ海軍
34
アメリカ海軍のトップエース。1944年6月19日のマリアナ沖航空戦においてF6F で一挙13機を撃墜した。
セシル・E・ハリス
アメリカ
アメリカ海軍
24
アメリカ海軍第2位。通称「Cece」「Speedbal」。イントレピッド の第18戦闘隊 に所属し1日に4機撃墜を3回達成している。終戦後は前職である学校教師に戻ったが朝鮮戦争 に伴い管理職として復帰している。
ユジン・A・バレンシア Jr.
アメリカ
アメリカ海軍
23
アメリカ海軍第3位。
アレキサンダー・ブラシウ
アメリカ
アメリカ海軍
19
コーネリアス・N・ヌーイ
アメリカ
アメリカ海軍
19
通称「Connie」。入隊前はニューヨーク州立農業研究所 で園芸を学んでいた。
パトリック・D・フレミング
アメリカ
アメリカ海軍
19
通称「Pat」。終戦後は空軍に移りテストパイロットを務めた。B-52 の最初の事故で死亡している。
エドワード・オヘア
アメリカ
アメリカ海軍
7
アメリカ海軍初のエース。
ジェームズ・パグ・サザーランド
アメリカ
アメリカ海軍
5
ガダルカナルにおいてF4F で坂井三郎の零戦と交戦し撃墜されるも生還、後にエースパイロットとなった。
ジョセフ・フォース
アメリカ
アメリカ海兵隊
26
公認記録ではアメリカ海兵隊のトップエース。
ロバート・ハンソン
アメリカ
アメリカ海兵隊
25
グレゴリー・ボイントン
アメリカ
アメリカ海兵隊
22(28)
アメリカ海兵隊の公認記録は22機。
ケネス・ウォルシュ
アメリカ
アメリカ海兵隊
21
ドナルド・N・アルドリッチ
アメリカ
アメリカ海兵隊
20
ジョン・L・スミス
アメリカ
アメリカ海兵隊
19
マリオン・カール
アメリカ
アメリカ海兵隊
18+ 1 ⁄2
日本軍のエース笹井醇一中尉の撃墜で知られる。
ジョニー・ジョンソン
イギリス
イギリス空軍
38
公認記録では英空軍トップエース。
ロバート・ローランド・スタンフォード・タック
イギリス
イギリス空軍
29
通称「不死身のタック」。
ネヴィル・デューク
イギリス
イギリス空軍
29
ジェームズ・ヘンリー・レイシー
イギリス
イギリス空軍
28
ジョージ・ギルロイ
イギリス
イギリス空軍
25
ダグラス・バーダー
イギリス
イギリス空軍
23
通称「足無しバーダー」。両足義足のエース。
ジェイムズ・ランキン
イギリス
イギリス空軍
22
ジョン・カニンガム
イギリス
イギリス空軍
20
ロバート・ドウ
イギリス
イギリス空軍
16
ジョン・チャールズ・ダンダス
イギリス
イギリス空軍
16
当時ドイツ空軍トップエースであったヘルムート・ヴィックを撃墜したことで有名。直後にヴィックの僚機に撃墜され戦死した。
ジョージ・アンウィン
イギリス
イギリス空軍
15
テッド・ソーン
イギリス
イギリス空軍
12
戦果は全てデファイアント によるもので、後部機銃手のF・J・バーカー との共同戦果。
ピーター・タウンゼント
イギリス
イギリス空軍
11
戦後マーガレット 王女とのスキャンダルで有名に。
ヒュー・スペンサー・ライル・ダンダス
イギリス
イギリス空軍
10
愛称「コッキー」。ジョン・チャールズ・ダンダスの弟で、兄弟でエース。
ゴードン・コンウェイ
イギリス
イギリス空軍
7
愛称「コニー」。
ロアルド・ダール
イギリス
イギリス空軍
5
戦後は小説家として「チョコレート工場の秘密 」(「チャーリーとチョコレート工場 」原作)などを著し、また映画「007は二度死ぬ 」「チキ・チキ・バン・バン 」の脚本を手掛けた。
ブレンダン・エイモン・ファーガス・フィヌケーン
アイルランド
イギリス空軍
32
ピエール・クロステルマン
フランス
イギリス空軍
33
自由フランス 政府軍所属・フランス人としてはトップ・エース。
マルセル・アルベール
フランス
イギリス空軍
23
東部戦線でソ連側に義勇兵として参戦。
ジャン=フランソワ・ドモゼー
フランス
イギリス空軍
21
ピエール・ル・グローン
フランス
フランス空軍
18
マーマデューク・パトル
南アフリカ
イギリス空軍
51+
第二次大戦中のイギリス空軍トップ・エース。
アドルフ・マラン
南アフリカ
イギリス空軍
32
入隊前は船乗りだったことから「セイラー・マラン」の通称がある。空戦の十則 で知られる。
ペトルス・フーゴ
南アフリカ
イギリス空軍
17
ジョージ・F・バーリング
カナダ
イギリス空軍
31
通称「スクリューボール」。
ヘンリー・ウォーレス・マクラウド
カナダ
カナダ空軍
21
クリブ・コールドウェル
オーストラリア
オーストラリア空軍
28+ 1 ⁄2
オーストラリア人トップ・エース。
ケイス・トレスコット
オーストラリア
オーストラリア空軍
17
エイドリアン・ゴールドスミス
オーストラリア
オーストラリア空軍
17
ジョン・ヤラ
オーストラリア
オーストラリア空軍
12
コリン・フォークランド・グレイ
ニュージーランド
イギリス空軍
27+ 1 ⁄2
ニュージーランド人トップ・エース。
エヴァン・マッキー
ニュージーランド
イギリス空軍
20
レイモンド・ヘスリン
ニュージーランド
ニュージーランド空軍
21+ 1 ⁄2
アラン・クリストファー・ディーア
ニュージーランド
イギリス空軍
22
ブライアン・ジョン・カーベリー
ニュージーランド
イギリス空軍
17
ヤン・レジュニャーク
スロバキア
スロバキア空軍
32
スロバキア人トップ・エース。
イジドル・コヴァーリク
スロバキア
スロバキア空軍
28
ヤーン・ゲルトホフェル
スロバキア
スロバキア空軍
26
セントジェルジ・デジェー
ハンガリー
ハンガリー空軍
30+ 1 ⁄2
ハンガリー空軍トップ・エース。
デブレーディ・ジェルジ
ハンガリー
ハンガリー空軍
26
トート・ラヨシュ
ハンガリー
ハンガリー空軍
26
ハンガリー空軍第3位のエース。通称「ドラム」。158回の出撃で多くの勲章を得、叙勲の高さでは2位。戦後共産主義政権下で投獄、処刑された。
モルナール・ラースロー
ハンガリー
ハンガリー空軍
25+ 1 ⁄2
1944年1月8日の一日で4機を撃墜。
ケニェレシュ・ミクローシュ
ハンガリー
ハンガリー空軍
18
ファービアーン・イシュトヴァーン
ハンガリー
ハンガリー空軍
16+ 1 ⁄2
通称「コポニャ(頭蓋骨)」。他に不確実6機。
ポッチョンディ・ラースロー
ハンガリー
ハンガリー空軍
13
一時エーリヒ・ハルトマンの僚機を務めた。
カールマーン・イシュトヴァーン
ハンガリー
ハンガリー空軍
12
マールナーッシ・フェレンツ
ハンガリー
ハンガリー空軍
11
マーリク・ヨージェフ
ハンガリー
ハンガリー空軍
10+ 1 ⁄2
ヘッペシュ・アラダール
ハンガリー
ハンガリー空軍
8
通称「老ピューマ」。ハンガリー戦闘機隊の指揮官。
ウーイサースィ・ジェルジ
ハンガリー
ハンガリー空軍
8
スタニスワフ・スカルスキ
ポーランド
ポーランド空軍
22+ 11 ⁄12
ヴィトルト・ウルバノヴィチ
ポーランド
ポーランド空軍
18
ボレスワフ・グワディッホ
ポーランド
ポーランド空軍
17
エウゲニウシュ・ホルバチェフスキ
ポーランド
ポーランド空軍
16+ 1 ⁄2
通称「ジュベック」、「ホービー」。
ヤン・ズムバッハ
ポーランド
ポーランド空軍
13
カレル・クテルヴァシェル
チェコスロバキア
イギリス空軍
18 (20?)
チェコスロバキア人トップ・エース。
ヨゼフ・フランチシェク
チェコスロバキア
ポーランド空軍
17
アロイス・ヴァシャートコ
チェコスロバキア
イギリス空軍
17
フランチシェク・ペジナ
チェコスロバキア
チェコスロバキア空軍
12
後に自由フランス空軍、イギリス空軍にも所属。
イヴァン・デュ・モンソー・ド・ベルジャンダル
ベルギー
ベルギー空軍
8
ベルギー人トップ・エース。
ジャン・オフェンベール
ベルギー
ベルギー空軍
7
通称「パイカー」。他に不確実5、撃破6+ 1 ⁄2 。
レミ・ヴァン・リールデ
ベルギー
ベルギー空軍
7
他にV-1 撃墜40機(第2位)。
ストヤン・ストヤノフ
ブルガリア
ブルガリア空軍
5
ブルガリア空軍トップ・エース。
劉粋剛
中華民国
中華民国空軍
13
通称「空の趙雲子龍」「紅武士」。自己申告2を含むトップエース。
柳哲生
中華民国]
中華民国空軍
11+ 1 ⁄3
中国空軍公認のトップエース。
王光復
中華民国
中華民国空軍
8+ 1 ⁄2
劉少奇 の妻・王光美 の兄。
高又新
中華民国
中華民国空軍
8
譚鯤
中華民国
中華民国空軍
8
袁保康
中華民国
中華民国空軍
8
董明徳
中華民国
中華民国空軍
7
実際は10機程度にのぼる可能性もある。
周志開
中華民国
中華民国空軍
6
中国空軍で最初のP-40 エース。
周庭芳
中華民国
中華民国空軍
6
黄新瑞
中華民国
中華民国空軍
6
米国籍の華人エース。
楽以琴
中華民国
中華民国空軍
6
通称「飛将軍」。中国南宋の武将・岳飛 の末裔。
高志航
中華民国
中華民国空軍
5+ 1 ⁄2
通称「空軍戦魂」「東北飛鷹」。空軍第四大隊長。日中戦争において日本軍機を初めて撃墜した。
陳其偉
中華民国
中華民国空軍
5
臧錫蘭
中華民国
中華民国空軍
5
羅英徳
中華民国
中華民国空軍
5
アンドレアス・アントニオウ
ギリシャ王国
ギリシャ空軍
6
ギリシャ空軍トップエース。
ブラム・ヴァン・デル・ストック
オランダ王国
オランダ空軍
6
オランダ空軍トップエース。1944年に撃墜され捕虜としてスタラグ・ルフト III 収容所に収容されるも集団脱走に参加。脱走者76名の内脱走に成功した3名のうちの1人。
カルロス・ファウスティノス
メキシコ合衆国
メキシコ空軍
6
メキシコ空軍トップエース。
ゴンサロ・ヘヴィア・アルバレス・キニョネス
スペイン王国
青戦隊 (スペイン語版 )
12
スペイン空軍トップエース。
マリアノ・クアドラ・メディナ
スペイン王国
青戦隊 (スペイン語版 )
10
後にスペインの空軍大臣
ミリサフ・セミズ
ユーゴスラビア
ユーゴスラビア王国空軍
4
第二次世界大戦におけるユーゴスラビア王国空軍のトップエース。エースパイロットの条件をギリギリで満たしていないが、ユーゴスラビア侵攻 の12日間に4機を撃墜したことから便宜上、エースとして扱われることもある。