星の王子さま
『星の王子さま』(ほしのおうじさま、フランス語原題:Le Petit Prince、英語: The Little Prince)は、フランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説である。彼の代表作であり、1943年4月6日にアメリカで出版された。 2022年現在、初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳されている。 概要「大切なものは、目に見えない (Le plus important est invisible)」を初めとした本作の言葉は、生命・愛とは何かといった、人生の重要な問題に答える指針として広く知られている。この作品の元になったと思われる、1935年のリビア砂漠での飛行機墜落事故の体験は、サン=テグジュペリによる随筆集『人間の土地』で語られている。 レイナル・ヒッチコック社(en:Reynal & Hitchcock 現存しない)による1943年の初版以来、作者自身による挿絵が使われ、素朴な主人公や脇役の姿は作品とともに愛されている。 物語の前置きでは、この本を、フランスに住んでいて困難に陥っているあるおとなの人に捧げると述べられている。この献辞にある「おとなの人」「子どもだったころのレオン・ヴェルト」とは、作者の友人のジャーナリスト、レオン・ヴェルトを指している。当時は第二次世界大戦中で、ヴェルトは平和主義者で、ナチス・ドイツの弾圧対象となっていたユダヤ人であった。 複数の映画化作品、アニメ化作品がある(詳細は「#翻案作品」を参照)。映画監督のオーソン・ウェルズも実写とアニメーションの融合による映画化を考えていたことがあり、アニメーション部分はディズニー・プロに依頼していたようであるが、実現はしなかった。 慶應義塾大学の片木智年(当時助教授)の2006年の時点での解説によると、日本における「星の王子さまブーム」は(2006年までに)3回あったという。1回目は研究者らによる謎解き本が多数出版された1980年代、2回目はサン=テグジュペリ生誕100周年の2000年前後、3回目は翻訳出版権が消失した2005年1月以降、十数社から新訳が出版された2006年前後である[1]。 あらすじ![]() 王子との出会い操縦士の「ぼく」は、サハラ砂漠に不時着する。1週間分の水しかなく、周囲1000マイル以内に誰もいないであろう孤独で不安な夜を過ごした「ぼく」は、翌日、1人の少年と出会う。話すうちに、少年がある小惑星からやってきた王子であることを「ぼく」は知る。 王子の星は家ほどの大きさで、そこには3つの火山と、根を張って星を割いてしまうほど巨大になるバオバブの芽と、よその星からやってきた種から咲いた1輪のバラの花があった。王子はバラの花を美しいと思い、大切に世話していた。しかし、ある日バラの花とけんかしたことをきっかけに、他の星の世界を見に行くために旅に出る。 他の星の世界への旅王子は他の小惑星をいくつか訪れるが、そこで出会うのは、
といった、どこかへんてこな大人ばかりだった。6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子は7番目の星、地球へと向かう(数字は「○番目の星」として登場する順番)。 地球の旅仲良くなるとは「特別なもの」と考えること地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。その後、王子は高い火山と数千本のバラの群生に出会う。自分の星を愛し、自分の小惑星の火山とバラの花を愛おしく、特別に思っていた王子は、自分の星のものよりずっと高い山、自分の星のバラよりずっとたくさんのバラを見つけて、自分の愛した小惑星、火山、バラはありふれた、つまらないものであったのかと思い、泣く。 泣いている王子のところに、キツネが現れる。悲しさを紛らわせるために遊んで欲しいと頼む王子に、仲良くならないと遊べない、とキツネは言う。キツネによれば、「仲良くなる」とは、あるものを他の同じようなものとは違う「特別なもの」だと考えることだという。 大切にしたものほど、より愛おしいさらにキツネは、あるものに対して他よりもずっと時間をかけ、何かを見るにつけ「それをよすがに思い出すようになること」だという。これを聞いた王子は、「いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い「精一杯の世話をしたバラ」はやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだ」と悟る。 キツネと別れるときになり、王子は自分がキツネと「仲良く」なっていたことに気付く。別れの悲しさを前に「相手を悲しくさせるのなら、仲良くなんかならなければ良かった」と思う王子に、「黄色く色づく麦畑を見て、王子の美しい金髪を思い出せるなら、仲良くなったことは決して無駄なこと、悪いことではなかった」とキツネは答える。別れ際、王子は「大切なものは、目に見えない」という「秘密」をキツネから教えられる。 飛行機の修理日々飛行機を修理しようと悪戦苦闘するかたわら、こんな話を王子から聞いていた「ぼく」は、ついに蓄えの水が底をつき、途方に暮れる。「井戸を探しに行こう」という王子に、砂漠の中で見つかるわけはないと思いながらついて行った「ぼく」は、本当に井戸を発見する。 王子と一緒に水を飲みながら、「ぼく」は王子から、明日で王子が地球に来て1年になると教えられる。王子はその場に残り、「ぼく」は飛行機の修理をするために戻っていった。 翌日、奇跡的に飛行機が直り、「ぼく」は王子に知らせに行く。すると、王子はヘビと話をしていた。王子が砂漠にやってきたのは、1年前と星の配置が全く同じ時に、ヘビに噛まれることで、身体を置いて自分の小惑星に帰るためだったのだ。 夜空を見上げれば、王子が微笑んでいる別れを悲しむ「ぼく」に、「自分は自分の星に帰るのだから、きみは夜空を見上げて、その星のどれかの上で、自分が笑っていると想像すれば良い。そうすれば、君は星全部が笑っているように見えるはずだから。」と語る。王子はヘビに噛まれて砂漠に倒れ、自分の小惑星へと帰っていった。 翌日、王子の身体は跡形もなくなっていた。王子が自分の星に帰れたのだと「ぼく」は考え、夜空を見上げる。王子が笑っているのだろうと考えるときには、夜空は笑顔で満ちているように見えるのだが、万一王子が悲しんでいたらと考えると、そのうちのひとつに王子がいるであろういくつもの星々がみな、涙でいっぱいになっているかのように、「ぼく」には見えるのであった。 主な登場人物
献辞について献辞にレオン・ヴェルトと呼ばれる人物が登場する。作者にとってこの人物は
と作者自身語っている。 このレオン・ヴェルトは実在の人物である。ヴェルトはサン=テグジュベリよりも22歳年上で、1931年ごろ知り合い、互いに無二の親友となった。ジャーナリスト、作家、批評家といった仕事をし、第一次世界大戦の経験から、熱烈な平和主義者だったが、ユダヤ人であったため、ナチスによる弾圧を避け、フランス東部のジュラ県サンタムール(fr:Saint-Amour (Jura)) にあった別荘に隠れ住んでいた。 原画の存在
この本の初版にはサン=テグジュペリ自身の筆になる挿絵が大小47点描かれている。原画は失われたと長らく信じられてきたが、2006年4月に「原画発見」の報が走った。「積み重なるゾウ」の「原画」を、パリのある古書店が売りに出したのである。 その古書店に「原画」を売ったのが、コンスエロ(fr:Consuelo de Saint-Exupéry。サン=テグジュペリ未亡人。)の遺産相続人であるホセ・マルチネス・フルクトゥオーソであることが判明した。週刊誌『L'Express レクスプレス』の取材インタビューに対してフルクトゥオーソは、コンスエロの遺品の中に“Le Petit Prince”挿絵原画が存在することを認め、「狩人」と「砂漠の花」(1994年に今回と同じ古書店主がニューヨークで購入)および今回の「積み重なるゾウ」の計3点[3]を売却したことを明らかにした[4][5]。 フルクトゥオーソは、2006年にフランスのカンで開かれたコンスエロ遺品展[6]に、「渡り鳥にぶら下がって旅立つプリンス」と「ヘビと話する塀の上のプリンス」の2点を出品した。以上5点が、フルクトゥオーソが認めた「Le Petit Prince 挿絵原画」であって、残りは未公開である。 サン=テグジュペリ自筆と目される水彩画が日本で見つかった。1994年に開かれた東京の古書市で、山梨県北杜市高根町の美術館、えほんミュージアム清里代表である渋谷稔がアメリカ合衆国にある希少本専門書店から入手していたもので、Le Petit Prince 挿絵にある「ビジネスマン」に酷似している(細部では、重要な違いも含めて、異なる点が複数ある)。2007年4月に「6点目の挿絵原画」発見と報道され、国内5都市を巡回開催された「サン=テグジュペリの星の王子さま展」に出品展示された[7]。サイズはおおよそA4判のオニオンスキンペーパー(onionskin) で、それを納めた厚紙製の枠にはサン=テグジュペリのサインがあり、編集者による指示書き(初版本の掲載ページ番号)が絵の裏側に書かれているとされる。「1994年」「ニューヨークの古書店から購入」が前記2原画との共通項として支持材料にはなるものの、指示書きの筆跡鑑定その他の検証はまだなされておらず、裏側への記入は他の3点と異なる、等の問題をはらんでいる[要出典]。47点すべてがコンスエロ遺品中に存在したのであれば、「3点を売却した」というフルクトゥオーソの言明と突き合わせると、「挿絵原画」であるか否かについては留保すべき点があり、「6点目の原画」であることが確認鑑定されたわけではない。この他にも、挿絵「バラを見つめるプリンス」に酷似した絵がニューヨークの古書店から売りに出されていることもあり、多数描いた習作のひとつであるか、本物の「挿絵原画」であるかは、軽々に論じられない事情がある[要出典]。 解釈、解説
(日本での)通説は、主として翻訳を行った内藤濯の解釈に基づくものであり、長らく支配的な説であった[要出典]。しかし後述の異説が提示され、立場は揺らいでいる[要出典]。 作品の冒頭「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」とあるように、この作品は、子供の心を忘れてしまった大人に向けたものである。王子が訪れた小惑星で出会うのは、いずれも愚かさを風刺化された大人たちであるし、子供の心を持ち続けようとする「ぼく」も、飛行機の修理に夢中になるあまりに、王子の話をぞんざいに聞いてしまったりする。また、別の場面に登場する、何をするにつけても急ぎ、どこに行くかもよく理解しないまま特急列車であちこちに移動したり、時間を節約することにあくせくして、節約した時間で何をするかを考えていなかったりという大人たちの姿も、作者による痛烈な批判である。 キツネとの対話は、この作品の重要な場面である。あるものを他と違っていとしく思うことができるのはなぜなのか。自分の愛情の対象であった小惑星やバラへの自信を失って悩む王子に対して、キツネは「仲良くなる」とはどういうことかを通じて、友情、ひいては愛情(人間愛ではなく恋愛的な意味での愛情)についてを語ることになる。「大切なものは、目に見えない」という作品上の重要な台詞が登場するのもこの場面である。この台詞に基づく考えは後にも登場し、「砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠しているから」、さらには「夜空が美しく見えるのは、そのどこかに王子が今もバラと暮らしているから」という考え方に繋がるのである。 『星の王子さま』の最後のシーンでは、「ぼく」の最期ははっきりとは描かれていない。
「星の王子さまはとてもファンタジーな本」とする説とは異なる説も提示されている。日本でその嚆矢となったのは、塚崎幹夫の『星の王子さまの世界〜読み方くらべへの招待』(中公新書、1982年刊、ISBN 978-4121006387)である。 この説によると本書は、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であるとされている。この観点から読み解けば、エピソードの多くは具体的な背景を持つ。以下に3つ例示する。
著作権と翻訳権EU加盟国→「著作権法 (欧州連合) § 保護期間」、および「著作権法 (フランス) § 戦時加算」も参照
フランスを初めEU加盟国の著作権保護期間は個人の死後70年であり、死亡宣告で1944年没と認定されたサン=テグジュペリの保護期間満了は通例では2014年であるが、サン=テグジュペリはフランス著作権法第123条の10における「愛国殉職者」の認定(戦時加算)を受けているため、フランス国内では2044年まで著作権が存続する予定である。 メキシコ著作権の保護期間を世界最長の「死後100年」と定めているメキシコでもフランスと同様に2044年までである。 アメリカアメリカ合衆国では1978年のベルヌ条約加盟以前に旧法下で保護期間を満了しなかった著作物に対する特例に基づき、「死後95年または公表後120年のどちらか短い方」の前者が適用され2039年まで著作権が存続する予定。 カナダカナダでは1994年末に保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。 ニュージーランドニュージーランドでも1994年末に保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。 日本日本では岩波書店が独占的な翻訳権を有していたが、原著の日本における著作権の保護期間は、サン=テグジュペリのフランスにおける消息不明期間の満了日である1945年9月20日を起算日として、没後50年による正規の保護期間が1995年12月31日に満了し、さらにサンフランシスコ平和条約に基づく戦時加算分の日数として英語版初版本の発行日である1943年4月7日から平和条約発行日の前日の1952年4月28日までの期間が加算され、2005年1月22日に満了した。これにより同年以降新訳が、論創社・宝島社・中央公論新社などで出版された。 ただし、日本語の書名である『星の王子さま』は、岩波版の翻訳者であるフランス文学者の内藤濯によるもの(直訳では『小さい王子』あるいは『小さい大公』)であるため、新訳本の出版の際には新訳にふさわしい別の書名をつけるか、本の扉裏やあとがきに内藤濯の考案であることを明示してほしいと、岩波書店などは要望している。 日本語版![]() 既に述べたが、日本では岩波書店が長らく作品の翻訳権を保持し、内藤訳が長年重版されたが、2005年1月に翻訳出版権の消失にともない、多くの新訳が出版された。 2007年に加藤晴久は、『憂い顔の「星の王子さま」続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』(書肆心水)を刊行。内藤訳と新訳14冊を検証し、強く批判した。また2006年に自ら注釈本『自分で訳す星の王子さま』(三修社)を刊行した。
英語版1943年に最初の英語版がキャサリン・ウッズによる翻訳で出版されて以来、多くの英訳版が出版されている。
翻案作品映画
劇場アニメ
アニメ星の王子さま プチ・プランス
1978年7月4日から1979年3月27日まで、日本で『星の王子さま プチ・プランス』のタイトルでアニメーションが放送された。朝日放送 (ABC) 制作で、毎週火曜日の19時30分 - 20時放送。全39話。本放送では第35話までで再放送、DVD、公式配信でも39話が最終回となっている。 王子の設定や結末はおおむね原作に準拠しているが、王子が様々な星の旅を「ぼく」に語る原作と異なり、王子の地球での一年間の旅を描く物語となっている。王子は自分の星から地球に直行しているため、他の小惑星のエピソードは無い。「ぼく」自体は登場せず、王子の地球における最初の友人となる操縦士と、最終回で王子の帰還を見届ける学者がそれぞれ登場する。それに伴い、原作にないアニメオリジナルのエピソードが大半を占める。 提供はキッコーマン1社単独。何度か再放送され、1978年度第3回文化庁こども向けテレビ用優秀映画賞受賞。アメリカにも輸出された(アメリカ版は全26話)。1998年にはBS2の衛星アニメ劇場で火曜18時30分から再放送され、未放送となった4話分も放送されている。 キャストゲストキャラクター
冒頭のあいさつ文は字幕テロップとともに以下のとおり放送された。
スタッフ
主題歌
レコードは本放送時にキャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)からリリースされたものの、アニメソング関係のCDアルバムに収録されていなかったために入手が困難であったが、2018年12月19日に日本コロムビアからリリースされた「誰もが勇気を忘れちゃいけない〜大事なことはすべて阿久悠が教えてくれた〜」で両曲とも収録されたことにより、約40年ぶりに日の目を見ることとなった。 放送リスト
放送局系列は本放送当時のもの。放送日時は個別に出典が掲示されているものを除き、1978年11月中旬 - 12月上旬時点のものとする[12]。
斉藤由貴の星の王子様原題:Der Kleine Prinz(1990)WOWOW(ドイツのアニメーション) 【日本語版】
Le Petit Prince 星の王子様(プラネタリウム番組用)五藤光学研究所により2006年に製作されたプラネタリウム番組。25分。バーチャリウム用全天周版とスライド版の2バージョンが存在する。 【主要キャスト】
星の王子さま(2010年版)2010年にメソッド・アニメーションにより製作された全52話の3DCGアニメ。同年12月にフランス3で初めて放送。主題歌はヤニック・ノア、音楽はフレデリック・タルゴーン、ケルンWDR交響楽団の演奏であった。 舞台1985年の舞台1985年2月14日 - 3月5日 民音、ユニゾン・カムパニー、コマ・スタジアムによる『ミュージカル 星の王子さま』をシアター・アプルで上演。脚本・作詞・演出 佐藤信。主演、吉田日出子・加藤健一。1987年1月21日 - 2月11日再演。 音楽座ミュージカルの舞台1993年、音楽座が『リトルプリンス』を初演[20]。上演直前に、『星の王子さま』原作の権利を管理するガリマール出版社からクレームを受けるが、3か月限定、再演は不可という形で許可を得た。上演後、音楽座を運営する株式会社ヒューマンデザインがガリマール出版社と交渉し、内容を一部原作に忠実に改め、タイトルを『星の王子さま』として、ミュージカル化権を世界で初めて正式に獲得した。1998年には音楽座プロデュース公演として『星の王子さま'98』とのタイトルで再演。以降、さまざまな演出スタイルによって再演を重ねてきた。2022年、東宝製作でライセンス上演(井上芳雄が主演)。2025年に音楽座ミュージカルが再演予定。
2000年、TBSとホリプロが、株式会社ヒューマンデザインより上演権を借り、音楽座ミュージカル版のトリビュート公演を上演。茂森あゆみが主演。
宝塚歌劇団の舞台→詳細は「サン=テグジュペリ―「星の王子さま」になった操縦士」を参照
2012年7月27日から宝塚歌劇団花組が『サン=テグジュペリ―「星の王子さま」になった操縦士』(宝塚大劇場:7月27日 - 8月27日・東京宝塚劇場:9月14日 - 10月14日)として蘭寿とむ、蘭乃はなが主演。 朗読・音楽
ドラマCD発売・販売元: キャラモモ(2009年9月24日発売) 【キャスト】 派生作品舞台星の王女さま『星の王女さま』(ほしのおうじょさま)は「星の王子様」をモチーフにした作品。2018年4月に上演[21]。出演は伊藤理々杏ほか乃木坂46の3期生8名[21]。 上演日程 配役
(以上、乃木坂46)
スタッフ
漫画星の王子さま『星の王子さま』は漫☆画太郎による漫画化作品[24]。『少年ジャンプ+』(集英社)で2017年9月25日より連載[25]。 ゲーム星の王子さま:その先の物語
商業使用サン=テグジュペリの死後、権利継承者である遺族は、星の王子さまが純粋な童話であることを理由に作品の商業ライセンスを長年許可しなかった。しかし、世界的な要望と、違法な無断使用の出現を無視できなくなったことから、1986年、「作品の本来のイメージを損なわない」ことを条件にして、商業ライセンス使用を世界的に解禁することとなった。[27] 日本では、1987年に「株式会社セラム」が日本国内のライセンスの総代理店になり、星の王子さまビジネスを展開してきた。2005年、原作のパブリックドメイン化に伴い、ライセンス管理を新設グループ会社「株式会社Le Petit Prince」(2006年設立)に移管し、株式会社セラムは商品開発とイベント運営を行う体制とした[28]。 2014年3月1日より、日本国内での商品化ライセンス管理が「ワーナー・ブラザース コンシューマープロダクツ」(ワーナー ブラザース ジャパン)に移管された。2015年のワーナー・ブラザース映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』の公開に伴うものである。 2021年1月1日より、日本国内での商品化ライセンス管理が再度「株式会社Le Petit Prince」となった。 2022年12月31日付けで株式会社Le Petit Princeでのライセンス管理が終了し[29]、2023年1月1日より、香港のコンテンツ企業「メディアリンク(羚邦集団)」の子会社「Whateversmiles Corporation」の日本法人「Whateversmiles株式会社」が日本国内での商品化ライセンス管理を行う。メディアリンク社は2005年より中国・アジア圏内での商品化ライセンス管理を行っている[30]。 その他
小惑星
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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