カナダ総督の一覧本項では歴代のカナダ総督の一覧(カナダのそうとくのいちらん)について記述する。 現在のカナダ総督は「1867年憲法法(Constitution Act, 1867)」によって法的に規定され、1947年国王勅許(the Letters Patent 1947)によって王室及びその機能について法的に構成されているが、カナダ総督の系譜は1627年のサミュエル・ド・シャンプランの任命以降、途切れることなく継続しているカナダ独自の伝統的系譜である [1]。 そのため、本稿ではサミュエル・ド・シャンプランの総督任命の根拠でもある、それ以前の1578年フランス・フランソワ1世治世の副王時代を含んでいる。 カナダ副王 1541–1627カナダ植民地におけるフランス王国を代表し統治する副王(仏語:Vice-roi du Canada)としての地位。
ヌーヴェル・フランス知事 1627–16631620年代前後にアカディア地域などに恒久的な入植地が開設され、ヌーヴェル・フランス植民地の運営が開始された。リシュリューは、ヌーヴェル・フランス各地の探検及び領土画定を実施したサミュエル・ド・シャンプラン中将をヌーヴェル・フランス知事(仏語:Gouverneur de la Nouvelle-France)に任命した[2]。
ヌーヴェル・フランス総督 1663–17601663年にヌーヴェル・フランス植民地をルイ14世が正式に王室領としたことで、ヌーヴェル・フランスに王の正式な代理としての総督(仏語:Gouverneur général de la Nouvelle-France)が設置されることとなった。
ケベック植民地総督 1760–1786七年戦争の一部であるフレンチ・インディアン戦争がイギリスの勝利で終結し、ピエール・フランソワ・ド・リゴーがイギリスにヌーヴェル・フランス植民地を明け渡し、この地域はパリ条約によって正式にイギリス領ケベック植民地となり、イギリスによるケベック植民地総督(英語:Governorof the Province of Quebec)が置かれることとなった。初代総督にはフレンチ・インディアン戦争を勝利に導いたサー・ジェフリー・アマースト少将が任命された。
両カナダ総督 1786–1840イギリス領ケベック植民地は、現在の南オンタリオ地域(アッパー・カナダ)も含んで運営されていたが、1790年にイギリスの議会を通過した植民地統治法 (Constitutional Act) によって、それまでのケベック植民地 (1763年 - 1791年)(英語版)がアッパー・カナダとローワー・カナダに分割され、1791年末にそれぞれ一つの政体となった。この両カナダ植民地(アッパー及びローワー)を併せて統括するカナダ総督(英語:Governor-in-Chief/Governor General of The Canadas)が設置された。
カナダ連合植民地総督 1841-18671840年憲法によって両カナダ植民地が統合され、一つのカナダ植民地(Province of Canada)が形成されたため、カナダ連合植民地総督(英語:Governor General of the Province of Canada)が設置された。
カナダ総督 1867–現在イギリス議会において英領北アメリカ法が成立し、カナダ植民地、ニューブランズウィック植民地、ノバスコシア植民地を併せて、連邦制をとる1つのカナダ自治領(ドミニオン、Dominion of Canada)とすることとなり、この法律に則り「カナダ総督」(英語:Governor General of Canada、仏語:Gouverneur général du Canada(男)、Gouverneure générale du Canada(女))が設置された。
総督代理![]() 総督代理(Administrator of the Government of Canada)は、在位中の総督の逝去、辞任、長期間の不在などの理由より、カナダ最高裁判所が必要と定めた場合に臨時に任命される職位である。歴史上、下記の総督代理が任命された。
脚注
参考文献
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