サッカーにおけるイングランドとスコットランドのライバル関係
この項では、サッカー におけるイングランド とスコットランド のライバル関係 について、特にイングランド代表 とスコットランド代表 の関係について記述する[ 1] [ 2] 。
国(地域)代表における世界最古の国際親善試合は、1872年にグラスゴー で行われたイングランド代表対スコットランド代表の試合である。両国のライバル意識の形成にはブリテン島 の歴史が大きく関係しており、1世紀に渡る対抗意識の社会的・文化的影響、また両国の対立が、両者の対戦に激烈な性格を与えた。スコットランドのナショナリズムもまた、スコットランド人のイングランド撃破に対する欲求の要因となっており、スコットランドのスポーツジャーナリストは伝統的にイングランドのことを「積年のライバル」(Auld Enemy)と表現する[ 3] 。しかし、両者のライバル意識は1970年代に低下し、特に毎年行われていた定期戦が終了した1989年以降はライバル意識の薄れが顕著である。イングランドはドイツ代表 やアルゼンチン代表 にもライバル意識を抱いており、今日では歴史的なライバルであるスコットランドよりも彼らの方が重要なライバルとされている[ 4] [ 5] 。BBC は、「初めての対戦が行われて以来、全ての試合が良い試合であり、また悪い試合でもある」と指摘している[ 6] 。ガーディアン 紙はかつて「非常に多くの選手・監督が両国国境を通過しているため、この対戦は『ライバルからの深遠なる勝利の可能性』を象徴している」と報じた[ 7] 。2008年11月までに110回の対戦が行われており、イングランドが45勝、スコットランドが41勝、引き分けが24試合である[ 8] 。
歴史
ライバル関係の背景
1872年にハミルトン・クレセントで行われた初対戦のイラスト
スコットランド代表対イングランド代表のイラスト
1863年、フットボール・アソシエーション (FA) によってサッカーのルールが取り決められて形式化された[ 9] 。1870年までに、FAで秘書を務めていたチャールズ・ウィリアム・アルコックはグラスゴー・ヘラルド 紙を含むスコットランドの各新聞に、スコットランド対イングランドの国際試合の選手募集広告を掲載した[ 10] 。しかし、「アソシエーションルールの信奉者はスコットランドの鋼の前では敵兵に値しない」というスコットランドの公衆からの反応もあった[ 11] 。アルコック会長はこれらの試合でプレーする権利を「ツイード川 (イングランド-スコットランドの国境を流れる川)の北側にいるか南側にいるかに限らず、すべてのスコットランド人選手に開かれている」と強調したが[ 10] 、実際にはスコットランド代表選手の全員がイングランドに居住するスコットランド人で構成された。1870年と1871年の対戦は国際サッカー連盟 (FIFA)から正式に認知されているわけではないが、スコッツマン紙は「国際試合」と表現し、グラスゴー・ヘラルド紙は「真の国際サッカー試合」と表現した[ 12] 。この2試合はただ「世界で初めて行なわれたサッカーの国際試合」だっただけではなく、チーム戦術が例証された試合でもあった。例えば、1870年11月19日の試合の観衆は、この試合を「多くの連携プレーが見られた試合」とみなしており[ 13] 、1871年2月25日の試合に出場した選手(アルコックを含む)は「ゴールを生むために選手が協力していた」と記している[ 14] 。
1870年から1872年に行われたイングランドとスコットランドの試合結果
日付
場所
ホームチーム
スコア
アウェーチーム
大会
1870年3月5日
ロンドン , ジ・オーバル
イングランド
1–1
スコットランド
親善試合
1870年11月19日
1–0
1871年2月25日
1–1
1871年11月17日
2–1
1872年2月24日
1–0
1872年10月3日にFAによって記された覚え書きには、「スコットランドにおけるサッカーのさらなる発展のため、(イングランドは)本シーズン中にグラスゴーにチームを送ってスコットランド代表と対戦すべきと決定された」ことが記されている。1872年12月2日のスコッツマン紙によれば、当時のスコットランドに存在するサッカークラブは約10クラブだけだった。この時期の国際試合はスコットランドのサッカー人口増加に貢献した[ 15] 。国際サッカー連盟 (FIFA)によって認められている初の国際試合は1872年11月30日、スコットランドの祝日であるセント・アンドルーズ・デイ に、西スコットランドクリケットクラブ のホームスタジアムであるパルティック地区のハミルトン・クレセント で行なわれた[ 16] [ 17] 。当時のスコットランドでもっとも成功を収めていたクイーンズ・パークFC の選手がそのままスコットランド代表となった[ 17] 。入場料は1シリングであり、4,000人が観戦した試合はスコアレスドローに終わった[ 16] [ 17] 。1873年3月8日、今度はイングランドで対戦が行なわれ、イングランドのアレクサンダー・ボンサー が国際試合における初得点を記録し、イングランドが4-2で勝利した[ 15] 。この試合以後、スコットランドとイングランドの対戦は年1回の定期戦となり、両国で交互に開催された[ 15] 。1874年の試合は再びハミルトン・クレセントで行なわれ、2-1で勝利したスコットランドが初勝利を記録した[ 18] 。1870年代後半にはスコットランドが3連勝し、特に1878年の試合では7-2で大勝した[ 15] 。
有名な試合と定期戦
1872年に最初の対戦が行なわれて以来、1989年まで(第一次世界大戦 と第二次世界大戦 中は除く)毎年春に定期戦を行なっていた。1884年から1984年までは、ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ の最後を締めくくる試合だった。同大会は1950 FIFAワールドカップ 、1954 FIFAワールドカップ 、UEFA欧州選手権1968 の際に予選の一部として行なわれた。毎年1試合の開催だったが、スコットランドサッカー協会 の創立100周年記念親善試合が行なわれた1973年は、ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップと合わせて2試合の対戦が行なわれた。1984年に同大会が廃止されると、1989年まではロウズ・カップ の一部として定期戦が行なわれた。
1928年の対戦
1928年にウェンブリー で行われた試合にはスコットランドが5-1で勝利し、スコットランドの出場選手が「ウェンブリーの魔法使いたち」[ 16] と称されるとともに、この試合は今日まで神話として語り継がれている。スコットランドとイングランドはブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップで支配的な成績を収めていたが、この年の大会では互いにアイルランドとウェールズに敗れており、最下位決定戦という意味合いも持っていた。スコットランド勝利の結果、イングランドは大会史上2度目の単独最下位となった。
試合詳細
1961年の対戦
1961年の試合はイングランドが9-3で勝利した。両者の対戦での最大得点差記録を更新し、スコットランドにとって不名誉な試合となった。キーパーのフランク・ハフェイ は後にオーストラリアへの移住を決断しているが、この試合での低調なプレーも理由のひとつである。ハフェイのプレーぶりの酷さは、イングランドにおいて「スコットランドのキーパーは質が低い」という固定観念を生んだ[ 19] [ 20] 。
試合詳細
1967年の対戦
1967年の対戦はUEFA欧州選手権1968 予選の一部として行われたが、この試合はスコットランドにとって、イングランド戦でのもっとも有名な勝利となった[ 16] 。イングランドは前年に1966 FIFAワールドカップ で優勝しており、このスコットランド戦まで19戦無敗を続けていた[ 16] [ 21] 。試合序盤にはイングランドのジャック・チャールトン が負傷したが[ 16] [ 21] 、アルフ・ラムジー 監督は規則に阻まれてJ・チャールトンを交代させられず、不慣れなセンターフォワードでプレーさせざるを得なかった[ 16] [ 21] 。27分にスコットランドのデニス・ロー が先制点を挙げ、78分にはボビー・レノックス が追加点を決めた。84分にはJ・チャールトンが1点を返したが[ 16] 、すぐにスコットランドのジム・マカリオグ が再び2点差とする得点を挙げた[ 16] 。ジェフ・ハースト の得点でイングランドが再び1点差に詰め寄ったが、スコットランドが3-2で勝利した[ 16] 。試合終盤にはスコットランドのジム・バクスター がキーピー・ヤッピー(ボールを地面に落とさずに保持し続けること)を見せた[ 16] [ 21] [ 22] 。イングランドは他会場の結果によりUEFA欧州選手権1968本大会出場権を獲得したが[ 21] 、試合後、スコットランドのファンは自らが非公式サッカー世界王者 であると冗談めかして主張した[ 16] 。ロー、バクスター、ビリー・ブレムナー などが所属するセルティックFC は1ヶ月後にUEFAチャンピオンズカップ 優勝を果たした。
試合詳細
1977年の対戦
1977年の対戦はスコットランドのアリー・マクラウド 新監督にとっての初采配試合だった。42分、左サイドからのフリーキックにゴードン・マックィーン がヘディングで合わせ、スコットランドが先制点を挙げた。60分にはケニー・ダルグリッシュ がリードを2点に広げ、イングランドの反撃はPKによる1点にとどまった。スコットランド国内では1978 FIFAワールドカップ に向けて楽観的な雰囲気が作り出され、イングランドにとってはロン・デイヴィス 監督の退任を早めた。試合後にはスコットランドサポーターたちがピッチ内に乱入し、芝を引き剥がしたりゴールポストを破壊したことから[ 23] 、イギリスにおけるフーリガニズム の認知に貢献した。
試合詳細
定期戦終了後
EURO 1996
UEFA欧州選手権1996 のグループリーグ組み分け抽選では、欧州サッカー連盟 (UEFA)が2国を計画的に別組に組み分けるという噂も報じられたが[ 24] 、イングランドとスコットランドは同組となった。本大会がイングランドで開催され、なおかつ過去7年間で初めての対戦となるため、組み分け抽選後には多くの論評や期待が寄せられ、試合のチケットは抽選会から2日間で完売した[ 25] 。同グループにはスイス代表 とオランダ代表 も組み入れられた。グループリーグでの両者の対戦は、1996年6月15日の土曜日にウェンブリー で行われた。試合前に流れたスコットランドの国歌 は、イングランド人観客のブーイングで完全にかき消された[ 26] 。前半はスコットランドがより多くのチャンスを作ったが、ほぼ互角の戦いで0-0に終わった[ 27] 。後半から出場したジェイミー・レドナップ がイングランドに流れを引き寄せ[ 28] [ 29] 、アラン・シアラー がヘディングシュートを決めてイングランドが先制した[ 28] 。76分にはゴードン・デューリー がトニー・アダムス から反則を受け、スコットランドがPKを得たが、ガリー・マカリスター のキックはデヴィッド・シーマン にセーブされた[ 29] 。そのすぐ後には、スコティッシュ・プレミアリーグ のレンジャーズFC に在籍していたポール・ガスコイン がイングランドに追加点をもたらした[ 30] 。後にイギリス首相 に就任するスコットランド人のゴードン・ブラウン は、「ガスコインの得点は私にとってお気に入りの瞬間だ」と発言したと報じられ、スコットランドで批判を呼んだが[ 31] 、本人はこの発言について否定している[ 32] 。イングランドはグループリーグ最終戦でオランダを4-1で下し、大会史上初のグループリーグ突破を決めた(3位になったUEFA欧州選手権1968 はグループリーグそのものがなかった)が、スコットランドはオランダと勝ち点(4)・得失点差(-1)で並び、得点数(オランダ3、スコットランド1)で下回ってグループリーグ敗退に終わった[ 33] 。ガーディアン 紙は後に「イングランドサポーターの歓喜は78分のパトリック・クライファート のゴールとともに終わり、それによってスコットランドの準々決勝進出の望みも潰えた」と書いている[ 34] 。
EURO 2000予選
UEFA EURO 1996後には定期戦の再開が前向きに検討されたが、結局実現には至らなかった[ 35] 。UEFA EURO 1996後は3年間対戦機会がなかったが、UEFA EURO 2000予選 では両国ともグループ2位に終わり、プレーオフで対戦が実現した[ 36] 。ファーストレグは1999年11月13日の土曜日にグラスゴーのハムデン・パークで行われたが、両者がスコットランドで対戦するのは10年ぶりのことであった。ポール・スコールズ が2得点し、イングランドが2-0で先勝した[ 37] 。試合後のグラスゴー市中心部ではサポーター同士のトラブルがあり、51人が逮捕された[ 38] 。セカンドレグは11月17日にロンドンのウェンブリーで行われ、試合を優勢に進めたスコットランドがダン・ハッチソン の得点で先制。2点目にも迫り続けたが、最少得点差での勝利に留まり、2試合合計2-1でイングランドが本大会出場を決めた[ 39] 。
FA創立150周年記念親善試合
1999年11月に行われたUEFA EURO 2000予選 プレーオフ以降は13年以上も対戦機会がなかった。ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ の復活や、両者の定期的な対戦を期待する声は大きかった[ 40] [ 41] 。2006年12月、北アイルランド代表 のローリー・サンチェス 監督は、ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの代わりとして、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ 、アイルランド共和国 が競う大会の設立を提案し[ 42] 、2011年には同4ヶ国が競うネイションズ・カップ が初開催された[ 43] [ 44] 。2007年にウェンブリー が再オープンした際には、イングランドがこけら落としの相手としてスコットランドを招待することを期待する声もあった[ 45] が、結局実現しなかった。2007-08シーズン終了後には一度限りの親善試合が検討されたが[ 46] 、スコットランド代表のジョージ・バーリー 監督が試合開催時期に異議を唱え、試合は行なわれなかった[ 47] 。スコットランドサッカー協会 (SFA)の最高責任者であるゴードン・スミス は、「FA の懸念事項は両国間の対戦がフーリガニズムと結び付けられることである」と述べた。シティ・オブ・マンチェスター で行われた2007-08シーズンのUEFAカップ 決勝では、レンジャーズFC のサポーターによる暴動が発生していた[ 48] 。2012年6月16日、FAは自らの創立150周年記念として、2013年8月にスコットランドと親善試合を行うことを発表した[ 49] [ 50] 。2013年8月14日に行なわれた親善試合ではスコットランドが2度もリードを奪ったが、結局イングランドが3-2で勝利した[ 51] 。
記録
イングランド代表とスコットランド代表の対戦はこれまでに110回あり、それぞれにとってもっとも多く対戦した国(地域)である[ 52] [ 53] 。対戦成績ではイングランドがやや上回っており、イングランドが45勝、スコットランドが41勝である[ 54] 。引き分けが24試合あるが、スコアレスドローに終わったのは3試合しかなく、1872年から1970年までの98年間に行われた試合では必ずどちらかに得点が生まれた[ 54] 。イングランドは192得点を挙げており、スコットランドは169得点を挙げている[ 54] 。最大得点差勝利は1961年に行われたブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ で記録され、この試合はイングランドが6点差(9-3)で勝利した[ 54] 。スコットランドの最大得点差勝利は1878年に行われた試合の5点差(7-2)である[ 54] 。1937年にグラスゴーのハムデン・パーク で行われた試合では、過去最多の観客数(149,415人)が記録され、これは観客数のヨーロッパ記録にもなった[ 16] 。スコットランドは初対戦からの16試合で10勝を挙げ、長らく勝利数でイングランドを上回っていた。スコットランド(約500万人)はイングランド(約5300万人)の1/10の人口しか持たないが、19世紀後半のスコットランドではパスサッカーが発達したことでイングランドより優勢に立ち、1880年代後半には「スコッチ・プロフェッサーズ」と呼ばれる優れたスコットランド人選手たちがイングランドのプロクラブで活躍した[ 55] 。第二次世界大戦 後は圧倒的にイングランドが優勢であり、1983年のブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの勝利で初めて対戦成績が逆転した。
公式試合一覧
スコア欄はスコットランドを左に示している。
日付
場所
スコア
大会
1872年11月30日
グラスゴー , ハミルトン・クレセント
0–0
親善試合
1873年3月8日
ロンドン , ジ・オーバル
2–4
1874年3月7日
グラスゴー , ハミルトン・クレセント
2–1
1875年3月6日
ロンドン , ジ・オーバル
2–2
1876年3月4日
グラスゴー , ハミルトン・クレセント
3–0
1877年3月3日
ロンドン , ジ・オーバル
3–1
1878年3月2日
グラスゴー , ハムデン・パーク
7–2
1879年4月5日
ロンドン , ジ・オーバル
4–5
1880年3月13日
グラスゴー , ハムデン・パーク
5–4
1881年3月12日
ロンドン , ジ・オーバル
6–1
1882年3月11日
グラスゴー , ハムデン・パーク
5–1
1883年3月10日
シェフィールド , ブラモール・レーン
3–2
1884年3月15日
グラスゴー , カスキン・パーク
1–0
ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ
1885年3月21日
ロンドン , ジ・オーバル
1–1
1886年3月27日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1887年3月19日
ブラックバーン , レミントン・パーク
3–2
1888年3月17日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–5
1889年4月13日
ロンドン , ジ・オーバル
3–2
1890年4月5日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1891年4月4日
ブラックバーン , イーウッド・パーク
1–2
1892年4月2日
グラスゴー , アイブロックス・スタジアム
1–4
1893年4月1日
リッチモンド , アスレティック・グラウンド
2–5
1894年4月7日
グラスゴー , セルティック・パーク
2–2
1895年4月6日
リヴァプール , グディソン・パーク
0–3
1896年4月4日
グラスゴー , セルティック・パーク
2–1
1897年4月3日
ロンドン , クリスタル・パレス国立スポーツセンター
2–1
1898年4月2日
グラスゴー , セルティック・パーク
1–3
1899年4月8日
バーミンガム , ヴィラ・パーク
1–2
1900年4月7日
グラスゴー , セルティック・パーク
4–1
1901年3月30日
ロンドン , クリスタル・パレス国立スポーツセンター
2–2
1902年5月3日
バーミンガム , ヴィラ・パーク [ 注 2]
2–2
1903年4月4日
シェフィールド , ブラモール・レーン
2–1
1904年4月9日
グラスゴー , セルティック・パーク
0–1
1905年4月1日
ロンドン , クリスタル・パレス国立スポーツセンター
0–1
1906年4月7日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–1
1907年4月6日
ニューカッスル , セント・ジェームズ・パーク
1–1
1908年4月4日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1909年4月3日
ロンドン , クリスタル・パレス国立スポーツセンター
0–2
1910年4月2日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1911年4月1日
リヴァプール , グディソン・パーク
1–1
1912年3月23日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1913年4月5日
ロンドン , スタンフォード・ブリッジ
0–1
1914年4月4日
グラスゴー , ハムデン・パーク
3–1
1920年4月10日[ 注 3]
シェフィールド , ヒルズボロ・スタジアム
4–5
ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ
1921年4月9日
グラスゴー , ハムデン・パーク
3–0
1922年4月8日
バーミンガム , ヴィラ・パーク
1–0
1923年4月14日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–2
1924年4月12日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–1
1925年4月4日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1926年4月17日
マンチェスター , オールド・トラッフォード
1–0
1927年4月2日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–2
1928年3月31日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
5–1
1929年4月13日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–0
1930年4月5日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–5
1931年3月28日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1932年4月9日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–3
1933年4月1日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–1
1934年4月14日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–3
1935年4月6日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1936年4月4日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–1
1937年4月17日
グラスゴー , ハムデン・パーク
3–1
1938年4月9日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–0
1939年4月15日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–2
1947年4月12日[ 注 4]
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–1
ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ
1948年4月10日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–2
1949年4月9日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
3–1
1950年4月15日[ 注 5]
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–1
1951年4月14日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
3–2
1952年4月5日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–2
1953年4月18日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–2
1954年4月3日[ 注 6]
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–4
1955年4月2日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–7
1956年4月14日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1957年4月6日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–2
1958年4月19日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–4
1959年4月11日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–1
1960年4月9日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1961年4月15日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
3–9
1962年4月14日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1963年4月6日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–1
1964年4月11日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–0
1965年4月10日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–2
1966年4月2日
グラスゴー , ハムデン・パーク
3–4
1967年4月15日[ 注 7]
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
3–2
1968年2月24日[ 注 7]
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1969年5月10日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–4
1970年4月25日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–0[ 注 8]
1971年5月22日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–3
1972年5月27日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–1
1973年2月14日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–5
親善試合[ 注 9]
1973年5月19日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–1
ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ
1974年5月18日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–0
1975年5月24日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–5
1976年5月15日
グラスゴー , ハムデン・パーク
2–1
1977年6月4日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2–1
1978年5月20日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–1
1979年5月26日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–3
1980年5月24日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–2
1981年5月23日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–0
1982年5月29日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–1
1983年6月1日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–2
1984年5月26日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–1
1985年5月25日
グラスゴー , ハムデン・パーク
1–0
ラウス・カップ
1986年4月23日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–2
1987年5月23日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–0
1988年5月21日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–1
1989年5月27日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–2
1996年6月15日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
0–2
UEFA EURO 1996
1999年11月13日
グラスゴー , ハムデン・パーク
0–2[ 注 10]
UEFA EURO 2000予選 プレーオフ
1999年11月17日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
1–0[ 注 10]
2013年8月14日
ロンドン , ウェンブリー・スタジアム
2-3
親善試合
クラブ同士の対戦
両国代表の対戦同様に、両国のクラブの対戦もまた、欧州カップ戦などで数多く行われている。イングランドのクラブとスコットランドのクラブの対戦は、メディアによって「バトル・オブ・ブリテン」と表現されることも多い[ 56] [ 57] [ 58] [ 59] 。バトル・オブ・ブリテンの中で最も有名な試合は、1969-70シーズンのUEFAチャンピオンズカップ 準決勝でのセルティックFC 対リーズ・ユナイテッドAFC 戦である。この試合を機にバトル・オブ・ブリテンという表現が広まった[ 60] 。エランド・ロード で行われたファーストレグは、アウェーのセルティックが1-0で勝利した。セカンドレグは多くの観客が見込まれたため、セルティック・パーク (増築前)ではなくハムデン・パーク で行われた。ビリー・ブレムナー の得点でリーズが2試合合計1-1の同点に持ち込んだが、その後逆転したセルティックが2-1で勝利し、2試合合計3-1で勝ち上がりを決めた[ 61] 。1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ 予選2回戦ではレンジャーズFC とリーズが対戦したが、レンジャーズがホーム&アウェーともに勝利し、クラブ史上初の本選グループリーグ出場を決めた。1997-98シーズンのUEFAカップ 1回戦ではセルティックとリヴァプールFC が対戦し、アウェーゴールルールによりセルティックが涙をのんだ。しかし、2002-03シーズンの同大会決勝では、2回戦でブラックバーン・ローヴァーズFC を、準々決勝でリヴァプールを撃破したセルティックが決勝まで勝ち上がった[ 60] 。セルティックとマンチェスター・ユナイテッドFC は、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグで短期間に2度(2006-07、2008-09)[ 60] 同組となった。2009-10シーズンの同大会予選ではアーセナルFC がセルティックを2試合合計5-1で下した。2010-11シーズンの同大会グループリーグではマンチェスター・Uとレンジャーズが同組となり、オールド・トラッフォード で行われたファーストレグはスコアレスドローに終わった[ 59] 。デイリー・テレグラフ 紙のロディー・フォーシスは「両リーグの経済的不均衡の拡大が観客数の低迷に反映されていた。レンジャーズは守備的な戦術を採用し、マンチェスター・Uは控え選手を出場させた」とコメントした[ 59] 。2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグではハート・オブ・ミドロシアンFC (ハーツ)とトッテナム・ホットスパーFC が対戦し、2試合合計5-0でトッテナムが勝利した[ 62] [ 63] 。2012-13シーズンの同大会予選プレーオフではハーツとリヴァプールが対戦し、2試合合計2-1でリヴァプールが本選グループリーグ出場権を獲得した[ 64] 。
イングランドとスコットランドのクラブは、UEFAチャンピオンズリーグやUEFAヨーロッパリーグ以外の大会でも数多く対戦している。1938年にはエンパイア・エキシビション・トロフィー(Empire Exhibition Trophy)が開催され、アイブロックス・スタジアム で行われた決勝ではセルティックがエヴァートンFC を1-0で下して優勝した[ 65] 。1953年には、前年のエリザベス2世 戴冠を記念してコロネーション・カップ が開催された。両国から強豪4クラブがトーナメント方式の大会に参加し、準決勝でイングランドのクラブを破ったセルティックとハイバーニアンFC が決勝で対戦。同国対決となった決勝はセルティックが2-0で勝利して優勝した[ 66] 。1955年、欧州サッカー連盟 (UEFA)がUEFAチャンピオンズカップを創設した。1970年代には、アメリカの石油会社テキサコが冠スポンサーを務めるテキサコ・カップ が設立され、主要なUEFA主催カップ戦の出場権を逃したクラブがトーナメント方式で優勝を競った[ 67] 。しかし、この大会への人々の興味はすぐに薄れ、テキサコは1974-75シーズン終了後にスポンサーを降りた[ 67] 。大会自体はアングロ=スコティッシュ・カップ という名称で続けられたが、1981年に廃止された[ 67] 。
サポーター
イングランドとスコットランドはともにイギリス の一部であるにもかかわらず、多くのスコットランド人がイングランドの対戦相手を応援し、また多くのイングランド人がスコットランドの対戦相手を応援するという事実によって、両者のライバル意識は明白である[ 68] [ 69] [ 70] 。スコットランド人がイングランドを応援すべきかどうかは、常に白熱する議論の題材となる[ 71] [ 72] [ 73] 。スコットランドのサポーターの中には「イングランドが嫌いなら立ちあがれ」や「イングランド人が嫌いなら手を叩け」を歌う者もおり[ 74] [ 75] 、イングランドのサポーターの中には「スコットランドが嫌いなら立ちあがれ」や「Jock(=スコットランド人)であるよりもPaki(=パキスタン人)であるほうがマシ」を歌う者もいる[ 76] [ 77] 。しかし、国際大会でイングランドが良い成績を挙げることを願うスコットランド人も存在する。2002 FIFAワールドカップ 開催直前の調査によれば、スコットランド人の1/3はイングランドを応援するつもりと回答し、イングランドの対戦相手を応援すると回答したスコットランド人はわずか1/6だった[ 78] 。2010 FIFAワールドカップ 前の調査では両者の差が縮まり、それぞれ1/4(24%)だった[ 73] 。この2大会の調査で最も多かった回答は「どちらでもない」だった[ 73] [ 78] 。
選手と監督
スコットランド出身でマンチェスター・U監督のアレックス・ファーガソン
そのライバル意識にかかわらず、スコットランド・イングランド間での選手・監督の往来は激しい。イングランド人選手がスコットランドのクラブでプレーすることも多いが、歴史的に、スコットランド人選手がより裕福なイングランドのクラブに移籍することが多い。イングランドの多くの名門クラブは、その歴史にスコットランド人が深く関わっている。ダブル(2冠)を達成した1960-61シーズンのトッテナム・ホットスパーFC には、ビル・ブラウン 、デイヴ・マッカイ 、ジョン・ホワイトの3人のスコットランド人選手がいた。デニス・ロー はマンチェスター・ユナイテッドFC の歴史上第2位の得点数を挙げた。1970年代から1980年代にかけて黄金期を築いたリヴァプールFC には、ケニー・ダルグリッシュ 、グレアム・スーネス 、アラン・ハンセン などのスコットランド人選手がいた。マンチェスター・Uとリヴァプールはイングランドで最も成功を収めた2クラブであるが、スコットランド人のマット・バズビー 監督とビル・シャンクリー 監督の功績は外せない。
スコットランドでのプレー経験がある名の知られたイングランド人選手は数少なかったが、1985年に起こったヘイゼルの悲劇 に対する措置として、イングランドのクラブは5年間国際試合への参加を禁じられたため、1980年代後半には多くのイングランド人選手がスコットランドのクラブに流入し[ 79] 、テリー・ブッチャー 、トレヴァー・スティーヴン 、ゲイリー・スティーヴンス 、クリス・ウッド 、マーク・ヘイトリー などの著名イングランド人選手がレンジャーズFC でプレーした。この時代のレンジャーズはマンチェスター・Uよりも裕福であり、それゆえにイングランド最大のクラブよりも高額の年俸をオファーできた[ 79] しかしプレミアリーグ 発足後には、レンジャーズやセルティックFC より裕福なイングランドのクラブが増加した[ 80] 。
近年は名のあるイングランド人選手がスコットランドでプレーすることはないが、セルティックのクリス・サットン とアラン・トンプソン は2003年のUEFAカップ 準優勝に大きく貢献した。また近年は、イングランドの主要クラブへのスコットランド人選手の流入数が減少している。国際大会におけるスコットランド代表の競争力は低下し続けており、イングランド・プレミアリーグはブリテン諸島 ではなく世界中からスター選手を惹きつけている[ 81] 。選手の枯渇とは対照的に、スコットランド人指導者はイングランド・プレミアリーグの主要クラブで地位を確立しており、アレックス・ファーガソン (元マンチェスター・ユナイテッドFC )やデヴィッド・モイーズ (マンチェスター・ユナイテッドFC )やアレックス・マクリーシュ (アストン・ヴィラFC 他)などがイングランドのクラブを率いている。2010年、ファーガソン監督はイングランド代表監督就任オファーを拒否していたと発言したが、その理由のひとつとして、「スコットランド人がイングランド代表監督に就任するには凄まじく不利な条件がある」ことを挙げた[ 82] 。また、何人かのイングランド人監督はスコットランドのクラブで監督経験があり、ジョン・バーンズ (セルティック)やトニー・モウブレイ (セルティック)やテリー・ブッチャー (インヴァネス・カレドニアン・シッスルFC )などが知られている。イングランド出身のジョー・ベイカー は、イングランドのフットボールリーグ でのプレー経験なしにイングランド代表に選出された初めて(そして唯一)の選手である。ベイカーがプレーした当時(1950年代後半から1970年代前半)は出身国の代表でしかプレーすることができなかったが[ 83] 、やがてこの規定が緩和され、スコットランド人の祖父母や父母がいれば、イングランド出身でもスコットランド代表でプレー可能となった。これにより、アンディ・ゴラム (1985年スコットランドA代表デビュー)やスチュアート・マッコール (1990年スコットランドA代表デビュー)はイングランド出身でありながらスコットランド代表でプレーした。
脚注
注釈
^ イングランド代表の事実上のホームスタジアムであるウェンブリー で行なわれたが、スコットランド代表が「ホーム」チーム扱いだった。
^ 1902年4月5日にアイブロックス・スタジアム で行われた試合の再試合である。4月5日の試合では試合中に立見席が崩壊して25人の死者を出した(詳細はアイブロックスの惨事 を参照)。5月3日の試合は被害者に対する寄付を募るために行われた。
^ 第一次世界大戦 の影響で、毎年の定期戦は1915年から1919年まで行われなかった。
^ 第二次世界大戦 の影響で、毎年の定期戦は1940年から1946年まで行われなかったが、非公式の国際試合は戦中も行われた。
^ 1950 FIFAワールドカップ ・ヨーロッパ予選の一部として行われた。
^ 1954 FIFAワールドカップ ・ヨーロッパ予選の一部として行われた。
^ a b UEFA欧州選手権1968 予選の一部として行われた。
^ 1872年以来98年ぶりとなるスコアレスドローに終わった。
^ スコットランドサッカー協会 の創立100周年を記念した親善試合である。
^ a b 2試合合計2-1で勝利したイングランドがUEFA EURO 2000 本大会出場権を獲得した。
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外部リンク