グレアム・スーネス
グレアム・ジェームズ・スーネス(Graeme James Souness、 1953年5月6日 - )は、スコットランド出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はリヴァプールやミドルズブラ、トッテナム・ホットスパーFCで活躍した。口髭がトレードマークの選手だった。リヴァプールでは通算359試合55ゴールの成績を残した[2][3]。 経歴1977-78シーズン途中にミドルスブラFCからリヴァプールFCへイングランドのクラブ間同士での移籍金の最高額で移籍[2]、2試合目のホームゲームとなったマンチェスター・ユナイテッド戦で弾丸シュートを決めるなどの活躍で、すぐにポジションを確保した[2]。1984年まで在籍し、ケニー・ダルグリッシュと共に、5度のリーグ制覇、3度のチャンピオンズカップ優勝などのタイトル獲得に貢献した[4]。1978年UEFAチャンピオンズカップ決勝ブルージュ戦ではスルーパスでケニー・ダルグリッシュの決勝ゴールをアシストした[2]。また同大会では1980年10月のオウルン・パロセウラ戦、1981年3月のPFC CSKAソフィア戦と2度のハットトリックを決めている[5]。リヴァプール通算では359試合55ゴールの成績を残した[2]。 その後、イタリア、セリエAの UCサンプドリアに移籍、2シーズンプレーの後、33歳にして、母国スコットランドのレンジャーズFCで選手兼監督としてのキャリアをスタート[4]、以来、リヴァプールやサウサンプトンFCを始め[2]、トルコのガラタサライ、イタリアのトリノ、ポルトガルのSLベンフィカ、ブラックバーン・ローヴァーズFCなど、国外ビッグクラブから中堅クラブまで監督として幅広く指揮した。 スコットランド代表としては、1982年スペインワールドカップ、1986年メキシコワールドカップに出場した。82年大会ではグループリーグのソビエト戦でゴールを決めている。 そして2004年9月、ボビー・ロブソンの後を受けてニューカッスル・ユナイテッドFCの監督に就任しただがチームの成績は下降線をたどり2006年2月に解任された。リヴァプールの監督時代、心臓バイパス手術を3回にわたって受け、今なお薬物治療を続けている。現在コメンテーターとして活躍中の同氏だが、2023年にとある日本人選手を批判したことにより批判が殺到した。現在彼へのコメンテーターとしての仕事のオファーは激減している。 選手経歴
指導経歴
タイトルクラブ個人
関連項目脚注
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