ウィキメディア・コモンズには、
サラ・マイアーに関連するカテゴリがあります。
サラ・マイアー(ドイツ語: Sarah Meier、1984年5月4日 - )は、スイスの元フィギュアスケート選手(女子シングル)。
2002年ソルトレイクシティオリンピック・2006年トリノオリンピック・2010年バンクーバーオリンピックスイス代表、2011年欧州選手権優勝。
人物
1984年5月4日、ビュラッハで生まれる[1]。生家は有名なスケート一族で、叔母はフィギュアスケートコーチ、母は国際スケート連盟審判員、姉はシンクロナイズドスケーティング選手、父やおじ、それに2人のいとこはアイスホッケーの選手である[2][3]。
2018年8月3日、トライアスロン選手のジャン・バン・ベルケルと結婚した[4]。
経歴
1999-2000シーズンからスイスフィギュアスケート選手権で7度の優勝を誇る。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックにも出場した。2006-2007シーズンにはロシア杯でGPシリーズ初優勝を果たす。GPファイナルにも出場し、スイス女子シングル選手として初の表彰台となる3位に入った。欧州選手権ではスイス女子選手として初めて銀メダルを獲得。翌年の欧州選手権でも再び2位となった。
2008-2009シーズンからは怪我に苦しませられることになる[5]。腰椎椎間板ヘルニアと筋肉の問題で苦しみ、欧州選手権を欠場。世界選手権では9位に入り、バンクーバーオリンピックの出場権を獲得した[6]。
2009-2010シーズン、アキレス腱の炎症に苦しむ[7]。NHK杯ではSP8位だったが、FSの6分練習を終えた後に、足の痛みを感じ棄権をした[8]。同様の理由で、スケートカナダは出場を辞退した。欧州選手権では5位となり、スイスの連盟が設定したオリンピックの派遣順位が10位以内だったため、それを満たした。バンクーバーオリンピックでは15位。世界選手権では2つのジャンプを失敗し、初めてFSに進出できなかった。
2010-2011シーズン、スケートカナダは靭帯の損傷で演技開始前に棄権[9]。最後の試合として挑んだ地元スイスでの欧州選手権では、SP3位でのスタートとなった。FSでは最終滑走で、スタンディングオベーションを受ける演技をし、地元開催の欧州選手権でスイス人選手で初めての優勝を果たした。スイス人の女子シングルではデニス・ビールマン以来、30年ぶりの優勝であった。
2015年のアート・オン・アイスをもってプロスケーターからも引退。スポーツジャーナリストの仕事を行っている。しかしながら、引退発表後も度々アイスショーで演技を披露している。
主な戦績
2001-2002シーズン以降
2000-2001シーズンまで
詳細
プログラム
脚注
外部リンク