エリザベータ・トゥクタミシェワ
エリザベータ・セルゲーエヴナ・トゥクタミシェワ[注釈 1](ロシア語: Елизавета Сергеевна Туктамышева, ラテン文字転写例:Elizaveta Sergeyevna Tuktamysheva, 1996年12月17日 - )は、ロシアのフィギュアスケート選手(女子シングル)。愛称Liza(リーザ)。 2015年世界選手権優勝。2014年グランプリファイナル優勝。2015年欧州選手権優勝。 人物ロシア連邦ウドムルト共和国のグラゾフで、元スキー選手でサッカーコーチの父と代数学と幾何学の教師の母のもとに生まれる。7歳下に同じくフィギュアスケートをしている妹エフゲーニャがいる。 2011年4月上旬に父親が若くして死去。8月からはコーチのアレクセイ・ミーシンの尽力とM・クズネツォフ記念オリンピック基金の支援で教師の母親と小学生の妹をサンクトペテルブルクに呼び寄せ共に暮らすようになった[1]。この移住に伴って課題の提出と検定試験を受けることで進級できる形態の学校に転校[2]。 最も尊敬する選手は、3度の五輪メダリストで兄弟子のエフゲニー・プルシェンコ[3]。他、好きな選手や演技に浅田真央、安藤美姫[4]やキム・ヨナ、ジョアニー・ロシェットなどを挙げている[5]。 経歴ジュニア時代(2001年 – 2011年)4歳半頃スケートを始め[6]、地元グラゾフでスヴェトラーナ・ヴェレテンニコワの指導を受けていた。 9歳のときベルゴロドで開催された競技会で優勝すると世界的に著名なコーチのアレクセイ・ミーシンに見出され[7][8]、指導を受けるため2週間ごとに片道27時間をかけ故郷からヴェレテンニコワコーチと共にサンクトペテルブルクへ通うことになった[9]。ミーシンの元ではまずすべての基礎技術を矯正された[8]。 2008年ロシア選手権とロシアジュニア選手権で共に2位。 2009年ロシア選手権ではSP10位からFSで124.57の高得点を得て3位となっている[10]。 2010-2011シーズンからジュニアグランプリシリーズの出場可能年齢に達し参戦。初戦のブラショフ杯およびブラオエン・シュベルター杯で連続優勝を果たし、ジュニアグランプリファイナルへの出場を決める。ファイナルでは同じくロシア代表のアデリナ・ソトニコワに次ぐ2位に入る。初出場となった世界ジュニア選手権でもソトニコワに次ぐ2位となった。 2011年夏にステファン・ランビエールの指導で表現と身体の動きを学ぶ[11]。 シニア転向以降(2011年 – 現在)2011-2012シーズン、シニアデビュー戦のスケートカナダで初優勝、グランプリシリーズ史上で初めてデビュー戦で優勝した女子選手となった。続くエリック・ボンパール杯でも優勝し、ポイントランキング1位の成績でグランプリファイナル進出を決めた。しかし表彰台が期待されたファイナルではSPでの出遅れが響き、4位に終わった。続くロシア選手権でも、グランプリファイナル同様にSPで出遅れ、最終結果は6位となってしまうが、翌月のインスブルックユースオリンピックでは立て直し、アデリナ・ソトニコワを破って優勝した。世界ジュニア選手権への出場は、新たなプログラムの作成に専念するとして辞退した。 2012-2013シーズン、2シーズン連続でグランプリファイナルに出場し、4位。ロシア選手権ではSPを首位で折り返したものの風邪を引いて棄権も考えたが出場し、初優勝を飾った。[12]シニアのISUチャンピオンシップス初出場となる欧州選手権ではSP4位と出遅れたが、FSで1位と巻き返し、トータルで3位となった。 2013-2014シーズン、スケートアメリカではSPの3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで転倒、ロステレコム杯ではFSでルッツとフリップを転倒するなどしていずれも4位に終わる。またソチオリンピック選考も兼ねたロシア国内選手権ではSPの3回転ルッツ-3回転トウループで転倒、FSではSPで転倒させたコンビネーションジャンプを成功させたものの、3回転フリップを転倒した。同世代とジュニアクラスの台頭もあり最終順位は10位に終わり、この時点で欧州選手権にも派遣されずソチオリンピックの代表入りを逃した。 2014-2015シーズン、チャレンジャーシリーズには3試合出場しいずれも優勝。獲得スコアでは2位以下に50点以上の大差をつけ、シリーズの最高成績者となった。スケートアメリカでは2位、中国杯では3シーズンぶりにグランプリシリーズでの優勝を果たした。グランプリファイナルではSP、FSのいずれも1位となり初優勝した。欧州選手権ではSP2位から逆転し、FSでは自身初の140点台を出し初優勝。シーズン10試合目となるババリアンオープンのSPで競技会で初めて3回転アクセルに挑戦するも転倒。SPの後に大会を棄権した。世界選手権のSPでは自身初めて3回転アクセルに成功し、自己ベストを大きく更新し1位。FSでも1位でイリーナ・スルツカヤ以来10年ぶりにロシアの女子選手として世界選手権を制した。 2015-2016シーズン、スケートカナダではSP7位と出遅れながら、FSで挽回し銀メダルを獲得。エリック・ボンパール杯は、パリ同時多発テロ事件の影響でFSが中止となったため、SPの5位で順位が確定した。チャレンジャーシリーズでは最終2戦に出場し連続優勝。2年続けてでシリーズの最高成績者となった。ロシア選手権では8位に沈んだ。 2018-2019シーズン、スケートカナダ、フィンランディア杯、ロンバルディアトロフィーと3勝し、NHK杯にも初出場して3位に入賞するなど好成績を残す。4年ぶりに進出したGPファイナルでは3位に入賞し、銅メダルを獲得した[13]。 2020-2021シーズン、6年ぶりの出場となった世界選手権。SPではノーミスの演技で78.86とシェルバコワ、紀平梨花に次いで3位に立つ。FSでは2本目の3回転アクセルを見事に着氷した。3フリップこそ転倒はあったものの、持ち前の表現力で会場を魅了した。フリーは140点を超え、6年ぶりの表彰台、涙の銀メダルとなった。 2021-2022シーズン、出場した公式戦は全て2位の好成績を収めるも[14]ロシア選手権で7位に沈み、2022年北京オリンピックの選考では補欠登録にとどまり出場叶わず[15]。そして2022年ロシアのウクライナ侵攻によりロシア国籍選手の出場は制限され国外の活動が難しくなってからは、国内のアイスショーなどで活動。 2022-2023シーズン、現状で唯一大きな大会の出場といえるロシア選手権を目指し、11月のシリーズ第4戦モスクワ大会や第6戦ペルミ大会を優勝で制する[16]。そして迎えた12月のロシア選手権本大会では3位に入選し、8年ぶりに同選手権の表彰台に上がった[17]。15回目の出場や26歳という高齢の部類にありながらの結果に、メディアをはじめ各所からも称賛されている[18][19]。 技術3回転アクセルを含む6種類の3回転ジャンプを飛ぶことができる。また3回転ルッツ-3回転トウループのほか3回転フリップ-3回転トウループ、3回転サルコウ-3回転トウループ、3回転トウループ-3回転トウループの、四種類の3回転3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れることが出来る。さらに練習では3回転アクセル-3回転トウループも成功させている。他にも2回転半アクセル-3回転トウループや2回転半アクセル-1回転ループ-3回転サルコウを成功させており、練習では4回転トウループを着氷させている。現在は4回転トウループに加えて4回転サルコウも練習しており4回転ルッツも取り組む意向を示している。ジュニア時代にはフリップジャンプが踏み切りでアウトサイドになる癖もあったが、シニアデビュー以降2018-2019シーズンまで誤ったエッジでの踏み切りと判定されたことはなかった。 なお2010年夏の合宿中の練習では3回転アクセルを少なくとも一度は成功させている[20]が、2010年ロステレコム杯エキシビションのオープニングで数回、2011年7月8日に行われたミーシン一門のエキシビションショーで、2011-2012のフリープログラムの冒頭で3Aに挑戦するが、全て転倒か不発に終わっている。 軽快なジャンプが評価される一方で、リンクの使い方が小さいといった弱点も指摘されており[21]、2012年5月にはカナダへ渡りデイヴィッド・ウィルソンにフリープログラムの作成と指導を依頼[22]。 2015年世界選手権ショートプログラムで女子シングル史上6人目となる3回転アクセルに成功した。なお、世界選手権での成功は伊藤みどり、トーニャ・ハーディング、浅田真央に次ぐ4人目、ショートプログラムでの成功は伊藤、浅田に次ぐ3人目の快挙となった[23]。またこのショートプログラムは女子シングル史上初の4度の3回転ジャンプを成功させた演技となった。 2019年フィンランディア杯では、2010年バンクーバー五輪の浅田真央以来となる、SP・FS合わせて3度のトリプルアクセルに成功している。 25歳になった2022年、自身のインスタグラムにて「4回転トウループ」の着氷に成功した映像を公開している[24]。 ギャラリー
主な戦績シニア時代
ジュニア時代
詳細
プログラム使用曲
脚注注釈
出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia