モンポス(Mompox / Mompós)、正式名サンタ・クルス・デ・モンポス(Santa Cruz de Mompox)は、コロンビア北部ボリーバル県にある都市である。コロニアル様式の町並みが残る都市で、マグダレナ川とカウカ川が合流する場所近くの、洪水除けのために盛り土をした場所の上に築かれており、カルタヘナからは249 km 離れている。人口は約3万人で、ピニジョス(英語版)やサン・フェルナンド(英語版)に隣接している。
都市はマグダレナ川の安全な港として、1537年5月3日にアロンソ・デ・エレディア(Don Alonso de Heredia)によって建設された。サンタ・クルス・デ・モンポスの名は、当時のカルタヘナ総督フアン・デ・サンタ・クルス(Juan de Santa Cruz)にちなんでいる。この町は、川を遡って内陸に物資を運ぶ港として、大いに栄えた。王立造幣所もこの町に建設され、その金工たちで有名になった。この繁栄は19世紀になると衰退し始める。それでも20世紀初頭まではなおも港町として存続していたが、支流に堆積物がたまり、川の流れが変わると、そこに建てられた町マガングエ(英語版)に取って変わられた。
特に注目すべきなのは、アルバラダ通り(Calle de la Albarrada)、レアル・デル・メディオ通り(Calle Real del Medio)、アトラス通り(Calle de Atrás)などの街路沿いに見られる扉、手すり、格子窓などを飾り立てている鍛鉄製の作品である。また、サンタ・バルバラ聖堂(1613年建造)、アン・アグスティン聖堂(1606年建造)、サン・フアン・デ・ディオス聖堂、「無原罪の御宿り」聖堂などの素晴らしい聖堂群も残っている。
サン・フランシスコ聖堂は、元々は1564年に建てられたものであり、1580年には修道士フランシスコ・ゴンサガ(Fray Francisco Gonzaga)によって修道院が併設された。この聖堂は整った壁画で知られていたが、1996年の改修工事中のトラブルで損壊してしまった。基礎がしっかり固められるとともに、暫定的な修復作業は終わっている。
サン・フアン・デ・ディオス病院は1550年に建造された。1663年にはラ・オルデン・デ・トドス・ロス・エルマノス・オスピタラリオス(La Orden de todos los Hermanos Hospitalarios, 「病院の兄弟たち」の修道会)は、その経営権を引き取った。その維持・運営費は、その地方の有力者たちの寄付と、マグダレナ川を航行する船にかけられていた勅許税に依存していた。この病院は、当時の建物で今もなお機能しているものとしては、アメリカ州最古の病院であると考えられている。
市庁舎には、植民地時代の地下牢や市長の応接間がある。1810年8月6日にスペインからの独立宣言に調印がされたのも、「自由か死か」("Ser Libres o Morir")という叫びが初めて聞かれたのもここであった。
市の宮殿(The Municipal Palace)は1660年に建造されたもので、サン・カルロス修道院(the Cloister of San Carlos)とも呼ばれている。この修道院には、イエズス会が退去を命じられるまで存在していた最初の中等学校も存在していた。1767年に修道院でなくなり、1809年には、ペドロ・マルティネス・デ・ピニリョス(Pedro Martínez de Pinillos)によって使徒聖ペテロ総合学校(Universal School of Saint Peter the Apostle)が設立された。