ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
#各言語での国名 節参照
国の標語: ロシア語 : Пролетарии всех стран, соединяйтесь! アゼルバイジャン語 : !بوتون اؤلکهلرین پرولئتارلاری، بیرلشین / Bütün ölkәlәrin proletarları, вirlәşiniz! アルメニア語 : Պրոլետարներ բոլոր երկրների, միացե'ք! グルジア語 : პროლეტარებო ყველა ქვეყნისა, შეერთდით! (万国のプロレタリアよ、団結せよ! ) ソビエト連邦 におけるザカフカース連邦共和国の位置
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国 (ザカフカースしゃかいしゅぎれんぽうソビエトきょうわこく)、略称 でザカフカース[ 3] 共和国 (ザカフカースきょうわこく)は、1922年 から1936年 まで存在したソビエト連邦構成共和国 。スターリン憲法 の施行にともない廃止された。
各言語での国名
ロシア語 : Закавказская Социалистическая Федеративная Советская Республика , ラテン文字転写 : Zakavkazskaya Sotsialisticheskaya Federativnaya Sovetskaya Respublika
アゼルバイジャン語 : Zaqafqaziya Sosialist Federativ sovet Respublikası
アルメニア語 : Անդրկովկասյան Սոցիալիստական Ֆեդերատիվ Խորհրդային Հանրապետություն , ラテン文字転写 : Andrkovkasyan Sots’ialistakan Federativ Khorhrdayin Hanrapetut’yun
ジョージア語 : ამიერკავკასიის სოციალისტური ფედერაციული საბჭოთა რესპუბლიკა , ラテン文字転写 : amierk’avk’asiis sotsialist’uri pederatsiuli sabch’ota resp’ublik’a
歴史
ザカフカースにおける共同体国家の構想の起源はロシア帝国 の崩壊後の1918年の十月革命 までさかのぼる。この革命の後、コーカサス の各州は分離独立して、ザカフカース民主連邦共和国 という独立国家を結成した。しかし、民族・国家間の利害対立や、第一次世界大戦 におけるオスマン帝国 との対立により、ザカフカース連邦はわずか2か月後の1918年4月に解体された[ 4]
3つの後継国家であるアルメニア第一共和国 、アゼルバイジャン民主共和国 、グルジア民主共和国 はロシア内戦 が山岳地帯を越えて展開される中、内戦の終結まで存在したが、赤軍 の侵攻によりソビエト化 された。1920年 以降、アゼルバイジャン 、アルメニア 、グルジア で、相次いでボリシェヴィキ 政権が成立した。ボリシェヴィキは、この地域の経済的、政治的統一を図るため、三国で構成される連邦の創設を推進する。1921年4月11日、バクー・ソビエトはザカフカース・ソビエト共和国の結合について決議した[ 5] 。11月7日の第2回ザカフカース党会議はザカフカース共和国連邦について決議[ 6] 。
1922年3月12日、ティフリスで開催された三共和国の中央執行委員会代表によるソビエト大会は「ザカフカース社会主義ソビエト共和国連邦的同盟についての条約(ザカフカース連邦結成条約) 」を確認した[ 6] 。そして、ソビエト化された三共和国のアルメニア 、アゼルバイジャン 、グルジア は、「ザカフカース社会主義ソビエト共和国連邦同盟」として統合された。同年12月13日、第一回全ザカフカース・ソビエト会議 において、正式に統一された連邦国家へと再編され、「ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国」と改称された。ただし、形式的に構成共和国の自治は維持された。大会では憲法が採択され、ザカフカース中央執行委員会 (最高立法機関)および人民委員会議 (政府)も設置された。グルジアのボリシェヴィキ 指導者であるマミヤ・オラヘラシュヴィリ が、ザカフカースSFSR人民委員会議の初代議長となった[ 7] 。首都はトビリシ に置かれた。
ザカフカース・ソビエトが発行した労働赤旗勲章。
そして、1922年12月30日の第1回全連邦ソビエト大会 (ロシア語版 ) で、同共和国は、ロシア 、ウクライナ 、白ロシア とともに、ソビエト連邦 を創設した。
1936年 、スターリン憲法 制定に伴ってザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国は廃止され、内部のグルジア・ソビエト社会主義共和国 、アルメニア・ソビエト社会主義共和国 、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国 の3か国がソビエト連邦直下の構成国となった[ 8]
ザカフカース連邦の切手。それまで三国が独自に発行していた物に連邦の頭文字の5文字を記載している。
国内の自治共和国
ソビエト時代のザカフカースの地図
赤軍によるグルジア侵攻 (英語版 、ロシア語版 、グルジア語版 ) の後、アブハジア (グルジア民主共和国 内の自治州)は、ソビエト共和国として宣言された。1922年3月、アブハジアの革命委員会はこの地域をアブハジア社会主義ソビエト共和国 (アブハジア・ソビエト)と改称した。新たなソビエト共和国として宣言したにもかかわらず、グルジア、ロシアとの関係はまだ正式には確定していなかった[ 9] 。1921年12月16日、アブハジア・ソビエトはグルジア・ソビエトとの間で同盟条約を締結し、自らの地位を「条約共和国」(ロシア語 : договорная республика)として明文化した。この協定により、アブハジア独自の軍の編成が認められるとともに、両共和国間の政治的および財政的な統合が確立された。こうして、アブハジアはグルジアを通じてザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に加盟し、当初は連邦内の他の共和国と対等の地位にあった[ 10] 。しかし1931年2月19日、アブハジアの共和国としての地位は格下げされ、グルジア・ソビエト内のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国 へと移行した[ 11] 。
カルス条約 により、1921年7月16日、[[グルジア・ソビエト内にアジャリア自治ソビエト社会主義共和国 が設立された。この条約は、第一次世界大戦 中のコーカサス戦役 (英語版 、ロシア語版 ) の終結を記念するものであり、ロシア帝国クタイス県の旧バトゥミ州 をグルジアとトルコで分割することを定めていた。この協定により、グルジア系ムスリムが多く居住する北半分はグルジア・ソビエトの一部となるが、自治権が付与されることになった。
もう一つの自治共和国が、1920年7月にナヒチェヴァン に設立された。この地域はアルメニア、トルコ、イランと国境を接しており、アルメニア人とアゼルバイジャン人の双方によって領有が主張されていた。赤軍 によってこの地域が占領された後、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国 と緊密な関係を持つナヒチェヴァン自治ソビエト社会主義共和国 が宣言さた。モスクワ条約 とカルス条約 によりナヒチェヴァン地域をアゼルバイジャン・ソビエトの保護下にある自治共和国と位置付けられた[ 12] 。
通貨
連邦の領域内では、さまざまな通貨が流通していた。1922年4月11日、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国(RSFSR)の財務人民委員代理グリゴリー・ソコリニコフ と、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国(ZSFSR)の財務人民委員アレクサンドル・スワニーゼ は、ザカフカースとロシアの共和国間における通貨制度の統一に関する協定を締結したが、この協定にはザカフカースにおける単一通貨の創設は含まれていなかった[ 13] 。通貨改革が開始され、そのために、ザカフカースには150万プード の穀物、500万アルシン の織物、25万9千ルーブル分の金貨が送られた。また、ロシアとザカフカースの統合を実現するために関税同盟と、鉄道運賃の統一が実施され、「ロシア・コーカサス貿易株式会社」が設立された[ 14] 。1923年1月10日、ザカフカース連邦評議会の決議によりザカフカース・ルーブル (ロシア語版 、英語版 ) が導入されたが、しかし、1923年春までにの主要通貨はチェルヴォネツ (英語版 、ロシア語版 ) になった<(国立銀行からの融資はチェルヴォネツで発行された) [ 15] 。
政府首班
連邦会議議長
中央執行委員会議長
人口/民族
1926年 時点:
民族分布
総人口
5,861,600人
100 %
グルジア人
1,788,200人
30,5 %
アゼルバイジャン人
1,652,800人
28,2 %
アルメニア人
1,333,600人
22,8 %
ロシア人
336,100人
5,7 %
オセチア人
133,300人
2,3 %
タリシュ人
77,000人
1,3 %
クルド人
64,700人
1.1 %
ギリシア人
57,100人
1 %
アブハズ人
56,800人
1 %
ウクライナ人
53,600人
0.9 %
レズギ人
40,700人
0.7 %
ユダヤ人
29,900人
0.6 %
タート人
28,400人
0.5 %
タタール人
9,900人
0.2 %
ペルシア人
9,400人
0.2 %
アッシリア人
3,100人
0.05%
ヤジディ人
2,800人
0.05%
ウディ人
2,400人
0.04%
脚注
^ “Орахелашвили Мамия (Иван) Дмитриевич ”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年3月6日閲覧。
^ “Мусабеков Газанфар Махмуд оглы ”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年3月6日閲覧。
^ ザカフカース の他にもザカフカス や外カフカーズ の名称も用いられることがある。
^ Suny 1994 , pp. 191–192
^ 木村(1999年)、215ページ
^ a b 木村(1999年)、216ページ
^ Suny 1994 , p. 245
^ Закавказская федерация Archived 2015-09-25 at the Wayback Machine .. Большая советская энциклопедия , 3-е изд., гл. ред. А. М. Прохоров. Москва: Советская энциклопедия, 1972. Т. 9 (A. M. Prokhorov, ed (1972). “Transcaucasian Federation” (ロシア語). Great Soviet Encyclopedia . 9 . Moscow: Soviet Encyclopedia )
^ Saparov 2015 , pp. 50–57
^ Hewitt 1993 , p. 271
^ Blauvelt 2007 , p. 212
^ Text of the Treaty of Kars
^ Соколов А. С. Финансовая реформа Закавказья 1923—1924 гг. как фактор развития межреспубликанских финансово-экономических отношений // Становление советской государственности: выбор пути и его последствия: Материалы XIV международной научной конференции. Екатеринбург, 22-25 июня 2022 г. — М.: Политическая энциклопедия; Президентский центр Б. Н. Ельцина, 2022. — С. 392.
^ Соколов А. С. Финансовая реформа Закавказья 1923—1924 гг. как фактор развития межреспубликанских финансово-экономических отношений // Становление советской государственности: выбор пути и его последствия: Материалы XIV международной научной конференции. Екатеринбург, 22-25 июня 2022 г. — М.: Политическая энциклопедия; Президентский центр Б. Н. Ельцина, 2022. — С. 393.
^ Соколов А. С. Финансовая реформа Закавказья 1923—1924 гг. как фактор развития межреспубликанских финансово-экономических отношений // Становление советской государственности: выбор пути и его последствия: Материалы XIV международной научной конференции. Екатеринбург, 22-25 июня 2022 г. — М.: Политическая энциклопедия; Президентский центр Б. Н. Ельцина, 2022. — С. 394.
^ a b “Высшие органы государственной власти СССРЗ - ЗСФСР ”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年3月6日閲覧。
参考文献
木村英亮 『ロシア現代史と中央アジア』 有信堂高文社、1999年
関連項目