ジェレミー・ウォリナー
ジェレミー・ウォリナー(Jeremy Wariner, 1984年1月31日 - )は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手である。2004年アテネオリンピック400m、4×400mリレー、2008年北京オリンピック4×400mリレーの金メダリストである。テキサス州アービング出身。 400メートル走では、白人選手としては1980年モスクワオリンピックのビクトル・マルキン以来のオリンピックの金メダリストであり、アメリカの白人選手としては1964年のマイケル・ララビー以来となる金メダルを獲得した。 来歴2001年にアメフトと陸上で迷った末に陸上を選んだ。アメフトでもスターになれる素質を持っていたが、その選択に間違いは無かったと言える。2003年にその年のジュニア世界ランキング1位となる45秒13(なお日本の山口有希が彼と同じ年齢で、45秒18のジュニア日本記録で同2位)をマーク。戦績は全米ジュニア、パンアメリカンジュニア、共に2位。 2004年、この年を皮切りに彼は鮮やかな変貌を遂げる。NCAA選手権、全米五輪トライアルと立て続けに勝ち、世界大会初代表。そのままアテネオリンピック本戦でも金メダルを獲得。一躍、新スターとして名乗りを挙げた。そのときの優勝タイムは44秒00で、マイケル・ジョンソン引退以降では、当時世界最高だった。 2005年世界選手権ヘルシンキ大会優勝(43秒93)。これは当時世界歴代7位であり、史上8人目の43秒台ランナーとなった。これは100mの9秒台、200mの19秒台と並んでスプリンターの大台だが到達者はこの種目だけ極端に少ない。 2006年、記録は43秒62まで伸び、世界歴代4位に浮上。陸上グランプリシリーズ最高峰ゴールデンリーグでも6戦全勝し、ジャックポットを獲得した。 2007年、ストックホルムでのDNガランにおいて、43秒50の世界歴代3位タイの記録を出し、同年の世界陸上選手権大阪大会では、世界歴代単独3位となる43秒45の記録を出した。 2008年、全米陸上でラショーン・メリットに敗れ、2位。連覇を狙った北京オリンピックでは、準決勝で余裕をもって44秒15を出すなど、好調な様子を見せていた。しかし、決勝では直線入口でメリットに並ばれるとそのまま離され失速。最後はレースを諦めた形でフィニッシュ。1秒近い差をつけられ2位に終わった。 2009年、2年ぶりに大阪国際GPに参戦。45秒16の自己ベストを出した日本の金丸祐三を2位に抑え44秒69で優勝したが、2007年(44秒02で優勝)よりタイムを落としている。世界陸上ではワイルドカードで出場し、全米陸上の400mは欠場。その後シーズン無敗で迎えた世界陸上では 前年のWAF以来のメリットとの再戦となった。結果は最後の直線で突き放され、2位に終わった。シーズンベストは出したが、自己ベストには遠く及ばなかった。 その後は怪我に悩まされ、目立った結果を残せず、リオ五輪の選考レースで引退を決意。 エピソード
主な実績
自己ベスト
外部リンク
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