ジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ
ヌーネス(Nunes)ことジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ(João Batista Nunes de Oliveira、1954年5月20日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。スピードを活かし、右足でも強烈なシュートを武器にしていた[2]。 国内のクラブを中心に18のクラブを渡り歩いた点取り屋で、通算444試合235得点を記録した。ブラジル代表での出番は少なく、6試合の出場に留まった。 経歴CRフラメンゴのユース出身。1973シーズンから1部に在籍したが、出番を得られず、ADコンフィアンサへ移籍。しかし、そこでも出番がなく、1975年にサンタクルスFCへ移籍すると、そこでブレイクし、3年間で64試合37得点の結果を残した。1978年のヨーロッパ遠征から代表にも招集され[3]、4試合に出場した。 その後、フルミネンセFCとCFモンテレイを経て、1981年に古巣のCRフラメンゴへ復帰すると、ジーコに次ぐ得点源として[3]、4年間で152試合64得点の結果を残し、1981年のトヨタカップでは2ゴールを決めてリヴァプールを3-0と破り優勝、MVPはジーコに譲るも、足のいいやつ賞を受賞した[4]。1982年には得点王にも輝くなど、充実したシーズンを送った。その一方で、怪我の影響で1982 FIFAワールドカップへの出場を逃すなど[5]、代表から遠のいた。 1983年後半、ボタフォゴFRへ移籍するも、7試合の出場に留まり、半年でCRフラメンゴに復帰した。復帰後も、以前と変わらぬプレーで、43試合14得点を記録した。 1985年、ナウチコへ移籍するも、半年で17試合の出場に留まった。同年、ブラジルの強豪サントスFCへレンタル移籍するが[2]、1試合も出場できないまま、シーズン終了後アトレチコ・ミネイロへ移籍した。そこで復活し、58試合39得点の活躍を見せる。同年夏、自身初であるヨーロッパのボアヴィスタFC(ポルトガル)へ移籍するが、9試合しか出番を得られなかった。その後は国内外の中小クラブを転々とし、1992年にブラジルのサンタクルスFCで引退した。 脚注出典
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