ジョン・ヴェラスケス
ジョン・ヴェラスケス(John R. Velazquez 、1971年11月24日 - )は、アメリカ合衆国の騎手。プエルトリコ出身。 来歴1988年6月、プエルトリコのジョッキースクールに入学。1990年に騎手としてのキャリアをスタートさせると、同年3月にはアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手の勧めでプエルトリコを離れ、ニューヨーク州を拠点にアメリカ競馬で騎乗を始めた。 1991年、6月16日にプライヴェートマン(Private Man)でオハイオダービーを勝ち、重賞初制覇[1]。1993年、8月29日にアワド(Awad)でセクレタリアトステークスを勝ち、G1初制覇を果たす。 1995年、ジャパンカップに出走するタークパサー(Turk Passer)騎乗のため来日するが、同馬は出走取消となる。ジャパンカップ前日の11月25日、インターナショナルジョッキーズ1で日本初騎乗を果たすが、8着に終わった。 1996年、ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップに出場。3月2日のオープニングカップをアジヤフウジンで勝ち、日本での初勝利を挙げる。翌3月3日のセレブレイションカップでも2着に入るなどの活躍を見せ、計52点を獲得するが、54点を獲得した吉田稔に惜しくも敗れた[2]。 1998年、11月7日にダホス(Da Hoss)でブリーダーズカップ・マイルを勝ち、ブリーダーズカップ初制覇。 2004年、7月29日に通算3000勝を達成[3]。同年には初のリーディングジョッキーとなり、エクリプス賞最優秀騎手にも選ばれた。 2005年、3月26日にロージズインメイ(Roses in May)でドバイワールドカップを優勝。初めて北米以外のG1を制した。この年もまたリーディングジョッキーとなり、エクリプス賞最優秀騎手に選ばれている。 2007年、6月9日に牝馬のラグズトゥリッチズ(Rags to Riches)でベルモントステークスを勝ち、アメリカクラシック三冠競走初制覇。 2011年、5月7日のケンタッキーダービーで騎乗予定だった前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬・アンクルモー(Uncle Mo)が、内臓の疾患により出走を取り消した。そこで急遽、アニマルキングダム(Animal Kingdom)に騎乗することとなる。同馬に騎乗予定だったロビー・アルバラードが3日前に負傷し、騎手が不在となっていたためである。そしてそのアニマルキングダムに騎乗して、ケンタッキーダービー初制覇を果たした[5]。また同年12月、第25回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場。シリーズ初出場を果たしたが、4位に終わった。 2012年、4月23日にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の顕彰者に選出された[6]。 2013年、11月2日にブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズで騎乗していたシークレットコンパス(Secret Compass)がレース中に故障、転倒し落馬。脾臓摘出の重傷を負った[7]。 人物既婚者で息子が1人、娘が1人いる。妻のレオナはレオ・オブライエン調教師の娘。 主な勝ち鞍アメリカ
その他
参考文献
脚注
関連項目外部リンク
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