スタニスラフ・オレクサンドロビチ・モロゾフ(ウクライナ語: Станісла́в Олекса́ндрович Моро́зов、ロシア語: Станислав Морозов[1]、1979年2月1日 - )は、ウクライナの元フィギュアスケート選手(ペア)。2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックウクライナ代表。パートナーはタチアナ・ボロソジャル、アリオナ・サフチェンコなど。
表記
ウクライナ語音に基づけば「スタニスラーウ・オレクサーンドロヴィチ・モローゾウ」がより適当であるが、本稿では日本語メディアで多く使用されるカナ表記を用いている。
経歴
エカテリンブルクに生まれ、4歳ころからスケートを始めた。ジュニア時代の初期にエレーナ・ベルソフスカヤとペアを組み、1997年カールシェーファーメモリアルで優勝するがほどなく解散、1998年よりアリオナ・サフチェンコとペア結成した。
1999-2000シーズンからISUジュニアグランプリに出場。初出場ながらJGPファイナルで優勝、世界ジュニア選手権でも優勝を果たした。また、シニアクラスの欧州選手権およびISUグランプリシリーズにも出場し、ウクライナ選手権ではシニアクラスで優勝を飾った。翌2000-2001シーズンからシニアクラスに完全移行したが、各大会で入賞はあったものの、メダル獲得までには至らなかった。2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場し15位。シーズン終了後にペアは解散し、一時競技から引退する。
2004年、タチアナ・ボロソジャルとペアを結成し、競技会への復帰を果たした。2005年冬季ユニバーシアード競技会で2位、2005年欧州選手権では5位入賞となった。トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、カールシェーファーメモリアルで優勝し、トリノオリンピック出場資格を得たが、2005年11月、練習中にスタニスラフ・モロゾフ自身のケガのためISUグランプリシリーズへの出場は見送られた。ケガ明けのトリノオリンピックでは12位、世界選手権では10位に終わる。
2007-2008シーズン、初戦のエリック・ボンパール杯では5位となり、NHK杯ではSPで2位と好スタートを切ったが、FSではミスが目立ち総合で4位に終わった。欧州選手権ではSPを終え3位に付けていたものの、FSで逆転を許し総合4位、メダル獲得はならなかった。
バンクーバーオリンピックでは8位となり、これを最後に現役引退を表明した。
現在はロシアで、元パートナーのボロソジャルとトランコフのペアのコーチとして活動している。
主な戦績
詳細
- ^ ロシア語ラテン翻字: Stanislav Morozov
- ^ バンクーバーオリンピック最終予選指定競技会であり国際スケート連盟が主催した。
- ^ オープン参加 順位にはドイツ選手を含む。
プログラム使用曲
参考文献
脚注
外部リンク