スッタニパータ (巴 : Sutta Nipāta )は、セイロン(スリランカ )に伝えられた、上座部仏教 のパーリ語経典 (原始仏典)の小部 第五巻に収録された経 。スッタニパータの第4,5章は、現在伝世している全ての仏典 の中で最古層に属すると考えるのが定説である。
概略
「スッタ」(Sutta)はパーリ語で「経 」の意[ 注 1] 、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、あわせて『経集 』の意となり、『南伝大蔵経 』のようなパーリ語経典日本語訳の漢訳題名でも、この名が採用されている[ 1] 。
文字通り古い経を集めたものであり、その一部に対応する漢訳経典としては『義足経 』(大正蔵 198)がある[ 2] 。第4章と第5章に対する註釈として、サーリプッタ (舎利弗 )の作と伝承される同じく小部に収録されている『義釈 』がある[ 3] 。1世紀から3世紀に書かれたとされるガンダーラ語仏教写本 にスッタニパータの「犀角の句」が含まれていることが確認されている。
スッタニパータの経典の中で、釈迦は現世の欲や執着を絶って輪廻 から解脱 し、二度と生まれ変わることなく涅槃 に至るのが至高だと説いている。経典の中の釈迦は古代インドの宗教観に基づき輪廻転生 や天界 の存在、天界の神々(バラモン教 の神々)の存在を認めている。天界の神々は釈迦を敬い、釈迦と会話をする場面も多々あるが、大乗仏教 で見られる浄土 という概念が釈迦によって説かれることはなく、釈迦以外のブッダ (大日如来 ・阿弥陀如来 ・薬師如来 など)は登場しない。
成立
最初期に編纂された最古の仏典のひとつとされ、対応する漢訳は一部を除いて存在しない(第4章『八つの詩句』/支謙 訳:仏説義足経 (大正蔵 198))。現代では日本語訳として『南伝大蔵経 』の中におさめられている。ただし、『スッタニパータ』の中にも、新旧の編纂のあとが見られ、パーリ語 の文法に対応しないインド東部の方言と推測されるマガダ語 とみられる用語が含まれていることから、仏典の中でも最古層に位置づけられている。
また『スッタニパータ』の注釈書として、文献学的に『スッタニパータ』と同時代に成立したと考えられている『ニッデーサ 』(義釈)が伝えられている。『スッタニパータ』の第4章と第5章のそれぞれに大義釈と小義釈が存在することから、この部分がもっとも古く、元は独立した経典だったと考えられている。
第4,5章最古層説
20世紀前半にリス・デイヴィッズ [ 4] や、Bimala Churn Law[ 5] は、スッタニパータの中でも4,5章は特に古いと考えた。中村元 も同様に考えている。以下の理由による。
小部 内の注釈書義釈 (ニッデーサ)はほぼ4,5章のみの注釈である。1-3章はその後にまとめられた可能性がある。
紀元前のパーリ語仏典中に、4章「アッタカヴァッガ」、5章「パーラーヤナ」などという書名の引用はあるが、「スッタニパータ」という書名の引用はない[ 注 2] 。
前田惠學 は4,5章について、
の点からも4,5章はスッタニパータの中でも最古層であると主張した[ 7] 。
この説はその後、1-3章と4,5章に使われる述語の違いなどからも確認され、現在定説となっている[ 6] 。なお4章と5章のどちらが古いかについては定説はない。
構成
『スッタニパータ』は、以下の全5章から成る。
第1章 - 蛇(Uraga-vagga)
第2章 - 小(Cūḷa-vagga)
第3章 - 大(Mahā-vagga)
第4章 - 八(Aṭṭhaka-vagga)
第5章 - 彼岸道(Pārāyana-vagga)
内容
『ダンマパダ 』は初学者が学ぶ入門用テキストであるのに対し、『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
有名な「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズは、ニーチェ にも影響を与えた[ 8] 。
南方の上座部仏教 圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
現代の事情にそぐわない内容も含まれているが、悩み相談に応用可能な内容も多い[ 9] [ 10] 。
2021年、京都大学 こころの未来研究センターの熊谷誠慈准教授(仏教学)はスッタニパータをAI に学習させた「ブッダボット」を発表した[ 10] [ 11] [ 9] 。
ビンギヤが尋ねた。
「私は年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。私が迷ったまま死ぬことのないようにして下さい。どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるのですか。その理(ことわり)を説いてください。それを私は知りたいのです。」
師(釈迦)は答えた
「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に人々は害され、物質的な形態があるが故に人々は病などに悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、あなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態に戻らないようにせよ。」
「四方と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず、聞かれず、考えられず、また認識できないものもありません。どうか理法を説いてください。それを私は知りたいのです。─どうしたらこの世において(輪廻転生 せず)生と老いとを捨て去ることができるかを。」
師は答えた
「ビンギヤよ。人々は妄執に陥って苦悩を生じ老いに襲われているのをあなたは見ているのだから、それ故にビンギヤよ、あなたは怠ることなく励み妄執を捨てて再び迷いの生存状態に戻らないようにせよ。」
—『スッタニパータ』彼岸に至る道の章、Piṅgiyamāṇavapucchā
(釈迦の発言)
生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモン となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
チャンダーラ族の子で犬殺し(屠殺を生業とした階級)のマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。マータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちは彼のところに来て奉仕した。彼は(死後)神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマー (梵天 )の世界(天界 )に赴いた。
ヴェーダ 読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。そうすれば現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。
—『スッタニパータ』蛇の章、Vasala Sutta(抄)
日本への伝来
スッタニパータ全体の漢訳は存在しないため、日本に伝来することもなかった。近代に入り以下の翻訳がある。
刊行書誌
日本語訳
関連文献
英訳
Buddha's Teachings - Being The Sutta Nipata Or Discourse Collection . Lord Chalmers (Paperback ed.). Chalmers Press. (March 15, 2007). ISBN 978-1-4067-5627-2
Friedrich Max Müller, ed (November 29, 2000) [1881]. The Sacred Books of the East: Volume 10. Part 2. The Sutta-nipâta . Viggo Fausböll . Adamant Media Corporation. ISBN 1-4021-8582-0 . https://www.sacred-texts.com/bud/sbe10/index.htm - facsimile reprint of a 1881 edition by the Clarendon Press, Oxford.
Sutta Nipata: Or Dialogues And Discourses Of Gotama Buddha . Mutu Coomara Swamy (Paperback ed.). Kessinger Publishing, LLC. (April 10, 2007). ISBN 1-4325-4552-3
The Group of Discourses (Sutta-Nipata) . I . K. R. Norman (Paperback (with notes) ed.). Oxford: Pali Text Society. (2001). ISBN 0-86013-303-6 . http://www.palitext.com/palitext/tran.htm#tt23
The Rhinoceros Horn and Other Early Buddhist Poems: The Group of Discourses (Sutta-Nipata, Vol 1) . K. R. Norman, I.B. Horner, Walpola Rahula (Paperback (without notes) ed.). Oxford: Pali Text Society. (2001). ISBN 0-86013-154-8 . http://www.palitext.com/palitext/tran.htm#tt23
The Sutta-Nipata: A New Translation from the Pali Canon . H. Saddhatissa. London: RoutledgeCurzon. (January 17, 1995). ISBN 0-7007-0181-8
パーリ語原典
脚注
注釈
^ パーリ語の「スッタ」(sutta)、サンスクリットの「スートラ」(sūtra)、そして漢語の「経」も、全て原義は「縦糸」という意味である。
^ パーリ語経典の中で「スッタニパータ」という書名の初出は『ミリンダ王の問い 』になる。ただしその漢訳である『那先比丘経』には対応する書名はない。つまりパーリ語版内の書名は紀元後に追記されたものと推定される[ 6] 。
出典
関連項目
外部リンク