ゼイビア・ネイディ
ゼイビア・クリフォード・ネイディ6世(Xavier Clifford Nady VI, [1] 1978年11月14日 - )アメリカ合衆国カリフォルニア州サリナス出身の元プロ野球選手。右投右打。現在は、MLBのサンディエゴ・パドレス傘下A+レイクエルシノア・ストームの打撃コーチを務める。 叔父は現役ボクシングレフェリーを務めるジェイ・ネイディ(ネバダ州アスレチック・コミッションのレフェリー資格を持ち、主要4団体の試合を裁くことができる[2]国際レフェリー)。 経歴プロ入り前1997年にセントルイス・カージナルスからドラフト4巡目で指名されたが、入団せずカリフォルニア大学バークレー校へ進学。 パドレス傘下時代2000年にドラフト2巡目でサンディエゴ・パドレスの指名を受け入団。入団後マイナー・リーグを経験しないまま同年9月30日にメジャーデビューを果たした。 2001年はA級でプレイ。9月にトミー・ジョン手術を受けた。 2002年はA級とAAA級でプレイした。 メッツ時代2005年11月18日にマイク・キャメロンとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍した。 パイレーツ時代2006年7月31日にロベルト・ヘルナンデス、オリバー・ペレスとのトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍[3]。まったく打てなかった右投手に対応できるようになり、2006年は打率・打点・本塁打の打撃3部門で自己ベストをマーク[4]。 2007年のスプリングトレーニングで原因不明の下痢に悩まされ、いとこにクローン病の人がいるため、腸のクローン病が疑われた。大騒ぎとなるも、検査の結果はウイルス性の大腸炎であった[5]。レギュラーシーズンでは自己最高の20本塁打を記録。また、守備ではアダム・ラローシュの加入により外野を守る機会が増えた。 2008年は開幕から好調で打率・打点・本塁打・安打・二塁打などで自己ベストを更新するペースをマーク。6月にフェンスに激突し肩を痛め一時離脱したが、好調を維持。しかし、オールスターに選出されず、チームメイトのジェイソン・ベイは「運が悪かった。あれだけ数字を残しているのだから、自分が選ばれなかったより残念だよ」と発言[6]。選出に漏れた理由にパイレーツは弱いからという声もあった[6]。 ヤンキース時代好調なためトレードの噂が出るようになり[6]、松井秀喜を故障で欠いているニューヨーク・ヤンキースへ7月26日にトレードで移籍[7]。 2008年は自己最多の成績だった。 2009年はヒジの故障により、チームがワールドシリーズを制覇する中、ネイディは、シーズンを棒に振った。オフの11月9日にフリーエージェント(FA)となった。 カブス時代怪我の回復の目処が立ち、2010年1月27日にシカゴ・カブスと1年契約を結んだ。同年は、外野手・一塁手・指名打者などをこなしながら119試合に出場。規定打席には到達しなかったものの、打率.256・6本塁打・33打点という成績を残し、復活して見せた。 ダイヤモンドバックス時代2010年12月15日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年契約を結んだ。 2011年シーズン終了後の10月30日にFAとなった。 ナショナルズ時代2012年3月18日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び[8]、4月にメジャーに昇格したが、7月21日にDFAを受け[9]、7月29日に解雇された。 ジャイアンツ時代2012年8月5日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。ワールドシリーズのロースターにも入ったが、活躍の場はほとんど得られなかった。オフの10月29日にFAとなった。 ロイヤルズ傘下時代2012年12月14日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[10][11]。 2013年3月26日に契約を解除され、翌日に再契約。AAA級オマハ・ストームチェイサーズで71試合に出場し、11本塁打43打点1盗塁、打率.309だった。6月29日に放出された。 ロッキーズ傘下時代2013年6月30日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[12]。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで53試合に出場し、4本塁打22打点3盗塁、打率.278だった。11月5日にFAとなった。 パドレス復帰2014年1月7日に古巣・パドレスとマイナー契約を結んだ[13]。3月29日にパドレスとメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした。開幕後は22試合に出場し、3本塁打を記録したが、打率は.135と落ち込み、5月5日にDFAとなった[14]。5月8日にAAA級エル・パソ・チワワズへ降格したが、5月11日に契約を破棄し、FAとなった[15]。 引退後2015年6月20日に、古巣サンディエゴ・パドレス傘下A+レイクエルシノア・ストームの打撃コーチに就任する事が発表された[16]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
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