タイロ・エストラーダ
タイロ・ホセ・エストラーダ・ビジェガス(Thairo Jose Estrada Villegas, 1996年2月22日 - )は、ベネズエラのカラボボ州ベフマ出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。MLBのコロラド・ロッキーズ所属。 経歴プロ入りとヤンキース時代![]() (2019年5月7日) 2012年8月にアマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・ヤンキースと契約してプロ入り。 2013年、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース2でプロデビュー。 50試合に出場して打率.278、2本塁打、17打点、7盗塁を記録した。 2014年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース1とA-級スタテンアイランド・ヤンキースでプレーし、2球団合計で23試合に出場して打率.272、6打点、8盗塁を記録した。 2015年はA-級スタテンアイランドでプレーし、63試合に出場して打率.267、2本塁打、23打点、8盗塁を記録した。 2016年はA級チャールストン・リバードッグスとA+級タンパ・ヤンキースでプレーし、2球団合計で118試合に出場して打率.290、8本塁打、49打点、8盗塁を記録した。 2017年はAA級トレントン・サンダーでプレーし、2球団合計で122試合に出場して打率.301、6本塁打、48打点、8盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。11月20日にはルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[1]。 2018年1月、母国のベネズエラへ帰郷中にレストランで2人の武装強盗に襲撃され、拳銃で臀部を撃たれた。設備が貧弱なベネズエラの病院では臀部にとどまった銃弾を摘出することはできず、銃弾が残ったままアメリカへ戻った。シーズンではA+級タンパ・ターポンズ[2]とAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレーし、2球団合計で18試合に出場して打率.192、8打点を記録した。事件から半年後の7月に銃弾の摘出手術を受けた[3][4]。オフには2年連続でアリゾナ・フォールリーグに参加し、サプライズ・サグアロスに所属した。 2019年は開幕をAAA級スクラントン・ウィルクスバリで迎えた。4月4日にメジャー初昇格を果たした[5]が、この時は2日後にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した。再昇格した当日の4月21日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー[6]。この年メジャーでは35試合に出場して打率.250、3本塁打、12打点、4盗塁を記録した。 2020年は26試合に出場して打率.167、1本塁打、3打点、1盗塁を記録した。 2021年4月6日にルーグネッド・オドーアの加入によりDFAとなった[7]。 ジャイアンツ時代2021年4月11日に金銭とのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[8]。 2022年は二塁手のレギュラーに定着しシーズン140試合に出場。打率.260、14本塁打、62打点、21盗塁を記録した。 2023年1月13日にジャイアンツと1年225万ドルの契約に合意し、年俸調停を回避した[9]。この年は5月に左手首の捻挫[10]、7月に左手の骨折[11]で故障者リスト入りするなど怪我に苦しむも、シーズン120試合に出場し、打率.271、14本塁打、49打点、23盗塁を記録した。 2024年は開幕から不調に苦しみ、96試合に出場して打率.217、9本塁打、47打点という成績に終わり、8月30日に40人枠から外され、AAA級サクラメント・リバーキャッツに送られた[12]。10月1日にFAとなった。 ロッキーズ時代2025年1月9日にコロラド・ロッキーズと1年325万ドルで契約を結んだが[13]、開幕前のオープン戦で死球を受け左手首を骨折して故障者リスト入りした[14]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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