ノイハウゼン・アウフ・デン・フィルデルン
ノイハウゼン・アウフ・デン・フィルデルン (ドイツ語: Neuhausen auf den Fildern) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のエスリンゲン郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はシュトゥットガルト地方(1992年まではミッテレラー・ネッカー地方)およびシュトゥットガルト大都市圏に属す。 昔ながらのシュヴァーベン語によるこの町の名前は、Nuihausa であり、南西約 15 km に位置する Häfner-Nuihausa[2](現在のアイヒタールのノイエンハウス地区)と区別するために、近隣地域の地元の人から古くは、Katholisch-Nuihausa(カトリックのNuihausa)とも呼ばれていた[3]。 地理位置ノイハウゼンは州都シュトゥットガルトの南東 15 km のフィルダー平地に位置している。 自治体の構成この町には、ノイハウゼン・アウフ・デン・フィルデルン以外に地区はない。町域内には、離れた集落ホイスレンがある。 隣接する市町村この町は、北はオストフィルデルン、北東はデンケンドルフ、南東はウンターエンジンゲン、南はヴォルフシュルーゲン、西はフィルダーシュタット(以上、いずれもエスリンゲン郡に属す)と境を接している。 土地利用2020年現在のこの町の用途別土地面積および占有率は以下の通りである[4]。
歴史![]() 中世から19世紀までノイハウゼンの最初の文献記録は1153年になされている。この集落は当時、地元貴族のノイハウゼン領主家の支配下にあった。1269年にノイハウゼンはホーエンベルク家のレーエンとなった。14世紀にホーエンベルク伯ルドルフ3世が借金のために所領を維持できなくなり66,000ゴルトグルデンでハプスブルク家の所有となり、フォルダーエスターライヒに属した。宗教改革の時代に周辺の村は福音主義に転向し、ノイハウゼンはフォルダーエスターラーヒ=カトリックの孤島となった。1650年、相続権のある娘マーガレーテ・ズーザンネ・フォン・ノイハウゼンとゲオルク・ヴォルフガング・フォン・ローテンハンとの結婚によりノイハウゼンの領主権はこの貴族家のものとなった。1769年にシュパイヤー司教領主がこの集落を獲得した。ナポレオン・ボナパルトによる南西ドイツの新秩序により、この村はまず1803年にバーデン選帝侯領となったが、1806年に領土交換によってヴュルテンベルク王国領となり、1808年にオーバーアムト・エスリンゲンに編入された。 20世紀ナチ時代のヴュルテンベルクの郡再編によりノイハウゼンは1938年にエスリンゲン郡に属すこととなった。第二次世界大戦後この村はアメリカ管理地区の一部となり、新設されたヴュルテンベルク=バーデン州に属した。この州は1952年に現在のバーデン=ヴュルテンベルク州となった。 1969年まで、イエズス会のオーバードイツ管区は修練院をノイハウゼンに置いていた[5]。1973年の地域再編でノイハウゼンは独立を維持した。 住民人口統計
1865年以降の数値はバーデン=ヴュルテンベルク州統計局による 宗教統計Zensus 2011 によれば、住民の 27.3 % が福音主義、40.0 % がローマ=カトリックの信者であり、32.8 % がその他の宗教の信者または無宗教であった[6]。プロテスタントとカトリックの信者数はこれ以後減少し、法的に認められたいずれの宗教団体にも属さない人がほぼ 46 % と、相対的多数を占めるようになっている。2019年12月末には、福音主義信者 23.6 %、ローマ=カトリック信者 31.1 %、その他の信者または無宗教者は 45.3 % であった。 行政![]() 議会ノイハウゼンの町議会は22議席からなる。町議会はこれらの選ばれた名誉職の議員と議長を務める町長によって構成される[7]。町長は議会において投票権を有している。 首長第二次世界大戦後の町長を列記する。
![]() 紋章と旗この町は、20世紀の初め頃に一時期、青地に緑の三峰の山の上に黒い十字という紋章学の配色ルールに反する紋章を非公式に使用していた。遅くとも1930年には、1754年に断絶した地元貴族ノイハウゼン家の紋章を採用した。内務省は1967年4月19日に旗の色を認可した[8]。 姉妹自治体文化と見所クラブノイハウゼンには町を活性化する多彩なクラブが存在する。たとえば以下のクラブがある。
博物館オーベーレス・シュロス内のネオルネサンス様式の部屋を利用したフォルクシャー・サロンの他にも、たとえば埋葬文化博物館がある。この博物館の最も重要な文化財が、1563年にゼム・シュレールがシュトゥットガルトのアルテス・シュロスの城館礼拝堂の祭壇のために製作した石の十字架である。1819年にヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世がノイハウゼンのカトリック教会にこの石の十字架を下賜した。 ![]() 建造物
年中行事
経済と社会資本いくつかの大企業の下請け業者、中小企業、多くの手工業者およびサービス関連業者が約5,000人の雇用を形成している。2012年12月31日現在の通勤者収支は、外からこの町に働きに来る人が 4,684人、この町から外に働きに出る人が 3,803人である[10]。 ![]() 地元企業
交通ノイハウゼンにはアウトバーン8号線(A8号線)シュトゥットガルト - ミュンヘン線のインターチェンジがある。 エヒターディンゲンのシュトゥットガルト空港はこの町の西側に接している。 ノイハウゼンには鉄道路線がない。最寄りの駅は、ベルンハウゼン近郊のフィルダーシュタット駅およびエスリンゲンやヴェンドリンゲンにある。シュトゥットガルト・シュタットバーンは、北の隣町オストフェルデルン=ネリンゲンに2つの駅 (U7, U8) がある。バス路線 35, 36, 73, 120, 121 がこの町とフィルダーシュタット、オストフェルデルン、エスリンゲン、ラインフェルデン=エヒターディンゲン、シュトゥットガルトとを結んでいる。 1929年から1978年までノイハウゼンは、ネリンゲン経由でエスリンゲンまでの市電網で結ばれていた。その線路と架線はノイハウゼン町内では完全に撤去された。また、1983年まではフィルダー鉄道で結ばれてもいた。この路線も現在では自転車道および産業道路として利用されている。所々に建つ建物や通りの名前(バーンホーフ通り)が、かつての存在を思い起こさせるだけである。 ノイハウゼンは、Sバーン路線S2号線(ショルンドルフ - ヴァインシュタット - ヴァイブリンゲン - シュトゥットガルト - ラインフェルデン - 空港/メッセ - フィルダーシュタット)の延伸により、2026年までにシュトゥットガルトSバーンに接続する予定である[11]。この計画は2013年に決定した。 教育ノイハウゼンには本課程学校および実科学校としてフリードリヒ=シラー=シューレがある。シラーシューレは2016/17年の学年からゲマインシャフツシューレとなった[12]。この他に全日制基礎課程学校モーツァルトシューレがある[13]。 ノイハウゼンには、幼稚園が11園(町立 3園、カトリック教会 4園、福音主義教会 2園、乳幼児センター 1園、TSVノイハウゼン 1園)ある[14]。 連邦技術救援隊 (THW) は、ノイハウゼンのTHW-訓練センターで数多くのボランティアや専門隊員の養成を行っている。訓練センターはノイハウゼン以外ではニーダーザクセン州のホーヤにある。 上下水道ノイハウゼンは、フィルダー水供給目的連合に加盟しており、ここから飲料水の多くの部分を得ている。残りは東のリートブルネンから採取している。排水の浄化は、ズルツバッハタール汚水処理場で行っている。 人物出身者
ゆかりの人物
参考図書
脚注出典
外部リンク
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