この記事では、紋章学 を中心に、象徴的図像としてのライオン (獅子 )について解説する。
概説
ラスコー洞窟 の洞窟壁画
古代エジプト のスフィンクス
エチオピア帝国 の国旗
シンガポールの国章 に描かれたライオン(左)。
ライオン は、古代から紋章 の図柄によく使われてきた。ライオンは「百獣の王」であり、勇気 ・力(権力 )・王権 の象徴 として扱われたことが、紋章によく使われるようになった理由であろう。紋章では主にチャージ (盾に描かれる図)やサポーター (盾を持つ者)に使われる。
象徴としての歴史
ライオン は石器時代 から絵や彫刻の題材とされてきた。ラスコー洞窟 には1万5千年前にクロマニヨン人 によって描かれたライオンの絵が残っている。のちにライオンは「文化の守護者」や「リーダー 」と見なされるようになった。北アフリカ に残るエジプト文明 以前の墓には、2匹のライオンが墓の両脇に鎮座しているが、このライオンは、神 の象徴であったと考えられている。
ライオンは様々な古代文明で登場している。古代エジプト ではライオンの身体に人間の顔を持ったスフィンクス がしばしば作られていた。スフィンクスは王家の象徴であった。また、エジプトやアフリカの文化では雌ライオンは獰猛で恐ろしいハンターであると見なされていたが、国の守護者であるとも認識され、神殿の装飾や彫刻の題材としてよく使用された。また、エジプト神話 にはバステト やセクメト のような雌ライオンの神が登場する。エジプトを一時期支配したヌビア人は、自らをデドゥン神 (ライオンの頭を持つ)の息子だと主張し、勝利と繁栄の象徴としてデドゥン神を崇拝していた。
ギリシアの文明や中東の文明においてもライオンは特別なものと考えられていた。ミケーネ文明 期に造られたライオン門 の上部には2匹のライオンが彫られている。ギリシア神話 には人々を襲う怪物としてネメアの獅子 が登場する。旧約聖書 の『創世記 』には、イスラエルの部族のひとつ、ユダ族が「ユダの獅子 (英語版 ) 」を自らの象徴としていたと記され、この伝承をもとにエチオピア帝国 はライオンを皇室の象徴にした[ 1] [ 2] 。
スリランカ の民族、シンハラ人 は自らを「獅子の子孫」(シンハがライオンを指す)と呼称し、ライオンを「自分達を象徴するもの」としている。スリランカに残る古い言い伝えによれば、最初のシンハラの王ヴィジャヤは、ライオンを父親に持つシンハバーフ王の子だという。
中世の王家でもライオンはハインリヒ獅子公 や獅子心王 の呼び名に代表されるように、勇猛さの象徴であった。中世期以降、さまざまな形態で紋章にライオンが描かれ続け、現在においても様々な国旗 、国章 、紋章などに使用されている。
状態を表す紋章学の用語
紋章学における、サポーター (シールド などを支える役)としてのライオン像A lion counter-rampant guardant Or ( ア・ライオン・カウンターランパント・ガーダント・オーア ) , and ( アンド ) a lion rampant Or, langued gules. ( ア・ライオン ランパント・オーア、ラングド・ギュールズ ) 意訳:逆 ランパント の体勢で正面顔 の1頭の金色のライオン、および、ランパントの体勢で赤い舌を見せている 1頭の金色のライオン。
紋章学 には、紋章に用いられる動物の姿勢(体勢や顔の向き)を表す特別な用語が数多く存在する。
紋章に用いられる獣 は、実在と架空を問わず、英語で "heraldic beast (s)(日本語 音写 例: ヘラルディック ビースト)" といい、日本語 でも直訳 して「紋章獣 (もんしょうじゅう)」と呼ぶ。鳥 は heraldic bird (s) であるが、「紋章鳥(もんしょうちょう)」という日本語は少なくとも一般的ではない。動物全般を指すのは heraldic animal (s) であるが、やはりこれにも日本語として定着した語は無い。ただ、研究者や愛好者は「紋章動物 」という名称を用いることがある。
そこで、紋章獣としてのライオン(雄 ライオン)であるが、紋章動物としても紋章獣としても代表中の代表であるため、紋章動物の姿勢を表す用語はライオン像(獅子像)の名称であるかのように解説されることも多い。しかしながら、正確にはそのようなことではない。例えば、最も一般的で標準形と言ってよい「ランパント 」であれば、「ライオン・ランパント (lion rampant)」が単に「ランパント (rampant)」と呼ばれることが多いものの、それはあくまでも略称 に過ぎない。
紋章学を古来の原則どおりに適応するなら、ライオンの紋章の色には、紋章学上の「ティンクチャー 」に基づく「金 (or;オーア 。英語の場合は "or " と区別すべく "Or" と綴られることが多い。)」「銀 (argent;アージェント )」「赤 (gules;ギュールズ )」「黒 (sable;セーブル )」「青 (azure;アジュール )」、および、その他がある。現代では紋章学の概念から外れた俗称として「黒(black;ブラック)」「白(white;ホワイト)」「金(golden;ゴールデン)」なども一般には散見される。
Commons Category: Lions rampant by tincture
紋章記述 (省略なし)
文頭の色の説明は全てフィールド に関してのもの。
1. Sable, a lion rampant Or, langued gules, and crowned Or. ( セーブル、ア・ライオン・ランパント・オーア、ラングド・ギュールズ、アンド・クラウンド・オーア ) (意:黒、1頭の金のライオン・ランパント、赤い舌と金の冠)
2. Azure, a lion rampant argent. ( アジュール、ア・ライオン・ランパント・アージェント ) (意:青、1頭の銀のライオン・ランパント)
3. Argent, a lion rampant gules. ( アージェント、ア・ライオン・ランパント・ギュールズ ) (意:銀、1頭の赤いライオン・ランパント)
4. Argent, a lion rampant sable, armed and langued azure. ( アージェント、ア・ライオン・ランパント・セーブル、アームド・アンド・ラングド・アジュール ) (意:銀、1頭の黒いライオン・ランパント、青い武装〈爪〉と舌)
5. Argent, a lion rampant azure. ( アージェント、ア・ライオン・ランパント・アジュール ) (意:銀、1頭の青いライオン・ランパント)
6. Argent, a lion rampant purpure, armed and langued gules. ( アージェント、ア・ライオン・ランパント・パーピュア、アームド・アンド・ラングド・ギュールズ ) (意:銀、1頭の紫のライオン・ランパント、赤い武装〈爪〉と舌)
7. Or, a lion rampant vert, armed and langued gules, and crowned argent. ( オーア、ア・ライオン・ランパント・ヴァート、アームド・アンド・ラングド・ギュールズ、アンド・クラウンド・アージェント ) (意:金、1頭の緑のライオン・ランパント、赤い武装〈爪〉と舌、銀の冠)
8. Gules, a lion rampant ermine, armed langued and crowned Or. ( ギュールズ、ア・ライオン・ランパント・アーミン、アームド・ラングド・アンド・クラウンド・オーア ) (意:赤、1頭のシロテン 毛皮模様のライオン・ランパント、金の武装〈爪〉と舌と冠)
9. Or, a lion rampant vair. ( オーア、ア・ライオン・ランパント・ヴェア ) (意:金、1頭のリス 毛皮模様のライオン・ランパント)
ライオン以外の紋章獣も珍しくはなく、熊 が比較的多く見られる。ユニコーン のランパントはイギリスの国章 がサポーター の紋章獣としていることから、報道などを通して目にする機会が他の紋章獣より多いかも知れない。
パラティン・ライオン (英語版 ) の一例 / 元々のデザインはライオンらしいものであったが、変化を重ねて最早ライオンに見えない。厚い胸板と鋭い鉤爪だけは元のまま。
レパード(レオパード、
ヒョウ ;豹)に見えるが、これでもライオンであるとのこと。点々は
アーミン の変化形。
オオカミ (狼) / ライオンに比べて、鼻づらが長く胸板が薄い。それ以外に見分けるポイントは無い。
[ 注 1]
イヌ (犬)/ ライオンやオオカミと違い、この画像のように
アームド 風に描かれたとしても、あまり凶暴そうに見えない。毛並みも整えられていて、荒々しさが見られない。
オオヤマネコ (大山猫、
リンクス )/ 耳の先端に黒い房毛があり、尾は短い。
姿勢
紋章学における "attitude" すなわち「姿勢」とは、その紋章動物が執れる姿勢に限られるのが基本ではある。鳥には飛ぶ姿勢 volant(ヴァラント)があるが、ライオンには当然それは無い。しかしながら、紋章は図案であるため、派生した図案の中には基本から懸け離れたものも存在する。擬人化 されたものがそれであり、獣の足 のままで物を握らせている例(■ ,■ ,■ )や、前肢ごと人の腕を取り換えて物を握らせている例がある(■ )。
体勢
体勢を表す用語は、その紋章動物が何であるかを表した後に続けて呼ばれる。
顔の向き
顔の向きを表す用語は、体勢を表す用語の後に続けて呼ばれる。
名称
解説
例
なし
体と顔が同じように横を向いている。基本形であるため、特に説明を要しない。 右図は lion rampant Or ( ライオン・ランパント・オーア ) 。
guardant / gardant ガーダント
顔が正面を向いている。ライオンの場合、体勢はほとんどが横を向いており、正面を向いている「アフロンテ 」は例外中の例外である。とは言え、guardant/gardant という語は regardant と対義語 の関係にあり、向いている方向が前か後ろかを表す語でしかない。したがって、体と顔がともに正面を向いている場合でも、guardant/gardant であることに違いは無く、説明を要しない。 右図1は lion passant guardant Or ( ライオン・パッサント・ガーダント・オーア ) 、右図2は lion couchant guardant argent ( ライオン・クーシャント・ガーダント・アージェント ) という。
regardant リガーダント
後ろを振り返っている。 右図2は lion rampant regardant sable ( ライオン・ランパント・リガーダント・セーブル ) 。
その他の用語
名称
解説
例
head ヘッド
首 から上の部分だけが描かれる形。
two heads トゥーヘッズ / ツーヘッズ
双頭。ライオン・ランパントであれば lion rampant with two heads ( ライオン・ランパント・ウィズ・トゥーヘッズ ) と説明される。
cabossed / caboshed カボーシド
正面から見た頭部 だけが描かれている。"head" を意味するフランス語 caboche(カボシュ)に由来する。正面から見た紋章動物の頭部全般に用いられる語であり、ライオンの場合は face (フェイス)ともいう。狐 の場合は mask (マスク)。
couped ク-プド
首から上が図案的・直線的に切り取られた形。英語の cut に相当するフランス語 coupe に由来する。
couped close ク-プド クローズ
横から見た頭部だけが描かれている。首は描かれない。
erased イレイズドerased close イレイズド クローズ
首から上が胴部から抜き取られたような形で描かれる。図案的・直線的にカッティングされるクープドと違い、体毛がそのままの状態で頭部に残ったかのような描かれ方をする。「en:Erasure (heraldry) 」も参照のこと。 以上、ここまでの5つは、頭部に関するもののうちでライオンに関係する名称だけを挙げた。これらはどのような head であるかを説明するための用語である。例として右図は A lion's head erased argent. ( ア・ライオンズヘッド・イレイズド・アージェント ) という。
crowned クラウンド
冠 を戴いている。百獣の王とも称されるライオンにこの意匠は多い。
armed アームド
武装している。すなわち、ライオンであれば鋭い鉤爪 を剥き出しにしている。意匠を詳説するのに用いられる語で、例えば右図は、赤い鉤爪を剥き出しにしている青いライオンのランパントであるから、A lion rampant azure, armed gules. ( ア・ライオン・ランパント・アジュール・アームド・ギュールズ ) ということになる。
langued ラングド
舌 が見えている。これも意匠を詳説するための用語。右図は、黄金の冠を戴き、赤い鉤爪で武装し、赤い舌を見せている青いライオン・ランパントであるから、A lion rampant azure, armed, langued gules, and crowned Or. ( ア・ライオン・ランパント・アジュール・アームド・アンド・ラングド・ギュールズ・アンド・クラウンド・オーア ) ということになる。
morné モーネ
爪 も牙 も舌 も無い。
double queued ダブル キュード
尾 が2本ある。英語で double-tailed (ダブルテイルド)とも呼ばれる。
queue furchée / queue-furchée キュー フルシエ
"queue (クー)" はフランス語で「tail」「尾」の意。同義の英語はフランス語由来の借用語 で、"queue (キュー)" という(16世紀初出)。 1本の尾がピッチフォーク のように途中から2つに枝分かれしている。 右図1は他の要素が一切含まれておらず、例として最適である。シールド(フィールド )も含めて何も省略しない紋章記述 は次のとおり。Gules, A lion rampant argent, queue fourchée. ( ギュールズ・ア・ライオン・ランパント・アージェント・キューフルシエ ) 右図2は、極めて歴史の古いキューフルシエとして取り上げられることが多いボヘミア王国 の紋章の流れを汲む、現在のチェコの国章 (略式)である。こちらは下記のキューソールタイアの例として挙げてもよい。 順番が前後するが、後述の特徴やシールドも含めて一切省略しない紋章記述は次のとおり。Gules, A lion rampant argent, queue fourchée crossed in saltire, armed, langued, and crowned Or. ( ギュールズ・ア・ライオン・ランパント・アージェント・キューフルシエ・クローズド・イン・ソールタイア・アームド・ラングド・アンド・クラウンド・オーア )
queue saltire キュー ソールタイア / キュー サルティア
英語の紋章記述 では crossed in saltire (クローズド・イン・ソールタイア/サルティア)とも表現する。 2本の尾あるいは二股になった尾が交差して聖アンデレ十字 (saltire ) の形を作っている。「キュー ソールタイア」はイギリス英語 の読み、「キュー サルティア」はアメリカ英語 の読み。
tail nowed テイル ナウィード
尾がもつれて結び目 ができている。nowed はフランス語 に由来しており、英語では 同じ意味の knotted (ノッティド)で言い換える形もある。
tail elevate テイル エレベイト
尾を高々と振り上げている。
turned over its head ターンド・オーバー・イッツ・ヘッド
高々と振り上げた尾が頭の上を越えて前方まで達している。ライオン・ランパントがこの状態であれば、Lion rampant, with tail elevated and turned over its head. ( ライオン・ランパント、ウィズ・テイル・エレベイティッド・アンド・ターンド・オーバー・イッツ・ヘッド ) などと呼ばれる。
tail extended テイル エクステンディド
尾がまっすぐ後ろへ伸びている。
coward カワード
尾が内側に巻いている。「腰抜け」を意味する。フランス語では「名誉毀損 」を意味する diffamé (ディファメ )で表す。右図は、英語で lion rampant coward Or、フランス語で lion rampant diffamé or。
dafame ディフェイム
尾が無い。
paw ポー
英語 "paw " は鉤爪 のある動物の足 のこと。 足だけが描かれている。
disjointed ディスジョインティッド / ディスジョインティド
頭や四肢がばらばらになったランパント。右図は首だけが切断されているが、切断されている部位は一箇所とは限らない。
combatant コンバタント
向かい合って闘っている。フランス語に由来する語の英語読みであり、英語に訳せば "fighting"。 右図1は Two lions combatant Or ( トゥー・ライオンズ・コンバタント・オーア ) という。右図2はここで解説すると却って混乱を招くため、省略する。 2頭の肉食動物が間に何も挟まずに向かい合っているとなれば、十中八九、闘っているものとして描かれる。しかし中には例外もあり、そういったものは下に挙げた「リスペクタント」に当たる。 ■Commons Category: Lions combatant in heraldry
respectant リスペクタント
向かい合ってはいても攻撃的でない。ラテン語 に由来し、"watching" を意味している。ライオンのような怖ろしい肉食動物 ではなく鹿 などの草食動物 が向かい合っている場合にこの名で呼ばれる。肉食動物が攻撃的で草食動物はそうでないというのは実際の生態 からは懸け離れた思い違いであるが、紋章の世界ではそのように使い分けられている。
addorsed アドースト
背中合わせになっている。互いに反対方向を向いている。ライオンでは、様々な体勢を執る者同士がアドーストしている。アドーストしながら(すなわち、反対方向を向きながら)互いにリガーダントしている(すなわち、振り返っている)ライオン・ランパントなどというものも存在する。 ■Commons Category: Lions addorsed in heraldry
bicorporat バイコーポリト
1つの頭に2つの胴体が比例分配されている。2つの胴体が1つの頭を共有している。
tricorporat トリコプローレイト
1つの頭に3つの胴体が比例分配されている。3つの胴体が1つの頭を共有している。
demi- デミ
半身だけが描かれている。限られたスペースに複数の図案を配置しなければならないケースは往々にして生まれるわけで、そういった都合によって、前半身、上半身、左右いずれかの半身だけなどと、とにかく全体像の半分だけが描かれるということは多い。そしてまた、時代が変わって広いスペースを使えるようになっても既に固有の意匠となった半身像を使い続けるという例も多くなっていった。 demi- は接頭辞 として紋章動物の名前と合成される。ライオンであれば「デミライオン (demi-lion )」と呼ばれる。右図のように上半分だけが描かれているものは「イシューアント (issuant )」という。
脚注
注釈
出典
参考文献
Slater, Stephen (2002) (English) (Hardcover). The Illustrated Book of Heraldry: An International History of Heraldry and Its Contemporary Uses . Anness Publishing. pp. 256 .
ISBN 4-422-21532-9 、ISBN 978-4-422-21532-7 、NCID BB28947239 、OCLC 1122806166 、国立国会図書館書誌ID :029954468 。
関連項目
外部リンク