ピクシーズ
ピクシーズ(英語: Pixies)は、アメリカ合衆国のロックバンド。1986年に結成され、初期オルタナティヴ・ロックシーンで活躍した。乾いた轟音ギターにボーカルのブラック・フランシスの絶叫が重なったサウンドは、後のインディー・ロックミュージシャンに影響を与えた。 また、ブラック・フランシスは「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第67位にランクインしている[2]。 来歴1986年にマサチューセッツ大学アマースト校を中退したフランシスが、同級生のサンティアゴをバンドに誘う。ドラムとベースを募集するために地元紙に〈ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリーが好きなメンバー求む〉と募集広告を掲載したところ、ドラムのラヴァリングと結婚披露式で出会ったディールが来た。ここにピクシーズが完成した。 バンド名は、ギターのジョーイ・サンティアゴが適当に辞書を引いたところが「pixies」だったため。このバンドの正式名称は "Pixies in Panoply"であり、略してPixiesと読んでいる。 デビューの為のデモテープを制作したところ、イギリスのレーベル4ADのオーナー、アイヴォ・ワッツ=ラッセルに気に入られ同レーベルと契約する。バンドはミニアルバムの『カム・オン・ピルグリム』を制作した。このタイトルは、同アルバム内の「レヴァテイト・ミー」 (Levitate Me) の歌詞から取られたものである。このミニアルバム制作直後の1988年に、エンジニアにスティーブ・アルビニを迎え1stフルアルバム『サーファ・ローザ』を制作した。このアルバムでピクシーズは、世界の音楽界で巨大な名声を手に入れた。翌1989年にはギル・ノートンプロデュースの2ndアルバム『ドリトル』をリリース。同アルバム内の「ヒア・カムズ・ユア・マン」と「モンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン」 はイギリスのヒットチャートTop10にランクインし、また北米チャートTop100にもランクインした。1990年にはバンド最大のヒット曲「ディグ・フォー・ファイアー」を収録した3rdアルバム『ボサノバ』を制作した。この頃からメンバー内に軋轢が発生するようになった。この頃にディールは、ブリーダーズを結成する。1991年、4thアルバム『トロンプ・ル・モンド』をリリースしたが、結局これがラストアルバムとなった。 1993年初頭にブラック・フランシスはラジオのインタビューでバンドの解散を発表した。彼はフランク・ブラックに改名してソロアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。 2004年にはミネソタで再結成を果たし、フジ・ロック・フェスティバルにも出演した。2010年にはサマーソニックに出演した。 2013年6月14日、バンドのFacebookページにてキム・ディールの脱退が発表された[3]。翌7月1日、新ベーシストにザ・マフスのキム・シャタックを迎えてヨーロッパ・ツアーを行うことが発表された[4]。しかし、バンドは同年11月には早くもシャタックを解雇し[5]、翌12月9日にア・パーフェクト・サークルやズワンの元メンバーであるパズ・レンチャンティンをツアーベーシストに迎えて2014年のツアーを行うことを発表した[6]。 2014年4月には23年ぶりとなるアルバム『インディ・シンディ』のリリースし、SUMMER SONIC 2014に出演した[7]。 メンバー
元メンバー
評価・音楽性
ブラック・フランシスの歌唱は、その人を食ったような歌詞と相乗し、狂気的でありながらも文学的である。それらの狂気がキム・ディールの可愛げなコーラスと合わさったピクシーズの形容しがたい表情は、アーティスティックなものとして受け入れられ「ヘヴィメタルともロックンロールとも違うギターミュージック」として、多くのフォロワーを生んだ。 フランシスの歌詞の題材になるのは、近親相姦、歪んだ恋慕、殺人、キリスト教社会・学歴社会への反発(これらはフランシスの人生と大いに関係している)、死生観、自然観、動物観、などである。 初期の作品はスティーブ・アルビニ録音などの影響でローファイ・アンダーグラウンド色が強く、剥き出しの音楽を生み出した。その後の作品はギル・ノートンによってプロデュースされ、メジャーシーンに進むにつれて厚いギターが目立つようになったが、その評価はいささかも揺らぐことはなかった。ローリング・ストーン誌のエーラ・バートンは「1990年代以降のギターロックの本山」として、ピクシーズに高い評価を与えている。 ピクシーズに影響を受けたミュージシャンは数多く、ニルヴァーナのカート・コバーン、U2のボノ、ウィーザー、ブラー、レディオヘッド、ストロークス、アリス・イン・チェインズ、アーケイド・ファイア、ペイヴメント、PJ ハーヴェイ、キングス・オブ・レオンなど。 ニルヴァーナの代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はクリス・ノヴォセリックがピクシーズの曲("Debaser"だと言われる)のベースラインを演奏している様子にカート・コバーンがインスピレーションを得て出来た曲だといわれている。 トリビュートアルバムもいくつか作られており、1999年にアメリカでリリースされた"Where Is My Mind? A Tribute to the Pixies"にはウィーザー、ナダ・サーフ、リール・ビッグ・フィッシュらが、2000年に日本でリリースされた"Tribute to the Pixies"にはBEAT CRUSADERS、PENPALS、MO'SOME TONEBENDER、NAHTらがそれぞれ参加している。 作品→詳細は「ピクシーズの作品」を参照
アルバム
脚注出典
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia