フランクリン・グティエレス
フランクリン・ラファエル・グティエレス(Franklin Rafael Gutiérrez, 1983年2月21日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 既婚者にも拘わらず、端整な顔立ちで女性からの人気が高く、CUTIErrezの愛称で呼ばれている[1]。 経歴プロ入りとドジャース傘下時代2000年11月18日、ロサンゼルス・ドジャースとアマチュア・フリーエージェントとして契約。 インディアンス時代2004年4月3日にミルトン・ブラッドリーとのトレードで、アンドリュー・ブラウンと共にクリーブランド・インディアンスへ移籍した。 2005年8月31日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。 2006年6月17日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でデイブ・ブッシュから第3打席にメジャー初安打を記録する。 マリナーズ時代2008年12月10日、インディアンス、シアトル・マリナーズ、ニューヨーク・メッツ間の三角トレードによってマリナーズへ移籍した[2]。 2009年は中堅手のレギュラーに定着し、初めて規定打席に到達し、打率.283・18本塁打・70打点といずれも自身最高の成績であった。守備では445刺殺は外野手として両リーグ1位であった。 2010年は無失策でゴールドグラブ賞を受賞した。2年連続で規定打席に到達したものの、打率.245・12本塁打・64打点と、前年よりやや成績を落とした。 2013年11月1日に球団から2014年の契約オプションを破棄されFAとなった[3]が、12月18日にマリナーズと再契約した[4]。 2014年2月13日に胃腸部の病気もあり、本人がプレーを望んでいないことから、制限リスト入りした[5][6]。結局この年はプレーせず、オフの10月30日にFAとなった。 2015年1月26日にマイナー契約でマリナーズと再契約する。6月24日にメジャー契約となり、25人枠に復帰。この年は59試合に出場に留まったが、打率.292・15本塁打・35打点という好成績で、長打率は実に.620に達した。守備面では42試合で左翼手を、6試合で右翼手を守り、通算1失策・DRS +3と、復活前ほど圧倒的ではなかったものの、依然として守備は高いレベルにある事を示した。11月2日にFAとなった[7]が、11月11日にマリナーズと1年契約で合意した[8]。 2016年は98試合に出場して打率.246・14本塁打・39打点の成績を残した。オフの11月3日にFAとなった[9]。 ドジャース時代2017年2月20日にロサンゼルス・ドジャースと1年契約を結んだ[10]。オフの11月2日にFAとなった[11]。 現役引退後2018年9月8日、セーフコフィールドでの「ラテンアメリカン・ナイト」と銘打ったイベントで、試合前の始球式を務め、捕手役のイチローに投球した[12]。 プレースタイルメジャーでも屈指の守備範囲を誇る外野手として知られ、2008年にセイバーメトリクスの守備指標の一つであるUZRで、両リーグ中3位の成績を残した[14]。2009年には、両リーグ中1位のUZR値29.1を記録した。これは内野手を含む野手全体での1位であり、2位のエバン・ロンゴリアが記録したUZR値18.5を大きく上回るものであった[15]。2010年には、シーズンを通して1度も失策せず、自身初となるゴールドグラブ賞を受賞している。 マリナーズの試合中継を長年担当していたデイブ・ニーハウスは、グティエレスを"Death to Flying Things(飛球殺し)"と称している[16]。これは、19世紀に活躍した守備の名手、ボブ・ファーガソンのニックネームに準えたものである。 詳細情報年度別打撃成績
表彰
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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