フランシスコ・ペーニャ
フランシスコ・アントニオ・ペーニャ(Francisco Antonio Peña, 1989年10月12日 - )は、ドミニカ共和国サンティアゴ州サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。父親は元プロ野球選手のトニー・ペーニャ、実兄は元プロ野球選手のトニー・ペーニャ・ジュニア。 経歴プロ入りとメッツ傘下時代2007年にニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。A級サバンナ・サンドナッツでプロデビュー。103試合に出場して打率.210、5本塁打、30打点、1盗塁を記録した。 2008年はA級サバンナでプレーし、105試合に出場して打率.264、6本塁打、41打点を記録した。 2009年はA+級セントルーシー・メッツで100試合に出場して打率.224、8本塁打、44打点を記録した。 2010年はまずルーキー級ガルフ・コーストリーグ・メッツでプレーし、10試合に出場。8月下旬からはA+級セントルーシーで10試合に出場した。 2011年はA+級セントルーシーでプレーし、95試合に出場して打率.223、5本塁打、37打点、3盗塁を記録した。 2012年はまずA+級セントルーシーでプレーし、41試合に出場して打率.254、4本塁打、22打点を記録した。6月にAA級ビンガムトン・メッツへ昇格。40試合に出場して打率.198、3本塁打、17打点、1盗塁を記録した。 2013年は開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[1]。同大会ではカルロス・サンタナのバックアップとして2試合に出場し、2打数1安打1打点だった。 シーズンではまずAA級ビンガムトンで21試合に出場し、5月にAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ昇格。68試合に出場して打率.257、9本塁打、39打点、1盗塁を記録した。オフにフリーエージェント(FA)となった。 ロイヤルズ時代2013年11月17日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約し、40人枠入りを果たした[2]。 2014年3月14日に傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ配属され、そのまま開幕を迎えた。開幕後はAAA級オマハで30試合に出場。5月20日に正捕手のサルバドール・ペレスが右手の負傷で数試合離脱することとなり、代役としてメジャーへ昇格した[3]。同日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。9回表に捕手の守備に就いたが、打席に立つことはなかった[4]。 2015年は8試合に出場してメジャー初安打を放った(7打数1安打。打率.143)。オフの12月2日にDFAとなった。 オリオールズ時代![]() (2016年6月2日) 2015年12月2日に金銭トレードで、ボルチモア・オリオールズへ移籍した[5]。 2016年は14試合に出場し、打率.200、1本塁打、3打点という成績だった。 2017年2月10日にガブリエル・イノアの加入に伴ってDFAとなった[6]後、15日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級ノーフォーク・タイズへ配属された。シーズン開幕後はAAA級ノーフォークでプレーしていたが、5月2日にウェリントン・カスティーヨの故障者リスト入りに伴ってメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。だが、5月17日に再びDFA、23日に40人枠を外れる形でAAA級ノーフォークへ配属された。5月31日に再びカスティーヨが故障者リスト入りしたため、メジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。6月10日にカスティーヨの故障者リストからの復帰に伴って三たびDFA、13日に40人枠を外れる形でAAA級ノーフォークへ配属された。レギュラーシーズン終了後の10月2日にFAとなった[7]。 カージナルス時代2017年12月8日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。 2018年3月28日にメジャー契約を結んで開幕25人枠入りした。この年は58試合に出場して打率.203、2本塁打、8打点、1盗塁を記録した。オフにFAとなった後、2019年1月6日にマイナー契約で再契約を結んだ[7]。 ジャイアンツ傘下時代2019年5月2日に金銭トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[8]。メジャー昇格の機会はなかったが、AAA級サクラメント・リバーキャッツで68試合に出場して、打率.287、16本塁打、46打点の成績を残し、チームのパシフィックコーストリーグ優勝及び、AAA級の優勝決定戦であるAAAベースボールナショナルチャンピオンシップの優勝に貢献した。オフの11月4日に自由契約となった[7]。 レッズ傘下時代2019年12月10日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、2020年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[7]。 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大によりマイナーリーグの開催が中止となったため、公式戦に出場することはなかった。オフの11月2日にFAとなった[7]。 アスレチックス傘下時代2020年12月9日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、2021年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[7]。 2021年はAAA級ラスベガス・アビエイターズで105試合に出場し、打率.250、23本塁打、81打点の成績を残した[7]。オフの11月7日にFAとなった[7]。 中信兄弟時代2022年1月12日、台湾プロ野球の中信兄弟と契約した[9]。登録名は「福來喜」。開幕直後は外国人枠の関係で出場が限られていたが、シーズン中盤からはチームの司令塔として主に守備面でチームの台湾シリーズ2連覇に大きく貢献し[10]、外国人捕手として史上初となるゴールデングラブ賞とベストナインを受賞した[10]。 2023年は59試合に出場して、打率.216、6本塁打、22打点という成績を残していたが、チームの深刻な投手不足によりペーニャの外国人枠を投手[注 1]に充てる必要が生じたため、8月11日付で契約解除となった[11]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
代表歴脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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