ホセ・ウファルテ
ホセ・アルマンド・ウファルテ・ベントーソ(スペイン語: José Almando Ufarte Ventoso、1941年5月17日 - )は、スペインの元サッカー選手、サッカー指導者。元スペイン代表。選手時代のポジションはFW。 選手歴ガリシア州ポンテベドラに生まれたが、幼少の頃にブラジルへ移住した。CRフラメンゴの下部組織からトップチームに昇格、SCコリンチャンス・パウリスタに移籍し、その後再びフラメンゴに加入した。ブラジル時代はオ・エスパニョーウ(O Espanhol)の愛称で呼ばれた[1][2]。 1964年にスペインに帰国、アトレティコ・マドリードに加入し、同年9月13日のレアル・ベティス戦でリーガ・エスパニョーラデビューとなった。このシーズンはプリメーラ・ディビシオンを2位で終えたが、翌シーズンに優勝した。1969-70シーズン、1972-73シーズンにも優勝し、1974年夏に公式戦323試合36得点の出場を以て33歳でアトレティコ・マドリードを退団した[1]。 ラシン・サンタンデールに移籍した1974-75シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し再びプリメーラ・ディビシオンの舞台に立ち、翌1975-76シーズン終了とともに選手を引退した。 代表歴1965年5月5日に行われた1966 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・アイルランド共和国代表戦でスペイン代表初出場を記録[3]。1966 FIFAワールドカップ本戦にも参加、グループステージのアルゼンチン代表戦に出場したが敗北した[4]。 監督歴引退後は長く所属したアトレティコ・マドリードの下部組織で指導者としての道を歩み始めた。1985年にBチームの監督に就任すると1987-88シーズンには解雇されたセサル・ルイス・メノッティ監督の後任としてトップチームの監督に就任。しかし僅か3試合でヘスス・ヒル会長との確執が起こり解任の憂き目にあった[5]。 その後は最後に所属したラシン・サンタンデールの監督や、CPメリダの監督を務めた。 90年代後半からはスペイン年代別代表に関わるようになり、2003 FIFAワールドユース選手権では準優勝、UEFA U-19欧州選手権2004では優勝という結果を残した[6]。 参考文献
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