マイク・マイヤーズ (左投手)
マイケル・スタンリー・マイヤーズ(Michael Stanley "Mike" Myers, 1969年6月26日 - )は、アメリカ合衆国のイリノイ州アーリントンハイツ出身のプロ野球選手(投手)。アイオワ州立大学出身。 プロ入り後の経歴1990年にサンフランシスコ・ジャイアンツにドラフト4巡目で指名されてプロ入り。その後、1992年にフロリダ・マーリンズへ移籍し、1995年にメジャーデビュー。マーリンズでは2試合に投げたが、同年8月9日にバディ・グルームとの1対1のトレードでデトロイト・タイガースへ移籍。 その後、タイガースで大きく飛躍し、1996年と1997年の2年連続でリーグ最多登板をマークした。しかし1997年11月に、サンティアゴ・ペレス、リック・グリーンと共に、ブライス・フロリーとの3対1のトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍する。ブルワーズでは2年間で141試合に登板し、1998年には防御率2.70を記録するなど、リリーフ投手としての役割をしっかりと果たした。 移籍後もリリーフ投手として活躍していたものの1999年オフに、カート・レスカニックとの1対1のトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍。ロッキーズ1年目の2000年には再三のトレードによる鬱憤を晴らすかの様な快投を見せ、リーグ3位の78試合に登板し、防御率1.99という非の打ち所のない成績を残した。2001年も防御率こそ3.60まで下がったが、それでも73試合登板という堂々たる数字をマークした。2002年開始前に、JD・クロッサーとジャック・カストとの1対2のトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。ダイヤモンドバックスでは2年間で133試合に登板したものの、防御率の平均は5.03と不本意な2年間に終わってしまった。 2003年のシーズン終了時にフリーエージェントになり、シアトル・マリナーズと契約した。2004年シーズン開始後も、リリーフとしてメジャーで登板を重ね、50試合に登板したものの防御率4.88と今一つだった。そのためウェーバーを経て、同年8月にボストン・レッドソックスへ移籍。レッドソックスでは25試合に投げて防御率4.20とやや持ち直したものの、同年シーズン終了と同時にフリーエージェントとなった。 その後、セントルイス・カージナルスが獲得するが、2005年3月29日にマイナーリーグに所属する2選手との1対2のトレードでレッドソックスへ放出され、結局はレッドソックスでプレイすることになった。同年は、65試合に登板し防御率3.13を記録。左打者に対する被打率.158を記録するなど、左打者封じとして効果的な働きを見せた。 2005年シーズン終了と同時にフリーエージェントとなる。ニューヨーク・ヤンキースと2年契約を結ぶ。2006年は62試合で防御率3.23を記録したが、左打者に打たれるケースが目立つようになった。ちなみにシーズンオフにメジャーリーグ代表として日米野球に参加したが、左打者である阿部慎之助にスリーランホームランを打たれている。翌2007年は、55試合に登板して防御率2.66を記録していたが、同年8月にヤンキースから放出され、シカゴ・ホワイトソックスに移籍した。ホワイトソックスでは、17試合に登板したものの防御率11.20に終わり、シーズン終了後にフリーエージェントとなった。 2008年は、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加する。しかし、メジャーに残ることはできずドジャース傘下のラスベガス・フィフティワンズで10試合に登板したが、同年4月25日にラスベガス・フィフティワンズに契約解除を申請し受理。フリーエージェントとなった。その後、現役に復帰することなく、現役を退いた。 ポストシーズンには4度出場して9試合に登板しているが、防御率8.31と相性が良くなかった。 プレースタイル投球フォームが非常に独特な投手である。ややサイドスロー気味であるものの、上体を傾けて投げているためリリースポイントが低く、事実上の左アンダースロー投手である。ステップ幅はさほど大きくなく、渡辺俊介のように沈み込んだりはしない。そのかわり右足を一塁側に踏み出し、上体を傾けた体勢から投げ込んでゆく。 年度別投手成績
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