マニー・バニュエロス
マニュエル・バニュエロス(Manuel "Manny" Bañuelos、スペイン語発音: [ma.ˈnwɛl ba.ˈɲwe.los][1]、1991年3月13日 - )は、メキシコ・ドゥランゴ州ゴメスパラシオ出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。 経歴プロ入りとヤンキース傘下時代2008年にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーしていたアルフレド・アセベスらと共にニューヨーク・ヤンキースに入団した。この年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースで12試合(先発3試合)に登板して4勝1敗、防御率2.57、37奪三振を記録した。 2009年はA級チャールストン・リバードッグス、A+級タンパ・ヤンキースでプレー。A級チャールストンでは25試合(先発19試合)に登板して9勝5敗、防御率2.67、104奪三振を記録した。この年のオールスター・フューチャーズゲームに世界選抜の一員として出場した[2]。 2010年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ、A+級タンパ、AA級トレントン・サンダーでプレー。A+級タンパでは10試合に先発登板して0勝3敗、防御率1.80、62奪三振を記録した。オフには教育リーグのアリゾナ・フォールリーグに参加した。 2011年はメジャーのスプリングトレーニングに初参加。ジェームズ・P・ドーソン・アワードを受賞した[3]。AA級トレントンでプレー後、8月2日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに昇格。11月20日にヤンキースとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[4]。 2012年は2年連続でメジャーのスプリングトレーニングに参加。AAA級スクラントン・ウィルクスバリで開幕を迎え、6試合に登板したが、左腕を故障したためトミー・ジョン手術を受け[5]、残りのシーズンを全休した。 2013年はリハビリのためシーズンを全休した。 2014年はA+級タンパで開幕を迎え、4月にAA級トレントンに昇格。AA級トレントンでは17試合(先発16試合)に登板して1勝3敗、防御率4.59、44奪三振を記録した。8月にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース[6]へ昇格した。4試合に先発登板して1勝0敗、防御率3.60、13奪三振を記録した。 ブレーブス時代2015年1月1日にデビッド・カーペンター、チェイスン・シュリーブとのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[7]。7月2日にメジャー初昇格を果たし、同日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビュー[8]。この年は7試合に投げ、うち6試合で先発登板した。防御率5.13、WHIP1.60とやや打ち込まれ、メジャー初勝利を挙げたが、1勝4敗と負け越してシーズンを終えた。 エンゼルス傘下時代2016年8月21日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[10]。 2017年は傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズでプレーし、39試合(先発9試合)に登板して5勝6敗、防御率4.93、85奪三振を記録した。オフの11月6日にFAとなった[9]。 ドジャース傘下時代![]() 2017年11月14日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[9]。 2018年は傘下のAAA級オクラホマシティ・ドジャースでプレーし、31試合(先発18試合)に登板して9勝7敗、防御率3.73、127奪三振を記録した。 ホワイトソックス時代2018年11月1日にジャスティン・ユーチャックとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。また、移籍と同時に40人枠入りした[11]。 2019年レギュラーシーズン終了後の10月28日にマイナー契約で傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ配属され、11月4日にFAとなった[9]。 富邦時代2020年2月11日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが、5月28日に自由契約となった[9]。6月20日にCPBLの富邦ガーディアンズと契約した[12]。登録名は「邦威」。8月16日の統一ライオンズ戦で5回3失点で来台初勝利を記録[13]。その後は6勝を挙げ、防御率2.60をマークした。 2021年7月5日に東京オリンピックに出場する為に退団することが決まった[14]。同日まで9試合に登板し1勝2敗、防御率2.94、リーグトップの64奪三振をマークしていた。 メキシカンリーグ時代2021年7月10日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのモンテレイ・サルタンズと契約した[15][9]。 ヤンキース時代2022年1月10日にプロ入り時の古巣であるヤンキースとマイナー契約を結んだ[16]。開幕はAAA級スクラントン・ウィルクスバリで迎え、5月26日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[17]。昇格後はすぐに登板機会が巡って来なかったが、6月3日のデトロイト・タイガース戦でプロ入り以来14年越しとなるヤンキースでのデビューを飾った[18]。6月28日にDFAとなった[19]。 パイレーツ時代2022年7月3日に金銭トレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[20]。シーズン全体ではリリーフとして35試合に登板。オフの11月15日にDFAとなり、11月18日にFAとなった[9]。 日本・楽天時代2022年12月8日、東北楽天ゴールデンイーグルスと契約したことが発表された[21]。背番号は13[22]。 2023年は、5月17日の福岡ソフトバンクホークス戦(きらやかスタジアム)でリリーフとして初登板したが、1イニング持たずに4安打2四球6失点で降板し、これが一軍で唯一の登板となった[23]。二軍では先発として18試合に登板し、7勝6敗、防御率3.90という成績だった。オフの12月1日に退団が発表された[24]。 2023年オフは、メキシコのウィンターリーグに所属するトマテロス・デ・クリアカンでプレーすることが発表された[25]。 台湾・楽天時代2024年1月23日、CPBLの楽天モンキーズと契約し、3年振りの台湾球界復帰となった。登録名は「霸威斯」[26]。 8月18日に解雇された[27]。 選手としての特徴最速154キロの直球に[28]、カーブ、スライダー、シンカーといった変化球を持ち球とする技巧派左腕[29]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録MiLB
CPBL
NPB
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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