マヌエル・バデネス
マヌエル・バデネス・カルドゥチ(Manuel Badenes Calduch 、1928年11月30日 - 2007年11月26日)は、スペイン・カステリョン出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 1957-58シーズン、当時スペインのサッカークラブ、レアル・バリャドリードに在籍していたバネデスは、リーグ戦のみで19ゴールを挙げ、見事そのシーズンのラ・リーガ得点王に輝いた[1]。 クラブ経歴1946-47シーズン、18歳になったバデネスは、プリメーラ・ディビシオンに在籍していたCDカステリョンでプロデビューを果たした[1]。プロ1年目となったこのシーズンは、リーグ戦11試合に出場して4ゴールを挙げるも、シーズン終了後にカステリョンは2部降格が決まった。 1947年、FCバルセロナに移籍した[1]。1シーズン目はリーグ戦に13試合出場して6ゴールを記録し、まずまずの結果を残した。また、バルセロナはこのシーズンのリーグ優勝を決めた。翌シーズン、バルセロナはカップトレブルを達成したが、バデネスの出場機会は皆無だった。 1950年、レアル・サラゴサへのレンタル移籍を経てバレンシアCFに加入した[1]。バレンシアのレジェンド、エドムンド・スアレスの代役である[2]。バレンシアには合計6シーズン在籍したが、そのうちの1953-54シーズンを除く全てのシーズンでリーグ戦2桁ゴールを叩き出した。1954-55シーズンにはキャリアハイとなる22ゴールを挙げたが、得点王の座はセビージャFCで29ゴールを記録したフアン・アルサに奪われた。また、このシーズン中にスペイン代表から初招集を受けた。 1956年、バレンシアを退団してレアル・バリャドリードに移籍した[1]。ここでもストライカーとして2シーズン合計27ゴールを挙げる。2シーズン目には19ゴールで、キャリア初となるラ・リーガ得点王を29歳にして獲得した。また、このシーズンの得点王はバデネスを含め3選手おり、残る2人はレアル・マドリードのアルフレッド・ディ・ステファノとバレンシアCFのリカルド・アロスである。 2シーズンでバリャドリードを去ったバデネスは、1958年にスポルティング・デ・ヒホン、1960年にはCDカステリョンへと移籍し、後者のカステリョンで現役を引退した[1]。 2007年11月26日、生まれ故郷であるカステリョンにて永眠。享年78歳[1]。 タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
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