ミカエル・ルスティグ
カール・ミカエル・ルスティグ(Carl Mikael Lustig, 1986年12月13日 - )は、スウェーデン・ウメオ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 経歴クラブ初期ユース時代は4部を戦う地元のSandåkerns SKで2年過ごし、2004年に3部のウメオFCへ移籍した。 スンツヴァル2005年8月1日に1部のGIFスンツヴァルへ引き抜かれ[1]、8試合2得点を記録。同シーズンにクラブは2部降格が決定したため、翌シーズンから2年を2部で過ごすことになり、その間にリーグ戦57試合, 公式戦を含め61試合に出場した。2008年に1部へ復帰すると、UEFA EURO 2008のためリーグが一旦中断するまでの間の全11試合全べてに出場し、レギュラーであり続けた。同年7月に同胞のエリック・ハムレーン監督率いるノルウェー1部の名門ローゼンボリBKと移籍金800万スウェーデン・クローナ[2]、3年半の契約を締結し、この移籍はイングランド1部のフラムFCへ去ったフレドリック・ストールの後釜として見られている[3]。 ローゼンボリローゼンボリでは、加入してすぐさま定位置を勝ち取り、翌年にはリーグ優勝のタイトルを獲得。3年目の2010年は、ニルス・アルネ・エッゲン監督の下でクラブはリーグ2連覇を達成。4年目では、ラデ・プリカ, ムシャガ・バケンガ, ジョン・チブイケ, ジム・ラルセン, モルテン・モルスクレットに次ぐクラブ内6位となる5得点を記録し、ヤン・ヨンソン監督体制下でも同様にレギュラーとして起用されていたが、クラブは3位でシーズンを終えた。 4シーズン在籍後の2011年11月にクラブを退団し、その際にスコティッシュ・プレミアリーグのセルティックFC, プレミアリーグのフラムFC, リーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールと欧州のクラブから関心を寄せられた[4]。 セルティック2011年11月13日に、セルティックとの事前契約締結の発表がされ[5]、2012年1月1日に正式に入団した[6]。様々なクラブから興味を持たれていたものの、最終的にセルティックを選んだ理由は、同クラブのレジェンドにしてスウェーデン代表のレジェンドでもあるヘンリク・ラーションの言葉に心を動かされたからだったと語っている[7]。3月3日のアバディーンFC戦 (1-1) で移籍後初出場[8] をし、9月1日のハイバーニアンFC戦(ホーム2-2)で移籍後初得点を挙げた[9]。同試合で2得点目も挙げたかに思われたが、後にオウンゴールとして記録された[9]。 ヘントAIK2020年8月25日、母国スウェーデンのAIKソルナにフリーで加入[11]。2022シーズン終了後、現役引退を表明した[12]。 代表ハンス・リンドボム監督率いるU-18代表を経て、2006年のシーズン中に行われたUEFA U-21欧州選手権2009予選でトミー・セデベリ監督率いるU-21代表デビュー。以降を定期的に招集され、2009年5月下旬にはセデベリ監督とヨルゲン・ランナルトソン監督の下、自国で開催されるU-21欧州選手権本大会のメンバーにも選出された[13]。本大会でもレギュラーとして出場し、チームは準決勝に進出するもU-21イングランド (3-3) 相手にPK戦の末に敗れた。U-21では合計21試合に出場[14] し、副主将に任命されていた。 2008年1月にラーシュ・ラーゲルベック監督率いるA代表に初招集され[14]、19日のアメリカ戦(0-2敗北)で初出場を記録。2011年3月29日にUEFA EURO 2012予選のモルドバ戦(2-1勝利)で初得点を記録[15]。2012年10月16日に2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のドイツ戦で通算2得点目を記録。同試合は0-4と大差を付けられていたが、残り30分で4得点を返し引き分けに持ち込んでいる[16]。 UEFA EURO 2020では、大会全4試合に出場したが、ベスト16でウクライナ代表に敗れた[17]。同大会終了後、代表から引退することを発表した[18]。 代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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