メイプルジンスキー
メイプルジンスキー(欧字名:Maplejinsky、1985年2月5日 - 2003年12月5日)は、アメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍は1988年のアラバマステークス、モンマスオークス。 半弟に、アベイ・ド・ロンシャン賞など欧州でGI3勝を挙げたデイジュールがいる。 生涯デビュー前フロリダ州のジョージア・ホフマンによって生産された。1986年7月、キーンランド当歳セールに上場され、スーザン・カスケルが75万ドルで落札した[2]。カスケルの代理人としてこの馬を購入したフィル・G・ジョンソンが調教を担当した[2]。 競走馬時代1988年4月のメイドン競走でデビュー[3]。2戦目で初勝利を収めた[3]。7月のモンマスオークスで重賞及びGI初制覇を達成[3]。翌月のアラバマステークスでGI2勝目を挙げたが、メイプルジンスキーに騎乗したアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手が他馬に対して妨害を行っていた疑惑が浮上した[2]。メイクチェンジに騎乗していたパット・デイ騎手は、コルデロがメイクチェンジの鼻を鞭で叩いたと証言した。メイクチェンジは鞭打ちの後に勢いを失い、結果的にクビ差の2着に敗れた。正面からの映像はメイクチェンジがコルデロ騎手の鞭で叩かれたというデイ騎手の主張を裏付けたが、競馬審判は結果を有効とし、覆ることはなかった[2]。次走のガゼルハンデキャップがラストランとなり、この年限りで引退した。通算成績は9戦5勝・2着1回[3]。 繁殖牝馬時代引退後は馬主のカスケルが所有するシュガーメイプルファームで繁殖入りした。ブラッシンググルームとの配合で生産した初仔のスカイビューティはGI9勝を挙げる歴史的名牝となり、1994年のエクリプス賞最優秀古牝馬を受賞したほか、2011年にはアメリカ競馬殿堂に選出されている[4]。 1994年11月のキーンランドミックスセールで、エーピーインディの仔を受胎した状態で上場され、日本の安田修に270万ドルで売却された[2]。安田の主有するシンコーファームで3頭の産駒を産んだ後、リチャード・サンチュリが所有するジェイエフ・B・ステーブルに売却された[2]。2003年12月に大動脈破裂で死亡し、スリーチムニーズファームのオールド・ブラッドリー・プレイス地区に埋葬された[2]。 繁殖成績(産駒一覧)
主要なファミリーライン牝系図の主要な部分(G1級競走優勝馬、日本のグレード制重賞優勝馬、その他個別記事のある馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。
血統表
脚注
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