ヤン・マーデンボロー
ヤン・マーデンボロー(Jann Mardenborough, 1991年9月9日 - )は、イギリスのレーシングドライバー。 名前の"Jann"の発音は「ジャン」ではなく「ヤン」である。彼へのインタービュー動画[1]や紹介動画[2]でも、「ヤン」と発音されていることが確認でき、SCE(当時)が公開しているGTアカデミーの卒業生一覧[3]にも、「ヤン・マーデンボロー」と記載されている。姓についても"Mardenborough"はイギリス英語では「マーデンバラ」と発音される為、「ヤン・マーデンバラ」の日本語表記が本来の発音に一番近い。 経歴生い立ちヤン・マーデンボローは、プロサッカー選手の父・スティーヴ・マーデンボローの息子として、イングランド北部の町ダーリントンで生まれた[4][5]。マーデンボローが誕生した当時、父親はダーリントンFCでプレーしていた。その後、家族は父親がダーリントンに在籍する以前に所属していたカーディフ・シティFCのあるウェールズのカーディフに移り住んだため、そこで彼は育った[5][6]。 マーデンボローは「GTアカデミー」に入るまで真剣にレースに向き合える機会に恵まれていなかった[7]。幼少期のレースキャリアについて、日本のauto sport誌のインタビューで聞かれたマーデンボローは「なぜだかWikipediaにレーシングカートをやっていたと書かれているが、数回友達の誕生日にインドアカートに遊びに行ったことがあるぐらい。僕にはレーシングカートの経験が無い。Wikipediaは間違っている」と答えている。 GTアカデミー2011年にマーデンボローは「GTアカデミー」の育成選手選考大会に参加した。この大会は日産とソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、当時)の協賛によって開催されていた。参加者はPlayStation 3のドライビングゲームソフトのグランツーリスモシリーズをプレイして競い合った。優勝者はプロのレーシングドライバーになるチャンスが与えられる。マーデンボローは9万名の参加者に競り勝ち、2011年の大会を制した[8]。 デビュー![]() ![]() 優勝したマーデンボローは2012年のドバイ24時間レースに日産チームで参戦する権利を得た。マーデンボローはドバイ24時間レースに出場し、彼がエントリーしたSP2クラスで3位の成績を挙げた[4]。 2012年シーズンのブリティッシュGT選手権にアレックス・バンコムとパートナーを組んで参戦し、1回の優勝を挙げ、GT3クラスの6位でシーズンを終えた。更に彼はブランパン耐久シリーズの4戦に参戦している。 フォーミュラへ2013年になると、マーデンボローはフォーミュラカーのレースに参戦の場を移した[9]。年初にマーデンボローはニュージーランドのフォーミュラカー・シリーズのトヨタ・レーシング・シリーズに参戦し、新人最上位の10位で選手権を終えた。その後はヨーロッパに戻り、カーリン・モータースポーツのシートを確保してFIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権[10]とイギリス・フォーミュラ3選手権[11]に参戦した。なお、同年にはスパ24時間にも参戦している。 F3を主戦場とした2013年シーズンの後、アーデン・インターナショナルに加入してGP3の2014年シーズンを戦うことになり、レッドブルのジュニア・チームの若手ドライバーの育成プログラムにも署名した[12]。ドイツのホッケンハイム戦では、第1ラウンドの順位を逆にしたグリッドで争われる第2ラウンドにおいて、彼は第2ラウンドのポールポジションとファステストラップを出してGP3初優勝を挙げた[13]。 2014年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにおいて、マーデンボローはニスモの日産・GT-Rのタイムアタック・パッケージをドライブして、有名な「グッドウッド・ヒル」と呼ばれるヒルクライムレースで参加したスーパーカーを凌ぎ最速のタイムを計測した[14]。 世界耐久選手権とル・マン参戦ル・マン24時間レースには2013年と2014年に参戦し、2015年は、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナルチームに所属し、FIA 世界耐久選手権のLMP1クラスに参戦し、ル・マン24時間レースにも参戦した。 日本へ2016年は日本に拠点を移し、ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)からSUPER GT・GT300クラス及び全日本F3選手権に参戦した[15]。SUPER GTでは1勝し、全日本F3選手権ではシーズン2位を獲得した。 2017年はSUPER GT・GT500クラス、スーパーフォーミュラにステップアップし、SUPER GTはチーム インパルから安田裕信と、スーパーフォーミュラは関口雄飛とタッグを組み参戦した。 2018年からはSUPER GT・GT500クラスに専念したがマシン性能に恵まれず未勝利に終わり、2020年まで日本で活動した。 帰国2020年限りでSUPER GTのシートを失いイギリスへ帰国し、2021年より元F1ドライバーのマーク・ブランデルが運営するMBパートナーズと契約した。優先しているのはSUPER GTへの復帰だが、世界を包むCOVID-19の猛威のため叶わず、2023年以降のLMDh車両を走らせるメーカーのシート獲得だという[16]。 2025年、GTワールドチャレンジ・ヨーロッパに参戦するハウプト・レーシング・チームと契約を結び、フォード・マスタングGT3を走らせることになった。マーデンボローによれば、この契約は長期的な関係構築に重点を置いたもので、フォードがヨーロッパのレースへ深く関与することが確認できたため契約を決断したという[17]。 映画出演2023年に公開されたマーデンボローの実話を基に制作された伝記映画『グランツーリスモ』では、カースタントとして参加し、自身の役を務めた[18]。また、本作の脚本にも深く関わっている[19]。劇中のマーデンボローはアーチー・マデクウィ(日本語吹き替え声優は松岡禎丞)が演じた[20]。同年のスーパー耐久の富士24時間レースに映画の宣伝も兼ねる形でHELM MOTORSPORTSより3年ぶりに国内レースに復帰した[21]。 レース記録経歴の概略
フォーミュラヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
GP3
全日本フォーミュラ3選手権
スーパーフォーミュラ
グランドツーリングカーSUPER GT
スポーツカー世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
脚注
外部リンク
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