ユタとふしぎな仲間たち
『ユタとふしぎな仲間たち』(ユタとふしぎななかまたち)は三浦哲郎による小説。 1971年に児童図書である新潮少年文庫の書き下ろし長編童話として出版された[1]。 1974年、テレビドラマ(NHK)が放送されたほか、1977年には劇団四季の脚色・演出によるオリジナル・ミュージカルが日本で初めて上演された。1989年以降のミュージカルでのタイトルは『ユタと不思議な仲間たち』と改題してロングラン。書籍は、1981年に毎日新聞社からも再版され、1984年には新潮文庫、2006年には講談社の青い鳥文庫としても刊行され、ロングセラーとして読み継がれている。 あらすじ小学生六年生の勇太(ユタ)は、母親の生まれ故郷である東北の山間にある温泉村の湯の花村にある分教場に転校してきたが、村の子供たちに馴染めず退屈で孤独な日々を過ごしていた。ある日、温泉宿の銀林荘で働く寅吉じいさんから座敷わらしの伝説を教えられ、興味を抱いたユタは、満月の晩、座敷わらしが出るといわれる宿の離れに一人で泊まることに。座敷わらしと出会い、仲間として交友を深めるうちにユタは明るく元気に成長していく。 登場キャラクター人物
座敷わらし出生まもなく親に殺され名前がないことから、自分が捨てられた場所の通り名(=かっこ内)をもじって呼び合っている。全員が男で、年長者のペドロを親分に共同生活を送っている。ユタを励まし、心強い仲間になる。
書籍情報
テレビドラマ
NHK『少年ドラマシリーズ』の1つとして、1974年5月6日 - 5月8日に放送された。1話25分・全3話。フィルム作品。全編を1時間に再編集したものが昭和49年度芸術祭に出品され、テレビ部門ドラマの部優秀賞を受賞している。この再編集版は出品時と受賞時に再放送された。なお現存する映像はこの再編集版のみ。2001年11月18日にはNHKアーカイブスで再放送された。 舞台は番組中に固有名詞は登場しないものの、岩手県北部の金田一温泉。この山村にも開発の波が押し寄せ、座敷わらしが去っていく。「東京と青森を結ぶ大きな道路を造ってる」のセリフがあり、八戸自動車道の工事が始まった時期でもある。 放送ライブラリーでは再編集版が公開[4]。 キャスト
スタッフ
映像ソフトミュージカル1977年に劇団四季により「こどものためのミュージカル・プレイ」としてミュージカル化。当初のタイトルは『ユタとふしぎな仲間たち』。 1984年に『ユタ-座敷わらしと少年の不思議なミュージカル-』というオリジナルミュージカルとなる。 その後、台本、音楽の再検討、振付け、装置、衣装などの一新、南部弁の再取材、更にレーザーやフライングなどを加えて改良され、1989年に『ユタと不思議な仲間たち』と改題、現在に至る[いつ?]。現在でも[いつ?]再演時に演出などの変更が行われている。 2011年5月29日、東日本大震災で都内に避難している被災者35組85名を無料招待[7]。また、7月下旬から8月下旬にかけて、岩手県、宮城県、福島県で地元の子供たちを無料招待して巡演を行った[8][注釈 1]。 スタッフキャスト(注意:キャスティングのみで実際に出演していない俳優も含む)
ミュージカル・ナンバー
「友だちはいいもんだ」と「生きているってすばらしい」は当時劇団四季に所属していた俳優陣による歌唱で、2曲収録でシングル発売(東芝EMI TP-10367)された。A面曲の「友だちはいいもんだ」は鹿賀丈史、市村正親、久野綾希子、末次美沙緒によるユニット「フォー・シーズンズ」(同名のロックグループとは無関係)が歌唱しており、B面曲の「生きているってすばらしい」は菱谷紘二、飯野おさみ(コーラス:フォー・シーズンズ)が歌唱している。 「友だちはいいもんだ」は「ともだちはいいもんだ」のタイトルでNHK『みんなのうた』でも放送された(初放送月:1977年12月 - 1978年1月、歌:トランザム)。そのほか、1979年に若子内悦郎、2008年にBaby Boo(アルバム『ありがとう』収録)、2010年に小原孝(アルバム『小原孝のピアノ詩集〜愛の讃歌』収録)、2011年にクレイジーケンバンド(シングル『いっぱい いっぱい』カップリング)によりカバーされた。子供向けのオムニバス盤などでは、ひばり児童合唱団、杉並児童合唱団、「宮内良、小板橋えりこ、ヤング・フレッシュ」などによる歌唱もある。 エンディングに歌われる「夢をつづけて」は1989年に森進一によりカバーされた。 上演記録
受賞歴
脚注注釈出典
外部リンク
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