リッキー・フジ
リッキー・フジ(Ricky Fuji、1965年9月27日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:森村 方則(もりむら まさのり)。千葉県千葉市出身。YouTuber。血液型A型。2AW所属。 来歴木更津中央高校時代まで野球部に所属。元中日ドラゴンズ監督の与田剛は、野球部の同級生である。 1984年、新日本プロレスの練習生であったが、デビュー前に退団。新日本プロレス時代に世話になった高野俊二の伝手でミスター・ヒトを紹介され、スチュ・ハートのレスラー育成所で知られるカルガリーに渡り修行し直す。1988年6月28日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州カムループスにおいて、ロース・ハート戦でデビュー。以後、二度にわたる重傷でレスラー生活の危機に見舞われたが、そのたびに復活を遂げる根性を見せ(ミスター・ヒトにはずいぶん励まされたという)、「タイガーマスク」や「ブラック・トムキャット」といった覆面レスラーとしてカナダのインディペンデント団体を転々とした[1][2]。 1990年、帰国してFMWに参戦。日本デビュー戦は5月12日十和田市民体育館でのシューターII戦で、2分40秒チキンウィングフェイスロックで勝利。当初は栗栖正伸やミスター・ポーゴのタッグパートナーとしての参戦だったが、程なく仲間割れを起こしてFMW正規軍に転じる。大仁田厚、ターザン後藤、サンボ浅子とともにFMW四天王の一人として、プエルトリコ軍団やシーク軍団と抗争を繰り広げた。Jr戦線ではFMW参戦から1年でジミー・バックランドに逆さ押さえ込みで勝利しAWA世界ライトヘビー級王者となった。マーク・スターを相手に初防衛に成功したが、スターとのリマッチに敗れ長期政権とはならなかった。1991年第1回世界最強総合格闘技タッグリーグ戦に浅子とのタッグで参戦し3位と健闘したが、1992年の世界最強ストリートファイトタッグリーグ戦にはエントリーされなかった。 1993年1月、FMW正規軍vsシーク軍団の4vs4イリミネーション戦での大将戦ターザン後藤vsビッグ・タイトン戦の試合途中に、タイトンに呼ばれ乱入。後藤へ裏切りのイス攻撃で正規軍に反旗を翻し、タイトン、ザ・グラジェーター、ドクター・ルーサー、ドクター・ハニバルらとともに『チーム・カナダ』を結成。得意の話術を生かしプレイング・マネージャーとしてFMWマットを荒らし回った。タイガー・ジェット・シン親子やポーゴ松永同盟と共闘するなどし、FMWを制圧する勢いだった。浅子とのシングル戦や、グレート・パンクとのキャプテンフォールFMW追放マッチに勝利するなど実績も重ねた。Jrの活性化のためWARやみちのくプロレスなど他団体にも積極的に参戦し、第1回スーパーJカップでは1回戦でネグロ・カサスを相手に得意技のタイガードライバーで勝利、2回戦で獣神サンダー・ライガーと対戦したが敗れた。チーム・カナダはザ・グラジェーターの離脱からジャッジ・ドレッドを補強するなどしたが勢力を落とした。しかし、孤軍奮闘になってもザ・グレート・サスケとのインディーJr王者決定戦でベルトを奪還するなどリーダーとして最後まで貫き通した。 1995年2月、後藤、大矢剛功と鬼神組を結成。FMW正規軍やW★ING同盟を相手に連戦連勝で圧倒的な強さを見せた。5月川崎球場大会で大矢とのタッグでポーゴ&金村組からタッグ王者[要追加記述]を奪取。 同年新生FMWでは、大矢、ポーゴ、ザ・グラジェーター、ホーレス・ボウダーとリーサル・ウェポンを結成し、新生FMWを苦しめた。タッグ王者としての初防衛戦は8月に藤原組へ乗り込み藤原喜明&船木勝一組を相手に防衛。翌9月FMW札幌大会で藤原&池田大輔組に敗れ2度目の防衛とはならなかったがタッグ戦線を盛り上げた。超電戦士バトレンジャーZ、南条隼人、中川浩二との対戦でJr戦線の活性化も行った。特に中川とはJrの枠を越え金網デスマッチも行い勝利を収めている。ノースアメリカンミッドヘビー級王座を保持しており、みちのくプロレスでMEN'Sテイオーと防衛戦を行い勝利している。TAKAみちのく、船木勝一とはチーム夢FUCKなるユニットを結成しJr戦線を中心に活動した。リーサル・ウェポンは結成当初はFMWを制圧する勢いだったが、ポーゴの離脱、ザ・グラジェーターの怪我など軍団の勢力が落ちた後に空中分解。グラジェーター&ボウダー&大矢が米版FMWに合流し一人となったが、ハヤブサの呼びかけもありFMW正規軍に参加。 FMW内での経歴は、正規軍→チーム・カナダ→鬼神組→リーサル・ウェポン→正規軍。1996年5月には、自身が影響を受けたロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン&ロバート・ギブソン)ともトリオを組んだ[3]。 FMW崩壊後は飲食店の従業員となる傍ら、WMFやWJプロレス、みちのくプロレス、静岡プロレス、ターザン後藤一派、北都プロレス、頑固プロレス、ガッツワールドプロレスリング、新潟プロレスなどインディー団体に幅広く参戦し、自主興行も開催。WMFではGOEMON、大矢、ソルジャー、助清とDCブランドを結成し、WMF正規軍を苦しめた。 アメリカンプロレスを基本スタイルとし、入場時のエア・ギターや、リング上での尻出し(ディック・マードック、リック・フレアーが得意とするアメリカンプロレスの伝統芸)などの、独特のアピールを持つ。一部の熱狂的ファンから「ロックンロール」コールを受けるのも定番。 サマーソニック2006のエア・ギター選手権に出場。 典型的なアメプロスタイルな外見とは裏腹にレスラーになってしばらくまで格闘技志向も強かった。またゲーリー・オブライトや、中学生だった菊田早苗にプロレスの”仕組み”を教えたのもリッキーである。 2006年に覆面MANIAにて「カルガリー・タイガー」のキャラクターを復活。 2012年1月3日付けで、KAIENTAI DOJO(2019年より2AW)所属となった。 2022年9月、脳梗塞を発症したことが発表された。命に別状はないが左半身が麻痺しており、リハビリ治療に入った[4][5]。のち11月29日に退院[6]、翌2023年1月2日の2AWスクエア大会で復帰した[7]。 得意技
タイトル歴
メディア出演映画
テレビドラマ
テレビゲーム
バラエティ番組
脚注
外部リンク |
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