レイチェル・フラット
レイチェル・エリザベス・フラット(英語: Rachael Elizabeth Flatt, 1992年7月21日[1] - )は、アメリカ合衆国の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。 2010年バンクーバーオリンピックアメリカ代表、2010年全米選手権優勝、2008年世界ジュニア選手権優勝。 人物1992年7月21日、カリフォルニア州デル・マーで、生化学エンジニアの父と分子生物学者の母の一人娘として生まれる。学校の授業では理系科目が得意で、フランス語も「一応話せる」[1]。2010年5月、高校卒業後1年間は練習に専念し、2011年秋からスタンフォード大学に進学して工学を専攻する予定であることをデンバー・ポスト紙に公表した[2]。2015年6月14日に生物学の学位を取得し卒業した[3]。 技術何種類かの3回転-3回転のコンビネーションジャンプを跳ぶことができる選手で、2005-2006シーズンにトウループ-トウループ、2006-2007シーズンにルッツ-トウループ、2008-2009にフリップ-トウループを習得した。2008-2009シーズンのフリースケーティングには、反時計回りと時計回りの両方の向きで回るスピンを取り入れている[1]。2011年世界選手権のショートプログラムでは、ストレートラインステップシークエンスでレベル4を獲得した[4]。 経歴4歳でスケートを始めた。父の仕事でコロラド州ボールダーに住まいを移してからはコロラドスプリングスのリンクに通っていた。しかし、車で片道2時間かけて通うのが大変だったため、ついには同地に引っ越してしまった[1]。 コロラドスプリングスのリンクに通い始めて以来、トム・ザカライセックの指導を受けている[1]。2001年から2004年まではアンドリュー・スペロフとペアスケーティングに取り組んでいた[5][1]。シングルに専念するようになってから、2004-2005シーズンの全米選手権ノービスクラス、トリグラフトロフィーノービスクラスでそれぞれ優勝。 2006年の全米選手権ジュニアクラスで2位となる。翌2006-2007シーズンは国際大会への派遣が予定されていたが、ケガのため出場できなかった。2007-2008シーズンからISUジュニアグランプリ (JGP) に参戦するとたちまち初優勝し、JGPファイナルでも2位に入る活躍を見せた。全米選手権ではシニアクラスに出場して2位となり、世界ジュニア選手権では初出場初優勝。 2008-2009シーズンはISUグランプリシリーズに参戦し、ロシア杯で2位に入るなど健闘した。全米選手権でも2年連続の2位に入り、初めての世界選手権では5位に食い込んだ。2009-2010シーズンは全米選手権で優勝し、バンクーバーオリンピックでは自己ベストを記録して7位入賞。世界選手権は9位だった。 2010-2011シーズン、NHK杯とスケートアメリカは共に2位で、初のグランプリファイナルに出場。しかし、足の怪我のためにSP、FSともに国際大会での過去最低スコアを出し6位に終わった。[6]SPを変更して挑んだ全米選手権では3度目の銀メダルを獲得。四大陸選手権では表彰台に乗ることはできなかったものの、FSでパーソナルベストを出すなど健闘した。世界選手権のSPでは女子選手としては4人目のステップシークエンスでのレベル4を獲得。しかし、FSでは足の怪我の影響[7]により、3回転ルッツを外したジャンプ構成で滑ったものの、ミスが相次ぎ12位に順位を落とした。 2012-2013シーズン、スケートアメリカで9位。その後、右足とくるぶしの怪我により、シーズン全ての試合を欠場すると発表した[8]。 2013-2014シーズン、ニース杯では9位。最後の出場と決めて挑んだ全米選手権では18位。競技生活に終止符を打った[9]。 2015年9月にハーバード大学で行われたAn Evening with Championsにて、医学部進学のためにプロスケーターを引退する意向を示した[10]。 主な戦績
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脚注
外部リンク
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