上野山信行
上野山 信行(うえのやま のぶゆき、1957年5月26日 - )は、大阪府摂津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会(JFA)公認S級コーチ。 来歴1976年にヤンマーディーゼルに入団[1]。181cm、73kgの大型フルバック(センターバック)として活躍した。 1985年に引退し指導者として釜本FC(釜本邦茂が主催する少年サッカークラブ)、その釜本FCの流れを継ぐガンバ大阪ユースで指導にあたる。その後、ガンバ大阪のサテライトコーチ等を経て、2001年以降は下部組織全体を統括する育成・普及部長に就任している。2009年より日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へ出向、Jリーグ技術委員会委員長に選任され[2]、2013年まで務めた。 2014年、ガンバ大阪のアカデミー本部・強化本部担当顧問に就任[3]。 上野山の指導を受けた主な選手には宮本恒靖、稲本潤一、新井場徹、橋本英郎、大黒将志、二川孝広、宇佐美貴史、本田圭佑、家長昭博らがいた。本田圭佑に関しては、当時は、「止める」「蹴る」技術が高かったものの「走らない」選手であったと評価した。その後、ガンバ大阪ユース昇格見送りの判断をした。また、失敗(2001年当時)を認めることこそ真の成長に向けての最高のチャンスであり、悔しい思いを忘れずに、本当に努力できたら一流の選手になれると述べている。[4] 2019年12月、カマタマーレ讃岐の強化、育成、普及の総責任者、GMに就任した[5]。 2020年12月22日、カマタマーレ讃岐の監督に就任すると発表された。GMも兼務する[6]。 2021年3月31日、開幕2連敗後、本人の意思によりカマタマーレ讃岐の監督を辞任することが発表された[7]。シーズン開幕後、暫定体制ではない公式戦2試合率いての退任はJリーグ史上最短である。 所属クラブ個人成績
指導歴
著書『日本のメッシの育て方』(経済界、2012年8月)ISBN978-4-7667-8529-6
監督成績
2021年シーズン 第1節、第3節の2試合のみチームを指揮した。 脚注
外部リンク
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