中央区立佃中学校
中央区立佃中学校(ちゅうおうくりつ つくだ ちゅうがっこう)は、東京都中央区佃2丁目にある公立中学校。愛称は、「つくちゅう」。 概要中央区に4校ある区立中学校のなかで、最も新しい中学校である。1988年(昭和63年)に東京都中央区立佃中学校として開校し、2000年(平成12年)に校名を現在の中央区立佃中学校に改称した。 校舎は、隣接する中央区立佃島小学校との複合校舎である。校舎の外観には端々に佃島の外形を意匠化した三角形や四角錐のモチーフが用いられている。 本校が所在する東京都中央区佃(佃島)は隅田川の河口に位置しており、隅田川も本校から近い。近隣には大川端リバーシティ21などの新興住宅地域もある。 沿革
校地![]() 所在地校舎複合校舎の南側が中学校(本校)、北側が小学校(中央区立佃島小学校)である。南側の中学校部分は6階建て(6階が屋上)、北側の小学校部分は5階建て(5階が屋上)である。同じ中央区立の小学校と中学校の複合校舎ではあるが小中一貫校ではないため、両校それぞれの玄関が設置されていることをはじめとして、原則として両校の動線は交わらないよう設定されている。ただし、中学校における部活動では、中学校の体育館の他に、小学校の体育館も使用する。 複合校舎の外観は、端々の壁面は三角形のモチーフ、屋上部分は両校1つずつの大きな四角錐のモチーフによって装飾されている。これらのモチーフは、両校の所在する佃島の外形を意匠化したものである。このうち、壁面の三角形のモチーフは同じ形状ながら中学校と小学校で色違いであり、中学校部分は水色・小学校部分は桃色である。 通学区域以下の通り通学区域が定められているが、中央区では「中学校自由選択制」が導入されているため、実際には通学区域外から本校に入学することも、また本校の通学区域から他の中央区立中学校に入学することも可能である[2]。なお、本校の通学区域は、中央区立佃島小学校と中央区立月島第一小学校の両校の通学区域を合わせたものである。
通学区域の変更2025年(令和7年)4月1日より、下記区域に通学区域が変更される[4][5][6]。
本校の通学区域は佃島小学校と月島第一小学校の両校の通学区域を合わせたものであるが、月島第一小学校と月島第三小学校との間にて通学区域の変更が行われるため、これに合わせて本校の通学区域も変更される。これまで月島2丁目と月島4丁目は、それぞれを本校・月島第一小学校と晴海中学校・月島第三小学校で通学区域を分け合っていた状態だった。今回の通学区域変更により月島4丁目の全域が本校・月島第一小学校の通学区域、月島2丁目の全域が晴海中学校・月島第三小学校の通学区域となった。 なお、月島第一小学校は他にも佃島小学校との間にて通学区域の変更があるが、前述のとおり本校の通学区域は佃島小学校と月島第一小学校の両校の通学区域を合わせたものであるため、このことによる中学校の通学区域の変更は行われず、引き続き本校の通学区域のままである。 生徒数と教職員数の推移大川端リバーシティ21などの新興住宅地域が通学区域に含まれており、その住民らを多く吸収している。
校名本校の校名は、本校の所在地である東京都中央区佃に由来する。佃地区では1967年(昭和42年)3月の住居表示実施で佃島が佃と改称されて以降、施設名称にも従来の「佃島」に代わり「佃」を冠する例が増えており、中央区立佃中学校もその1つである。なお、隣接する中央区立佃島小学校は、住居表示実施以前に開校していたため、現在も「佃島」を冠しており、2016年6月現在、公共の施設として唯一名称に佃島を含む(なお、民間の施設や団体には築地本願寺佃島説教所、佃島剣道教室、佃島スポーツ少年団などにその名が残る)。 2000年(平成12年)4月1日の「中央区条例の題名等を統一する条例」の施行に伴い、本校は同日に「東京都中央区立佃中学校」から「中央区立佃中学校」に改称している。ただし、現在でも旧校名が使われることもあり、例えば校門前に設置されている校名碑には旧校名の「東京都中央区立佃中学校」と刻まれている。隣接する中央区立佃島小学校も同様であり、校名碑には「東京都中央区立佃島小学校」と刻まれている。 学校行事
生徒会活動
部活動
運動部文化部著名な出身者学校の周辺
交通アクセス
姉妹校中央区立佃島小学校と大阪市立佃小学校は姉妹校であるが、中央区立佃中学校と大阪市立佃中学校は姉妹校ではない。 脚注関連項目外部リンク |
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