久保田后子
久保田 后子(くぼた きみこ、1955年〈昭和30年〉1月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。前山口県宇部市長(3期)。 来歴東京都渋谷区出身[3]。東京都立青山高等学校を経て、1978年(昭和53年)に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、ドイツのミュンヘンで1年間学ぶ。1980年に帰国後は民間企業に勤務。1990年(平成2年)11月に夫の故郷である宇部市にIターン。1995年(平成7年)山口大学大学院経済学研究科修士課程修了。 1999年(平成11年)4月、山口県議会議員(宇部市・美祢郡区)に無所属で立候補。得票数トップで初当選した[4]。2007年(平成19年)4月、3期目の当選を果たす。県議時代は「新政クラブ」に所属。同じ会派の議員としては中尾友昭(元下関市長)、木村健一郎(元周南市長)らがいた[5]。 2009年(平成21年)6月28日に行われた宇部市長選挙に立候補し、日本共産党公認の五島博、無所属の中司正彦らを破り初当選。7月18日に市長に就任し、山口県内では初の女性市長となった。 2013年(平成25年)6月23日に行われた市長選で、自由民主党山口県支部連合会の推薦[6]を受けた元宇部市職員の木藤昭仁を破り再選[7]。 2017年(平成29年)7月2日告示の市長選挙を前に自由民主党に入党し[2]、7月9日執行の市長選挙で無投票により3選。 2020年(令和2年)10月15日、8月後半からの体調不良や10月に入ってからのリハビリ中の骨折により「治療は長期にわたる」と診断された事で、「市政の停滞は許されない」と判断し市議会議長に辞職願を提出[8][9]、同月22日の市議会臨時議会で辞職が全会一致で同意され、同日付で辞職となった[10]。 久保田は後継の市長候補を指名をしなかった[9]一方、11月15日に告示された宇部市長選挙には同市政策広報室長の望月知子が「久保田市政の後継者」として立候補[11]。11月22日に行われた投開票の結果、望月は前山口県議会議員の篠﨑圭二に敗れた[12]。 2025年(令和7年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した[13][14]。 市政
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia