今井尚哉
今井 尚哉(いまい たかや、1958年〈昭和33年〉8月13日 - )は、日本の通産・経産官僚。三菱重工業顧問。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。 日本機械輸出組合ブラッセル事務所長、資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長、経済産業省大臣官房総務課長、経済産業省貿易経済協力局審議官、資源エネルギー庁次長、内閣総理大臣秘書官(政務担当)兼内閣総理大臣補佐官、内閣官房参与(エネルギー政策等担当)などを歴任した。 概説通商産業省及び経済産業省において、主に産業政策、エネルギー畑を歩んだ[10]。福島第一原子力発電所事故以後は、関西電力大飯発電所再稼働に道筋をつけるなど[11]、原発再稼働に尽力したことで知られている。第1次安倍内閣の下で内閣官房に出向し事務担当の内閣総理大臣秘書官を務め[10][12]、その後は経済産業省の本省にて大臣官房総務課課長や貿易経済協力局審議官を経て[12][13]、外局の資源エネルギー庁で次長に就任するなど[13]、要職を歴任した。安倍晋三に乞われ、第2次安倍内閣の発足とともに政務担当の内閣総理大臣秘書官に就任している[14]。第3次安倍第1次改造内閣が掲げた「一億総活躍社会」というスローガンを発案したことでも知られている[15]。第4次安倍第2次改造内閣より政策企画の総括担当の内閣総理大臣補佐官を兼務。菅内閣発足後は、内閣官房参与に就任[16]。 経歴生い立ち栃木県生まれ[10]。(首相官邸HPでは、新潟県新潟市出身と表記されている[17])勤務医の父の下で、栃木県宇都宮市にて育った[10]。栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、上京して東京大学に進学し、法学部にて学んだ[10]。1981年10月、国家公務員採用上級試験(法律)に合格。1982年、東京大学を卒業[18]。同年4月、通商産業省に入省した[10]。 官僚として通商産業省においては、主として産業政策・エネルギーを所管する職務に就くことが多かった[10]。2001年の中央省庁再編後は、経済産業省にて勤務した。2003年、日本機械輸出組合にてブラッセル事務所の所長に就任したため[12]、ベルギーのブリュッセル首都圏地域に渡った[註釈 1]。その後、経済産業省の外局である資源エネルギー庁において、資源・燃料部の政策課で課長に就任した[10]。 第1次安倍内閣の発足にともない、内閣官房に出向し、内閣総理大臣秘書官となった[10][12]。このとき、内閣総理大臣であった安倍晋三の知遇を得た[10]。 第1次安倍改造内閣が退陣すると、経済産業省に戻った。2008年12月、大臣官房にて、いわゆる「官房三課長」の一つである総務課の課長に就任した[12]。また、政策審議室の室長にも併任された[12]。その後、貿易経済協力局の審議官などを務め、2011年6月には審議官としての職務を続けながら資源エネルギー庁の次長に就任した[13]。 福島第一原子力発電所事故を受け菅第2次改造内閣が脱原発を模索する中、原子力発電所の再稼働を目指し奔走した[13]。関西電力大飯発電所再稼働をめぐっては、仙谷由人、斎藤勁ら菅第2次改造内閣や野田内閣の政権幹部を説得するだけでなく、嘉田由紀子、橋下徹ら地方公共団体の首長に直談判して説き伏せるなど[11]、再稼働への道筋をつけた。これらの活動から「経産省に今井あり」[14]と評されるようになり、同期入省の日下部聡、嶋田隆とともに「経産三羽烏」[14]と称された。 2012年の第2次安倍内閣の発足にともない、安倍晋三に乞われ政務担当の内閣総理大臣秘書官に就任した[14]。なお、独立行政法人である経済産業研究所においてコンサルティングフェローを務めていたが、2013年6月30日に退任した[19]。 2016年の伊勢志摩サミットの際には、消費税増税の延期理由を国内にアピールするために提起された、「世界は今、リーマン・ショック級のリスクにさらされている」というペーパーを主導して作成したとされる[20]。 2019年の第4次安倍第2次改造内閣の発足にともない、政策企画の総括担当の内閣総理大臣補佐官を兼務[21]。 2020年、菅義偉内閣が発足し、内閣総理大臣補佐官兼秘書官を退任。内閣官房参与(エネルギー政策等)に就任[1][16]。 2021年、岸田内閣が発足し、内閣官房参与(エネルギー政策等)を再任[22]。 2021年、三菱重工業顧問(嘱託)に就任。顧問委嘱に際し、三菱重工業からは「個別の嘱託契約については公表していない」と説明がなされたため、詳細な就任時期は不明[23]。 2021年、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹に就任。4月、カーライル・ジャパンシニア・アドバイザーに就任[24][25]。 2024年10月、石破内閣の発足に伴い内閣官房参与を退任[2]。 活動・主張
人物
略歴
家族・親族叔父の今井善衛は[10]、城山三郎の小説『官僚たちの夏』で主人公と対立する官僚「玉木」のモデルとしても知られており、商工官僚を経て通商産業省で事務次官を務めた。また、同じく叔父で公益財団法人日本国際フォーラム代表理事の今井敬は[10]、新日本製鐵の社長を経て経済団体連合会の会長を務めた人物。現在はほかに一般社団法人日本原子力産業協会理事長の職に就いている。 これらの経緯から、尚哉は当初より「永田町や霞が関界隈でサラブレッド視されてきた」[10]という。また今井善衛の妻は山崎種二の娘であり、安倍晋三夫人である安倍昭恵の叔母が山崎種二の三男(山崎誠三)に嫁いでいるため今井家と安倍家は縁戚に当たる。 関連項目脚注註釈出典
参考文献外部リンク
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