円明園十二生肖獣首銅像![]() 円明園十二生肖獣首銅像(えんめいえんじゅうにせいしょうじゅうしゅどうぞう、繁体字: 圓明園十二生肖獸首銅像, 简体字: 圆明园十二生肖兽首铜像)は、清朝が建築した円明園の水力時計(中国語: 水力鐘)の銅像。頭は獣、体は人間の銅像である。円明園十二生肖(十二支)銅像、円明園十二生肖獣首像、円明園ブロンズ像、十二支動物像、十二支像、等の名称で知られる。 概要円明園の長春園の西洋式建築西洋楼(円明園で唯一の残存建築物)の一角をなす海晏堂の、西の方向にある噴水池に設置されていた。12の動物とは、鼠(ねずみ)、牛(うし)、虎(とら)、兔(うさぎ)、龍(りゅう)、蛇(へび)、馬(うま)、羊(ひつじ)、猿(さる)、鶏(にわとり)、犬(いぬ)、豚(ぶた)の十二支である。鼠、虎、龍、馬、猿、犬が南側に、牛、兔、蛇、羊、鶏、豚が北側に、八の字を描いて並んでいる。各動物(体は人間)が2時間ずつ時間を担当し、担当の時間になると池に向かって口から水を噴射した。昼の12時には12体の動物人間が全員一斉に噴射した。牛は塵払い、兔は扇、龍は珠(たま)、犬は銃、豚は弓等、各々道具を持ち、各々所作がある。蛇は何も持たず、腕組みである。21世紀初頭の中国で、十二獣首人身銅像は、本物の円明園の銅像の他、等身大レプリカやミニチュアのレプリカ等が展示されるなどしている[1][2][3][4]。 流失と競売設置から流失の経緯水面積が全園の2分の1以上を占める「水景園」である円明園に、12体の獣首人身の銅像は設置された。銅像はジュゼッペ・カスティリオーネがデザインし、ミシェル・ブノワ(en:Michel Benoist)が設計監修をした。実際の製作は清朝の宮廷匠師による。十二獣首人身の水力時計は、海晏堂にある様々な水仕掛けの中で、最も苦心した作品である。 満州で都市計画に携わった官僚・佐藤昌の著書によると、やがて咸豊帝の母親太后(孝全成皇后)は、銅像が「怪異」である、と嫌がって、銅像を倉庫に片付けた[5]。孝全成皇后没後の1860年、アロー戦争の際に、フランス(第二帝政)軍が円明園の略奪に注力し[6]、イギリス(グレートブリテンおよびアイルランド連合王国)軍が清朝による捕虜殺害への報復として円明園を焼き払い、その混乱の中、獣首人身銅像は流失、離散したとされる。しかしこの時イギリス・フランス軍にこれらの像が略奪されていないことを証明する、後の中国国内で撮影された写真が存在するという主張がある。 中国文学者・中野美代子による月刊誌『図書』寄稿文書によれば、円明園の略奪後(1860年)の情景を報じた新聞の挿絵にこれらの像が残っている[7][8]。その後、西太后が円明園の復興をめざしたものの1874年ごろ中止されたが、この頃に十二支像は移設されたと考えられる。1930年前後に円明園を調査したキャロル・ブラウン・マローンは「北京の冬の離宮」[9]にある12のブロンズ像の写真を撮影している[7][8]。したがって像の頭部はその後に国内の人物によって切断され持ち出され、骨董市などで売りさばかれたものと推定される[7]。実際、国共内戦、文化大革命などの動乱により円明園はさらに略奪され、荒廃が進んでいる。 牛、虎、馬、猿、豚
鼠と兔
龍、蛇、羊、鶏、犬
復元2009年8月、江蘇省句容市の美人魚景觀貿易有限公司の法人代表で、円明園の管理者である冷貝生(拼音: レン・ベイシェンにより、十二獣首人身が再現された[16]。 脚注
参考文献
関連項目
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