冨士大石寺顕正会
冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、日本の仏教系、法華系、日蓮系、日興門流系、富士門流系、大石寺系の宗教団体である。 概要埼玉県さいたま市大宮区寿能町に本部を置き、日本各地に約60箇所の会館を有する。 公称会員数は約260万人[official 1]を擁する単立宗教法人で、宗教法人法に基づく届出名は宗教法人「顕正会」である。 もともとは日蓮正宗所属の信徒団体として1957年(昭和32年)に発足した「妙信講」が前身であり、教団の機関紙としては『顕正新聞』(月三回発行)がある。 鎌倉時代の僧である日蓮を本仏として仰ぎ、法華経こそが釈迦の真実の教えとし、末法の世では日蓮大聖人の仏法(三大秘法)のみが個人の幸福と真の国家安泰をもたらす法であるとしている。 1974年(昭和49年)に日蓮正宗から解散処分を受けている。 毎月末に同会本部会館にて総幹部会を開催し、月の活動内容や体験談の発表を行い、動画サイト上に配信をしている。2023年10月16日に浅井昭衞が死去したことにより、同会理事長であった浅井城衞が二代目会長となる[1]。 他の仏教系宗教や他の日蓮系宗教は邪教であると認識している。 歴史大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)中の1942年(昭和17年)4月、日蓮正宗妙光寺(東京府東京市品川区:現・東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衞が初代講頭となり、妙光寺所属の法華講の一講中として東京妙信講(とうきょうみょうしんこう)が結成(認証)[2][3]。当時は戦時下のため折伏弘通は困難であったが、甚兵衞は事業経営と並行して講員を励ましながら弘通を進めたという[official 2]。 浅井親子らは妙光寺から豊島教会の妙国寺(板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現:法道院、豊島区南池袋)へと所属を変えたが、住職の申入れを受けて法道会法華講と合併するため発展的に解散した。その後は法道会から離脱し妙信講を再建するが[official 3]、創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂(平成10年に解体撤去)の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立。日蓮正宗から講中解散処分を受ける。 →詳細は「除名 § 日蓮正宗の除名」、および「牙城会 § 創価学会反対派との紛争」を参照
年譜
教義
「国立戒壇」建立とは、日蓮が門下に遺命されたという広宣流布の暁により一国の総意で建てられる「本門戒壇」建立のことを言う。この「国立戒壇」建立により、日蓮正宗富士大石寺伝「本門戒壇の大御本尊」に備わるといわれる不可思議なる利益によって日本を安泰化させ、これこそが日蓮の遺命なのだと主張する[official 32]。 また、教義の根拠については、『「宗教法人顕正会」規則』第四条に以下の定義がある。
仏法の実践
国立戒壇と本門戒壇「本門戒壇」建立とは富士門流に古くから伝わる広宣流布の暁の戒壇論である。 本門戒壇建立における、時・手続・場所については、日蓮が「三大秘法禀承事(三大秘法抄)」「一期弘法付嘱書」に説明していると主張している。ただし両抄の原本は無く、北山本門寺にのみに伝わっていた相伝書である為、日興門流を除く日蓮宗諸派は偽書と主張している。 →「二箇相承 § 偽書説」も参照 「三大秘法抄」には、「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」 [soka 4]という記述がある。 →「三大秘法 § 日蓮正宗」、および「六巻抄 § 文底秘沈抄」も参照
また、「一期弘法付嘱書」には「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てられるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」[soka 5]と記されている。 両抄に記されたという御遺命文により、本門戒壇は、国家意志の表明をもって建立手続とする為に、簡略的に「国立戒壇」と昭和の初期頃より日蓮正宗内で呼称されてきた。 主張と根拠日蓮正宗大石寺では、日蓮の御遺命を奉じて、この国家的に建立されるべき「本門戒壇」の実現を日蓮以来700年来叫び続けてきたと主張している。顕正会ではその文証として 大石寺二祖・日興:「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てられるべきなり」(富士一跡門徒存知事) を挙げる。 また、創価学会もかつては日蓮正宗の信徒団体であったため、「国立戒壇」を唯一の目的としていたことに対しても以下の文証を挙げる。 2代会長戸田城聖:「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」[soka 7] その後、浅井親子(特に昭衛)は「池田会長体制の下で学会は変貌した」として創価学会を批判するようになった。池田が1965年(昭和40年)に「正本堂」建立を発願した後、学会および池田は正本堂が御遺命の戒壇である旨を主張するようになったためである[official 34][official 35][soka 9]。また当時、日蓮正宗第66世の日達もこれに賛同し、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(昭和43年1月)と、正本堂が御遺命の戒壇に当たる旨を公表した[official 36][official 37][soka 10]ことから、当教団ないし浅井親子による日蓮正宗への批判も強まっていった。 →詳細は「正本堂 (大石寺) § 正本堂の位置づけをめぐって」を参照 後に昭衛は「顕正会は富士門流系教団において唯一、日蓮大聖人の御遺命を『正本堂』ではなく「国立戒壇」としている。私はそれを根拠に学会・宗門を諫めようと活動を続けている[official 38]」と述べ、自派および自身の主張の正当性を強調するようになり現在に至っている。 →詳細は「国立戒壇 § 冨士大石寺顕正会」、および「広宣流布 § 冨士大石寺顕正会」を参照
「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」との主張について昭衞は「前代未聞の大闘諍」「他国来難」が迫っており、これを防ぐには日蓮正宗の教義の広宣流布、戒壇本尊を安置する国立戒壇建立以外にないと主張している。これは日蓮が『立正安国論』の中で仏法に背く罰として必ず「他国侵逼難」[soka 11]が起こること、および同論奥書に「未来亦然るべきか」[soka 12]と示されることによる[official 39]。 これらの災難が迫る原因につき、「一には 日本一同が未だに日蓮に背き続けていること」「二には 創価学会が政治のために、日蓮の唯一の御遺命たる『国立戒壇建立』を抛ったこと」と主張している[official 40]。 昭衞は、顕正会が「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」と主張する理由につき、「この恐るべき亡国の大難が起きても、もしその起こる所以を知らなければ、人々はただ恐れ戦くのみで、これが『日蓮大聖人に背くゆえ』とは知るよしもない。したがって日蓮大聖人に帰依信順することもない。そうであれば、日本はそのとき必ず亡ぶ。よって日蓮大聖人の弟子として私は、前もってこれを全日本人に告げ知らしめて国を救わんと、本書を著した次第である」と記している[official 40]。 但し日蓮は『立正安国論』の中で、「国主及び万民が釈尊の心に背いて法華経を捨て、念仏を唱えているから国を守護する諸天善神が日本国を去り、災難が起こるのだ」ということを述べており昭衛および顕正会の主張とは異なる。昭衛の論理は日蓮を神格化し、従わなければ日蓮が罰を下すという構図を作り上げた上で、自身及び当教団に賛同しない者は悉く日蓮から罰すられるという構造になっている。当教団は日蓮宗および親元であった日蓮正宗からカルト扱いを受けており、布教活動のやり方にも大きな問題を起こしている。 他教団との関係と争点日蓮正宗、創価学会、正信会、日蓮宗[13]など他の日蓮系教団のいずれとも教義上厳しく対立している。各教団ごとに主義主張(教義解釈)に違いはあるが、日蓮正宗および創価学会・正信会が共通して敵視しているのが顕正会であり、その理由の共通項は「国立戒壇」であるとされる[14]。 しかし、2023年(令和5年)10月に昭衛、続いて11月には創価学会の池田が相次いでこの世を去ったことから、次期会長の城衛が今後、他教団に対してどのような態度を見せるか、注目されている。 →「池田大作 § 2010年代以降」、および「浅井昭衛 § 生涯」も参照
創価学会創価学会に対しては、大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)終結後、僧侶が堕落している時に救国の折伏に立ち上がったことにつき、「私(昭衛)は、敗戦の廃墟の中に立ち上がった創価学会の弘通の功を、誰よりも認めている」と述べている[15]。しかし、学会が「国立戒壇」を否定したこと、および、2014年に会則の教義条項を改正して「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と決定したこと自体が大謗法であると主張し、諫め続けるとともに、名誉会長の池田や現会長の原田稔らを「池田大作一党」と称し、痛烈に非難している[official 41][official 42]。他方、一般の学会員に対しては、「同じく信心の力を起こしながら悪師に随うゆえに臨終に悪相を現ずること痛々しく思っております。何としても八百万学会員を救いたい」等と繰り返し述べている[official 43][official 42][official 44]。 →「創価学会 § 冨士大石寺顕正会との関係」、および「国立戒壇 § 創価学会」も参照
日蓮正宗宗門日蓮正宗に対しても、日蓮大聖人の御遺命は「国立戒壇」であると主張し続けている[official 41]。 細井日達は1979年(昭和54年)7月22日午前5時5分に遷化(死去)したが、この時の経緯について『心臓発作に襲われ、大事の「御相承」もなし得ず急死した』と主張し、「御遺命違背の罰」と解釈する。即ち、貫首としての最大の責務は「御相承」であるところ、国立戒壇建立の御遺命に背けばすでに「貫首」ではなく、それゆえ日達は「授」の資格を失い、日顕には「受」の資格が無かったとして、「まさに御遺命違背という未曽有の大悪出来のゆえに、未曽有の異常事態が発生したのだ。すべては大聖人様の深き深き御仏意による。広布前夜には、このような“異常事態”も起こるのである」と主張している。 もっとも、「血脈」については「ただし、かかる不祥事があろうとも、血脈は断じて断絶しない。もし御遺命を堅持される貫首上人がご出現になれば、忽ちに血脈は蘇る。下種仏法の血脈は金剛不壊である。ここに大聖人様の甚深の御配慮がましますのである」と述べている[official 45]。 顕正会と連携、または顕正会から分派した教団愛媛県大洲市の正信会系寺院興正院で住職を務めていた足立淳正は、2020年(令和2年)2月6日、「国立戒壇」こそ日蓮大聖人の御遺命であると表明。「冨士大石寺正信会」を発足させ、顕正会と共に広宣流布・国立戒壇を目指して共闘すると明らかにした[official 46]。しかし、足立は2022年(令和4年)春に住職を退任し興正院から去ってしまった為、冨士大石寺正信会は事実上の解散となる。正信会は興正院に後任の住職を派遣し、自派の末寺として活動を再開させている。 仏教系以外の勢力神道系など他の超国家主義ないしは国粋主義を掲げる政治団体・宗教団体などとも対立している。 日本会議に対しては、神社本庁ともども日本最大の極右団体と断定しその存在自体強い口調で非難する(後述)。 また、2022年(令和4年)の安倍晋三銃撃事件以降は世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)に対する本格的な批判攻撃を開始した[official 47]。 政治的思想妙信講としての発足以来、創価学会と対立してきた経緯から、創価学会を支持母体とする公明党の存在を認めておらず、公明党と連立を組んだ政党も批判の対象となっている。その一方で、中国や北朝鮮といった北東アジアの社会主義国家による日本への脅威を主張しており、外交的に極右過激とみなされることがある。このため一時、公安調査庁の調査対象になっていた。 王仏冥合・国立戒壇建立「王仏冥合・国立戒壇建立こそが、国家安泰と世界平和をもたらし、人々を真に幸福にする、究極の政治理念である」と説く。これは「日蓮大聖人の『立正安国論』における『汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや』[soka 13]、および『三大秘法抄』における『王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並びに御教書を申し下して、乃至、戒壇を建立すべき者か』との御指南に基づくためである」とする[official 48]。 この王仏冥合との対比においては、「民主主義もまた、社会主義・共産主義よりは優れているものの、究極の政治理念ではない」とする。それは「民主主義は権力の横暴に対し『民意を尊重せよ』との民衆の自己主張であるが、末法においてはその民衆が三毒強盛であるから、今度は衆愚政治になって国を亡ぼす、また、民主主義は多数決がその原理であるが、人の多さと正しさとは関係がない」、との理由による。「所詮、独裁も民主主義も、正しい仏法を根底にしなければ、国土に三災七難を招き、人民が苦悩することにおいては同じ」との説を唱えている[official 48]。 →「政教一致 § 国家教会(State-Church)」、および「民主主義 § 多数決原理」も参照
自公連立政権に対する批判創価学会を支持母体とする公明党が連立与党として国政を担う側に存在していることに対しては、「国立戒壇建立の御遺命に背き、『本門戒壇の大御本尊』を捨てるという『極限の大謗法』を犯した」との理由により反対との立場を取る[official 49]。 公明党が1993年(平成5年)の非自民・非共産連立政権(細川内閣)に参加すると、当時連立相手となった日本社会党(現・社会民主党)や日本新党などの各政党は一斉に本会による批判攻撃の対象となった。その後、1999年(平成11年)に自由民主党、自由党と公明党の自自公連立政権(小渕第2次改造内閣以降)が誕生したことから、今度は自民党が批判の対象となり、現在に至っている。 →詳細は「自公連立政権 § 選挙」、および「公明党 § 自公連立政権」を参照 →「立正佼成会 § 政治への関わり・支援候補」も参照
安倍政権に対しては、「与党である自民党が日本会議とその趣旨に賛同する議員連盟日本会議国会議員懇談会、神社本庁および傘下の政治組織神道政治連盟と一体になって憲法を改正し、国家神道を復活させ、日本を『神の国』にしようとしている」と指摘し、「主君たる日蓮大聖人の存在を無視して『神の国』を作らんとすることが国を亡ぼす『仏法上の失』になる」との理由から、「安倍晋三首相辞任、同政権退陣」を主張してきた。また公明党が連立に参加していることについても「二悪鼻を並べる」凶事だと厳しく非難している[official 50][official 51]。 2017年(平成29年)10月の第48回衆議院議員総選挙前には、5回に渡って顕正新聞を安倍退陣要求の特集号とした。中でも解散直前の9月5日は『「安倍政権崩壊」特集号』[official 51]、公示目前だった10月5日にも『「安倍ペテン政権」特集号』[official 50]と銘打って発行、自民党公認候補者の街頭演説会場などで配布した。さらに、2022年(令和4年)の安倍晋三暗殺事件後には『「安倍政権八年の悪政」特集号』も発行するなど、2024年の政治資金パーティー収入裏金事件による派閥の一斉解散まで安倍晋太郎・晋三・信夫親子の流れを汲む清和政策研究会が最大派閥だった自民党への批判を強めている。 →詳細は「顕正新聞 § 特集号」、および「第48回衆議院議員総選挙 § 争点」を参照 →「学校法人森友学園 § 小学校建設を巡る問題」、および「加計学園問題 § 「総理のご意向」文書報道の経過」も参照
北方脅威論昭衛は中華人民共和国および中国共産党による中華覇権主義を説き、これに対抗するには広宣流布を完結させるしかなく、それができるのは「御遺命を守護し奉って一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外にはない」[16]と主張する。朝鮮民主主義人民共和国の核脅威にも、同様の主張をしてきた。 昭衛によるこれら一連の主張は日蓮が『立正安国論』の中の「他国侵逼難」の部分で説いた元朝による侵略の可能性を、現在の北東アジア共産圏に置き換えることによって正当化される。 →「尖閣諸島問題 § 軍事的衝突の可能性」、および「保釣運動 § 概要」も参照
その他
活動
役員・幹部主要役員
主要幹部
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顕正会に関係するトラブル
脚注冨士大石寺顕正会側の出典
創価学会側の出典
二次出典
参考文献冨士大石寺顕正会の参考文献
その他の参考文献
関連項目外部リンク |
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