埼玉県立川越高等学校
埼玉県立川越高等学校(さいたまけんりつ かわごえこうとうがっこう)は、埼玉県川越市郭町(くるわまち)二丁目にある県立男子高等学校。通称は、川高(かわたか)。同市内の川越市立川越高等学校とは異なる学校である。 概要川越城跡に存在し、校庭の隣には本丸御殿がある。私服での通学が認められている。最寄駅は、西武新宿線本川越駅徒歩20分、東武東上線川越市駅徒歩25分。
1969年、いわゆる70年安保の社会潮流を背景として、生徒有志によって従来の「生徒心得」を見直そうとする動きが起こり、これがきっかけとなって翌1970年に生徒憲章が制定された。以来、集会への参加やサークル結成の自由、掲示・印刷物の発行等の表現の自由、各自の自由意志に基づく服装(私服校)などを保障している。
埼玉県下初の試みとして、2004年度から従来以上の年間取得単位数を確保しながら、休日や行事日、放課後の部活動の時間を犠牲にしない70分授業を展開していた。2008年からは、再び50分授業となり、隔週の土曜授業になっている。体育の授業では、1学期はほぼ1500メートル走を行うことになる。学年別で基準タイム(1年生は5分40秒、2・3年生は −5、−10秒)が設けられている。
オーストラリア・ケアンズのセント・オーガスティン・カレッジとの姉妹校提携を締結。隔年で交互に夏季休業中に希望者を募り、ホームステイ・短期留学を行っていた。
毎年11月頃に行われる行事。かつては夏前に行われていたが、1980年5月、数名が熱中症で病院に搬送となったことが報道されたこともあり、翌年からは十分に涼しくなった季節に行われるようになった。1969年にそれまでの10kmマラソン大会に代えて、おおむね現在の入間川~越辺川左岸に設置された森林公園自転車道に沿って、高坂神社までの約21kmのコースを在学生全員で歩いたり走ったりした大会に端を発し、その後奥武蔵ハイキングコースを軸に各々30km程の3コースが設定され、在校生は3年で全コース歩くこととなった。2006年の大会から2コースに削減され、2018年は芦ヶ久保~吾野間の1コースのみとなっている。2019年は 令和元年東日本台風(台風19号)の影響で、2020年は新型コロナウイルスの影響によりやむを得ず中止となったが、2021年に国営武蔵丘陵森林公園で3年振りに大会が開催された。2022年においては、武蔵横手~吾野駅間の約20kmにもなるほぼ例年通りのコースで行われた。
文化祭に該当する行事であり、例年9月の第一土曜日および日曜日に開催される。名称は、高校創立当初からあるとされる正門前の2本のクスノキに由来する。1969年に旧来の川高文化祭に代わる名称を生徒会が公募し、在学生投票により命名され、同年秋以来用いられている。映画「ウォーターボーイズ」の影響から、2002年には30690人が来校した。2016年においても約18,000人が来校するなど、高校の文化祭としては異例の盛り上がりを見せる。門班と呼ばれる集団が毎年正門に、現実に存在する城、教会などをモデルとした巨大な門を作ることでも知られ、10m超の高さをはじめ、その出来栄えは高校文化祭として傑出している。映画化もされた男子のシンクロナイズスイミング、女装大会、応援部による演舞などが人気の演目として知られている。 開催当日は、川越駅、本川越駅から川越高校直通の臨時バスが運行されている。 進路多くの生徒が国公立大学、難関私立大学を目指す。東京大学への進学者は1950年から2012年までの63年間に454名と、埼玉県内では埼玉県立浦和高等学校(2407名)に次ぐ実績がある。 近年は現役東大合格者は数名程度であり、京都大学、一橋大学、東京工業大学、その他旧帝国大学などの中核大学に数多くの合格者を輩出している[1]。 沿革
部活動野球部は1931年春と1959年夏に甲子園に出場し、夏に1勝している。特に1931年の第8回選抜中等学校野球大会(現在の選抜高等学校野球大会)出場は春・夏を通じ、埼玉県の学校の甲子園出場の最初となった。音楽部(男声合唱)は、1964年にNHKコンクールで全国優勝。翌1965年には同コンクールで2位の成績を残し、65年秋の定期演奏会では会場の定員約1300人の川越市民会館大ホールの前売り券が瞬く間に売り切れ、2回入れ替え制で行い、聴衆はのべ2500人強であった。 近年は、弓道部、放送部、音楽部、新聞部、古典ギター部、弦楽合奏部、美術部、演劇部、陸上競技部などが全国大会に出場している。特に弓道部は、第23回全国高等学校弓道選抜大会(平成17年3月東京・明治神宮)で男子団体準優勝・技能優秀賞を受賞している。 水泳部の「男子シンクロナイズドスイミング」
「くすのき祭」では、水泳部の男子シンクロナイズドスイミングが話題となっている。1999年にニュースステーションで取り上げられた特集を、映画会社のプロデューサーが目にしたことによって2001年『ウォーターボーイズ』として映画化、さらにその後にテレビドラマ化され、全国的に大きく脚光を浴びることとなった[2]。 この男子シンクロナイズドスイミングは、1986年に、県の新人戦と日程が重なり「くすの木祭」に参加できなかった有志6名、3年生となり「何か学生時代に心に残る面白いことをしよう!」と試みたことがきっかけである。ドキュメンタリーが「にんげんドキュメント」(NHK総合)や「スーパーテレビ情報最前線」(日本テレビ)で放送され、ウォーターボーイズの映画が公開された頃から入場者数も数万人単位となり、2002年度には過去最高の30,690人を記録した。 SSH2006年(平成18年)、初めてスーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定校(5年間)となり、研究テーマを「知の融合」として全国トップ評価を得るなどして実績を上げた。その結果、2011年(平成23年)2度目のSSH指定(5年間)を受け、研究テーマに「知の継承」を加える。2016年(平成28年)に3度目の申請をしたが、指定には至らなかった。現在ではSSH時代の取り組みの成果を生かし、「総合的な探究の時間」内で、主題を希望選択する「川高サイエンス探究」として継承されている。 歴史著名な出身者・関係者
脚注関連項目
外部リンク |
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