埼玉県立熊谷女子高等学校
埼玉県立熊谷女子高等学校(さいたまけんりつくまがやじょしこうとうがっこう)は、埼玉県熊谷市に所在する県立高等学校。熊女の通称で呼ばれている[1]。 概要1911年に埼玉県立熊谷高等女学校として開校した。現在、埼玉県北部で唯一の女子校である。埼玉県の進学指導重点推進校に指定されている。 原則第2・4土曜は、土曜授業公開日として、4限授業を実施している。2012年度より文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定校となっている。 沿革
学校行事
文化祭2日目の一般公開終了後、体育館に生徒、教師が集まり、カラオケ大会や、ミスクマの結果発表、クラスの出し物の投票結果および受賞が行われる。
他に新入生歓迎会、バレーボール大会、芸術鑑賞会、kumajoパークマラソン(旧リバーサイドレース)、予餞会など。 部活動全国大会にバスケットボールが1回、ソフトテニスが5回、バドミントンが4回、駅伝が2回出場している。ソフトテニス部の最高戦歴は全国2位。 陸上競技部は平成18年と20年に全国高校駅伝に出場している。ラクロス部は関東大会に出場している。他にはバスケットボール、バレーボール、サッカー、ソフトテニス、硬式テニス、剣道、登山、ハンドボール、音楽、ギター・マンドリン、アンサンブルマジョリティ(吹奏楽)、英語劇、演劇、科学、茶道、華道、写真、書道、美術、新聞、放送、チアリーディングなど。 また、同好会はダンス愛好会、フォークソング愛好会、宇宙研究愛好会、漫画愛好会、競技かるた愛好会などがある。 制服2つボタンの紺色ブレザーと、同色のジャンパースカートの着用が義務となっている。夏期はフレアースカート、または夏用のジャンパースカートを着用する。フレアースカートの場合、指定ベストのみ着用が許可されている。夏期のみ指定ポロシャツの着用が許されるが、始業式や終業式などの正式な場では着用禁止。 交通
その他太平洋戦争の時期には本校の前身である熊谷高等女学校の講堂に海軍艦政本部が設置され[2]、1945年(昭和20年)3月に中島飛行機小泉製作所設計試作部隊の、長距離爆撃機連山設計試作部隊が疎開した[3](同製作所の艦上偵察機彩雲設試部隊は群馬県立館林中学校へ、ジェット戦闘機橘花設試部隊は栃木県立佐野中学校にそれぞれ疎開した)。 呉竹は創業者が営業で熊谷高等女学校を訪れた際、同窓会の「呉竹会」に品質を認められたのが縁で墨のブランド名に使い始め、後に社名とした。 著名な卒業生・関係者政治・経済 メディア・芸能関連 作家・漫画家 スポーツ
その他 教職員経験者 脚注
関連項目外部リンク |
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